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丘のさんぽ道(6)
ああ緑のふるさと
僕は丘(きゅう、2才)が生まれた時、“この子にゃこんな思いはさせまい”と誓った。
前回も書いたが、高度成長期の1960年代、僕の生まれ育った田園地帯は都市化の波に押し潰された。田んぼも小川も畑も牧場も蓮池も一つ残らず破壊され、僕は自称「ふるさと難民」を名乗るはめになった。エスニック・クレンジングで故郷を追われるボスニア難民も気の毒だが、故郷そのものをこの世から抹殺されるふるさと難民もそれに劣らず悲しい。
一方、妻は、今も昔ながらの風景がのんびりと広がる兵庫県宍粟郡千種町の出身。家のそばには通称「せんたく川」(かつて洗濯したり野菜を洗ったりした水路)があり、道を挟んで清流・千種川がとうとうと流れている。縁側の正面には標高1000mくらいの名もない山がポカンと鎮座し、その麓にはカヤ葺きの家が居眠りするようにうずくまり、傍らで犬があくびする。春にはそこらじゅうに山菜がドッと湧き、それを義母が大きなナベでぐつぐつと煮る。
妻の故郷を初めて訪れた時、その風景に溶け込んで動いている妻の姿を、テレビドラマか何かを見るように客観的に見ている自分に気がついた。彼女には“ふるさと”があり、それが目の前に存在していることが不思議だった。そして、つくづくと“ああ、この人たちは僕とは違う民族だ”と思った。
さて、問題は丘だ。彼をふるさと難民にしないためにも、僕はできるだけ早く、恒久的に緑の環境が維持されそうなところへ引っ越したいと考えた。
なのに僕と妻の仕事の都合で、神戸市東灘区のJR住吉駅と国道2号線に挟まれた築古年のビルに住むことになってしまった。1Fはカラオケスナック、隣はパチンコ屋、向いはオフィスビル、深夜まで貨物列車の轟音がこだまする。「最悪」の環境だ。
僕はあせった。“丘が物心つくまでに緑の環境へ越さねば”と思いながらも、仕事に追われてままならない。丘はといえば、パチンコのフィーバー・ファンファーレに泣き声を煽られ、階下から響く酔っ払いオヤジのカラオケ歌謡を子守歌に眠る日々が約1年続いた。まさかこの環境になじんでしまうのでは、と思うと心中穏やかならざるものがあった。
そして1月17日。すべてが壊滅し、地割れとガレキとゴミ、そして昼夜をわかたぬ復旧工事の爆音が始まった。「最悪」は「地獄」へと進化した。
今、丘は、アスベスト粉塵に咳き込みながらも、ガラスやコンクリートの破片だらけの更地をてくてく歩いて保育所へ通っている。言葉も「パワーショベル」「クレーン車」などの震災用語から覚え始めた。恐ろしいことに、「地獄」になじみつつある。
三つ子の魂百まで。ああ緑のふるさと、いずこ。
丘のさんぽ道(7)
特急にはロマンがある
『娘からの宿題』(草思社)の著者・長尾クニ子さんは、年頃の2人の娘のうち1人を事故で、もう1人を医療過誤で亡くされた。長尾さんはある時、僕にこう言った。
「娘が2人ともいなくなって初めて、いかに私は子どもから多くの情報を得ていたかということを知りました」
当時、丘(きゅう)はまだ生まれておらず、僕は長尾さんの言葉にもう一つピンとこなかった。《子どもからの情報って、たとえば娘なら最近流行の音楽とかテレビドラマとかファッションとかかな。たしかにそういう情報は得られるやろけど、僕はそういうもんには特に興味ないから、そんな情報を得てもなあ》などと感じたりもした。
ところが僕にも子どもができて、長尾さんの気持ちはいっぺんに、完璧に理解できた。
僕は、生まれた丘にぞっこんになった。あらゆるすべてが愛しい。当然、愛しい人の好きなものはすべて好きになってしまうわけで、僕がかつてある看護婦さんを好きになったのがきっかけで今では医療雑誌の編集長をしているのと同じく、丘のもたらす情報によってわが世界はぐんと広がった。
まず、丘のために買ってきた童謡のCD。はじめは、丘がこの歌を聞いている、と思うだけでじんときた。そのうち、昭和初期頃の童謡には鳥肌が立つほどの名曲も多いことを知り、いつの間にか丘とは関係なくCDを買い集めるようになった。おかげで家族が寝静まったあと、1人で「ちんちん千鳥」や「島原の子守歌」を聞きながらチビリチビリやるという幸せを手に入れた。
次に、テレビの子ども向け番組。「おかあさんといっしょ」は、たとえ丘が見なくても僕は見る、という段階に達している。うたの「あゆみおねえさん」のご尊顔を拝見するだけで、やる気がわいてくる。
そして特急電車。なぜか男の子の多くはこれにハマるようで、つられて親もハマる。小さい男の子を持つ親はたいてい特急電車に異常に詳しい。先日、丘と同い年の子のいる家へ行ったら「トワイライトエクスプレス」の本があったので、「あ、しんちゃんはトワイライトエクスプレスが好きなのか」と言うと、お母さんが恥ずかしそうに「いいえ、しんちゃんは『ビューおどりこ』です。この本は私がほしくて買ったんです」と言う。丘は今「房総ビューエクスプレスわかしお」にのめりこんでおり、僕は「近鉄さくらライナー」のミニチュアが発売されるのをひたすら待っている。
特急にはロマンがある。ああ、ビデオカメラを買って日本中の特急を撮影して歩きたいなあ。
丘のさんぽ道(8)
泣く
あるドキュメント番組で紹介されていたのだが、10代前半の“未婚の母”の増加が問題になっているアメリカでは、テレビCMで若者に向けた警告のメッセージを流しているそうだ。そのCMは、薄暗い廊下に赤ちゃんの号泣が鳴り響いている映像・音声とともに、「あなたはたった一度の青春をこんなイライラする声とともに過ごすのですか?」といったナレーションを流し、最後にコンドームの使用を呼びかけるものだった。
そこで使われていた赤ちゃんの泣き声は、たしかにカンにさわるというか、不快感を刺激する声だった。それを見た当時まだ独身だった僕は、CMの表現する赤ちゃん像にさほど違和感を感じなかった。
で、丘(きゅう)が生まれた。丘は、最初の1〜2ヵ月の間は2時間おきに大声で泣いた。こちらが眠い時には、そのうるささは相当こたえた。「もうやめてくれ」と哀願しても無駄。産後7週目から働きだした妻ともども、睡眠不足でフラフラ状態となった。
しかし半年ほどして丘の人格や個性がだんだん感じ取れるようになると、僕は丘のあらゆる表現のうちで泣き顔が一番好きだと感じるようになった。泣いている、ということ自体が愛しいというか、不憫というか、とにかく抱き締めて頬ずりして、ついでにそのまま一体化さえしてしまいたくなる。
自分の力ではどこへも行けない。何も食べられない。ウンコも拭けない。言葉も通じない。彼の目には、自由に動き回ってペラペラしゃべる大人たちが怪物のように映っているかもしれない。けど、いくら恐ろしくても、その人たちのなすがままにしか生きられない。タスケテ。サミシイ。コワイ。オナカスイタ。ココハドコ。ワタシハダレ。コレナニ。イタイ。カユイ。キモチワルイ。あらゆる思いを込めて、顔をゆがめて赤らめて、時々むせかえるほどに、丘が泣く、泣く……。
こうなると、生後1〜2ヵ月の間「うるさい」と感じてしまったことが悔やまれてならなくなる。あの頃、彼はもっともっと不安だったろう。
オウムに殺された坂本弁護士一家の遺体のうち龍彦ちゃんだけが発見されなかった時、あの聡明な坂本弁護士の母・さちよさんは、龍彦ちゃんに向けてこう祈ったという。
「力いっぱい大きな声で泣きなさい。そうすればお父さんとお母さんがすぐにあなたを見つけに来てくれるから」
この言葉の背景にある果てしない意味を思うたび、不覚にも涙がにじんでしまう。そしてなんとなく、このにじんでくる涙は、丘がいつもポロポロ流している涙とつながっているような気がしたりする。
丘のさんぽ道(9)
みんな星の子ども
赤ちゃんの成長に接して驚かされることの一つに、自然の事物に対する彼らの感受性の豊かさがある。
丘(きゅう)は、一緒に住んでいる人間が「お父さん」「お母さん」であることを知る前から、夜空に浮かぶ黄色い丸が「お月さま」であることを知っていた。
1才くらいの頃だろうか、母や父を指差して「これ誰?」と聞いてもポカンとしている丘に、月を指差して「あれ何?」と聞くと、彼はとてもうれしそうな顔をして「……ま!」と言う。丘は当時、語尾の1字だけを言うのが常であり、この「ま」が「お月さま」の「ま」であることは明白だった。前ぶれもなく唐突に「丘、お月さまどこ?」と聞いても、即座に空を見上げてキョロキョロ探し、見つけると指差してうれしそうに「ま!」と叫ぶ。 これは丘だけでなく、知り合いの真ちゃんも同じだった。
先日、これは妻に聞いた話だが、ある日の保育所の帰り道、曇っていたせいで月は見えなかった。丘は「お月しゃま、おらんなあ」と言っていた(最近はこれくらいはしゃべる)が、やがて雲の合間から月が顔を出した時、ちょうど側を救急車が通りかかった。すると丘は大きな声で、「あ、お月しゃま、ピーポーピーポー言うてる!」と叫んだそうだ。
街にはネオンや信号や街灯が燦然と輝き、月などまったく地味な存在だ。なのに彼らはなぜ、月に特別の関心を示すのだろう。
星に対してもそうだ。先日、僕が保育所に迎えに行った帰り道。「丘、今日はお月さま出てないなあ。でもお星さまが出てるで」と僕が言うと、丘は必死になって夜空に目をこらす。都会の夜は明るく、星を見つけるのは容易ではない。それでも丘は小さな星を見つけ、「お星しゃま、みーつけた」と言う。しかし小さすぎて、2〜3歩あるくだけで見失ってしまう。角を曲がると完全にどこかへ行ってしまう。それでも丘は首をグルグルまわして飽きずに探し、見つけては少し歩いて見失い、また探しては見つけ……。そうこうするうち、見失わないように(?)小さな指を空に伸ばし、星をつまんで食べるふりをして、うれしそうに「おいし!」とつぶやいた。
この感受性はどこからくるのだろう。
欧米では「みんな星の子ども」という言い方をよくするそうだ。これは、人間をつくるすべての元素が元をただせば星の中心部で核反応によって発生したことを意味する地学・天文学の知識からきた言葉ということだが、幼な子の月や星への関心を見ていると、とてもロマンチックな言葉に感じてしまう。
丘のさんぽ道(10)
禁止
幼い子どもに「自由」はない。あれするなこれするなの世界。危ないことは仕方がないとしても、汚いこと、ややこしいこと、もったいないこと、後始末がめんどうなことなども禁止されてしまいがちだ。
子どもにしてみたら、まわりの大人たちは自分の意思で勝手気ままに何でもやっているのに、自分だけ手かせ足かせをはめられ、言いなりの服従を強いられる。これはたまったもんではない。
そういう意識が最初に芽生えてくるのが2才児であるらしい。
ある日の車中。僕が運転し、丘(きゅう)は助手席の妻の膝の上で団子か何かをムシャムシャと食べていた。妻はいつものように「あーダメダメ、服で手を拭いたらバッチイよ、丘ちゃん……」などごちゃごちゃと言っていた。すると丘が突然ひとこと言い放った。
「うるしゃい!」
中学生くらいの息子に言われるとこちらもムッとするかもしれないが、2才児がこれを言ってもおかしいやらかわいいやらで大笑い。
しかしそれ以来、丘は反抗期に突入した。「風呂入ろ」「ねんねしよ」とさそっても、かならず一度は「お風呂入らないの!」「ねんねしないの!」と拒否する。また、料理を手伝いたくて仕方がないようで、熱いものをかきまぜたりするのを「危ないからアカン」と言うと、ものすごく悲しそうな顔になってオイオイ泣いてしまう。
そんなさなか、妻が1週間アメリカへ研修旅行に出かけることになった。妻と丘が離れて暮らすのは地震後の避難生活以来だ。
見送りの空港で丘は「おがあしゃーん」と不憫な叫びを発し、ポロポロ泣いた。またしても自分の都合も聞かずに親は勝手にどこかへ行ってしまう。悲しく、悔しく、せつないことだ。
その日の深夜、僕の布団にもぐりこんで眠った丘は、こんな寝言をつぶやいた。
「きゅうちゃんも、くるくる、まわしたい」
根源的すぎる願い。心臓がギュッと絞られるような感覚をおぼえ、今度は僕が泣いてしまった。
翌朝。パンにバターを塗っていると、例によって丘が「きゅうちゃんも」と手を伸ばしてくる。丘の寝言に反省した僕は、パンとバターナイフを渡してやった。しかし丘の塗り方はめちゃくちゃ、バターはほとんどちゃぶ台に塗られている。「あぁ、丘、こないするんや、ちゃんとパンにこうして……」と指導していると、丘がひとこと。
「うるしゃい!」
うわー、僕も言われてしまった。
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