丘のさんぽ道(11)
丘にとっての保育所

 保育所を利用することが“子どもを他人に預けて働く”と表現されることがある。たしかにその通りといえばその通りなのだが、いまいちしっくりこない時もある。とくに、保育所を利用していない専業主婦の人がその理由として「子どもは自分で育てたいから」といった言い方をする時などは、“えっ、じゃあまるで僕たちが子どもを自分で育てていないみたいじゃないの”と言いたくなったりもする。
 その家族が置かれた環境やその保育所の条件によっては、罪悪感に苛まれている親も中にはいるかもしれない。しかし僕にはまぎれもなく“子どもは自分たちで育てている”という実感があるし、たぶんクラスのほとんどの親もそうだろうと思う。「おかあちゃんがんばっているよ、坊や、しっかりついといで」といった迫力ある母親たちも多い。そして、そのことは子どもたちもよくわかっているように見える。保育所を利用することで専業主婦の家庭になんらひけをとっているとは全然思えないし、そもそも比較することは不可能だと思う。
 そういえば僕の妻が小さかった頃、おもに面倒を見てくれたのはおばあちゃんだったそうだ。他に姉たちや隣近所の人々にも世話をやかれながら育った。昔の農家の母親は今の母親たち以上に体を酷使して働いていたらしく、妻の母親の手はゴツゴツだ。それでも妻は別にひねくれるでもなく育った。そういう意味では、都会で核家族を営む僕たちにとって保育所は、いわば地縁・血縁の代役と考えることもできそうだ。もちろん親としてさまざまなジレンマを感じることもあるが、それはたぶん専業主婦とて同じことだろう。

 ところで、これは妻に聞いた話。ある夜、丘(2才)がスーパーの袋にみかんをせっせと入れている。10個ほど詰めこんだと思ったら玄関へ運んでいき、靴をはこうとしている。妻が「あれ、丘ちゃん、どこ行くの?」と聞くと、丘は「保育所、いく」と言う。「そのみかん、どうするの?」と聞くと、「みんな、あげる」と言ったのだそうだ。
 彼は、親以外の人間と過ごす時間を持っている。そして彼の中で、保育所は、おいしいみかんを分けてあげたい大事なオトモダチとシェンシェーのいる場所として、しっかり根づいている。
 これまで保育所は“保育に欠ける児への措置”とされ、子どもの視点からその役割があまり論じられてこなかったところに問題があった。その問題と向き合うことを避け続けたあげく、ついに破綻しつつあるのが「学校」ということになるのだろう。
 保育所が丘にとって楽しい場所であり続けるよう、保母さんたちを応援していきたい。


丘のさんぽ道 (12)
丘と街の人々

 丘(2才半)が生まれて、僕が初めて知ったことのひとつに、“世の中には子ども好きの人がかなり多い”ということがある。僕自身はそれまで大の“子ども嫌い”で子どもなんか一生いらないと思っていたから、これはずいぶん意外だった。
 特にお年寄り。丘を連れて歩いていると、ほとんどのお年寄りは顔中しわくちゃにして、とろけそうな笑顔で丘を見つめる。そのうち2人に1人は「かわいいねぇ」「ボクいくつ?」と声をかけてくる。デパートでも、すれ違い際に「わぁ、かわいい!」と感激の声を上げて振り返るお年寄りに何人も出会う。中には「かわいいねぇ、かわいいねぇ」と頭をなで、だいぶ離れてからもなごり惜しげに何度も何度も振り返る人もいる。
 それから、犬を連れている人。丘が「わんわんちゃん」と言って自分から見つめるせいもあるが、3人中2人はニッコリ寄ってきて、なんとか丘に自分の犬をさわらせようとしてくれる。おもむろに丘を抱き上げ、自分の犬の背中にまたがらせようとするオジサンもいた(犬も丘も迷惑がっていたが)。
 丘はといえば、他人に笑顔を向けられればいつも外面よく笑顔を返すので、それがさらに相手の「かわいい!」を増幅させる。どこに行ってもそんな調子なので、丘を連れている親としては、必然的にいろんな人と会話を交すことになる。保育所の送迎のわずかな距離でも、おでん屋のおばちゃん、毎朝お地蔵さんを掃除しているおばさん、果物屋のおじちゃん、白い犬と散歩するおばあちゃん、ケーキ屋のおねえちゃん、ミニコリーを連れたおばちゃんなどとは毎日のように出会い、言葉を交わす。それに同じ保育所を利用するお母さんたちや保母さんたちとも出会うたびに挨拶するから、毎日挨拶する人はかなりの数にのぼる。そして保育所の子どもたちも、どこで出会っても「あっ、丘ちゃんのおとうさん」と声をかけてくれる。
 思えば、保育所の送迎をするようになる前は、出会って挨拶するのは大家さんくらいだった。神戸に引っ越してきたものの、自分以外にどんな人が住んでいるのか、どんな街なのか、全然知らなかった。それが、丘のおかげで一気に知り合いが増え、僕の世界は広がった。こんな人たちがこんなふうに生きている街に僕は住んでいることがわかった。
 漫画家の石坂啓が『赤ちゃんが来た』という本の中で「赤ちゃんは顔が広い」と書いていたが、まったくその通り。地元では僕を知っている人より丘を知っている人のほうがはるかに多い。
 こんなに人々に愛される「子ども」ってなんだろう。そして知人の少ない「大人」って何だろう。


丘のさんぽ道 (13)
歌う

 子どもはたいてい歌が好きだ。僕も歌が好きだから、とても気が合う。
 保育所へ行く道は、いつも丘(2才半♂)と歌いながら歩く。このごろは「さいた、さいたチューリップのはなが〜」が多い。「きかんしゃトーマス」に出てくる「オリバーのおばかさん、おりこうぶって、親分きどりで、冗談じゃねぇよ……」という歌も丘は好んでいる。もっとも、本人も意味がわからずロレツもまわっていないので、他人が聞いても何を言ってるのかまったくわからない。でも、誰にもわからない歌を2人で大きな声で歌いながら、道の真ん中を堂々と闊歩するのは楽しい。

 一緒に歌っていると、僕が子どもの頃のことをよく思い出す。

 小学校2年の夏休み、家族4人でマイカーに乗って九州旅行に行った。当時は高速道路というものがなく、車にクーラーというものもなかった。荷物と人間とで鮨詰め状態の軽自動車で大阪から九州を走破するのはまさにパリダカ状態。僕と姉は長時間ドライブの退屈を、歌うことではらした。学校で習う歌から歌謡曲・CMソングまで、とにかく知っている歌を2人で大声で歌いまくった。そして全部を歌いきると、また1から歌いなおした。疲れたら眠り、目覚めてはまた歌った。それを九州…大阪間までずっと続けた。
 ただでさえ暑苦しくてイライラしていたであろう運転手とナビゲーター(両親)にとって、僕と姉のエンドレスの絶叫は拷問だったろう。途中、何度か「じゃかあしぃ、ええかげんにせぇ!」と父に怒鳴られた記憶がある。すると一瞬だけ静かになるが、十数秒後には僕か姉のどちらからともなくクスクス笑いとともに小声で歌いはじめ、すぐに大声の合唱へと昇りつめていった。

 大学生になると僕は洋楽のバンドを始め、以来10年以上、ボーカルとして英語の歌ばかり歌った。バンドをやめてからは日本語路線に回帰し、民謡・童謡・演歌・なつメロ・特に三橋美智也が死んでからは彼の歌を好んでいる。
 しかし都会で暮らしていると、歌う場所が少なくて困る。僕の場合、風呂場・台所・便所などを主な舞台としているが、いずれもそう長時間滞在する場所ではない。かといって戸外はどこへ行っても人通りが多く、「夕焼けトンピ」をミッチーのものまねで歌っているところなどはあまり見られたくない。しかも残念なことに、最近はカラオケにもミッチーはあまりない。
 そんな僕の欲求不満を救ってくれるのは、丘だ。彼となら、道の真ん中を歩きながら大声で歌ってもそれほど恥ずかしくない。道ゆく人々はたいてい「ほほえましい親子」ととってくれる。

 そんなわけで今日も青空の下、花の散りはじめた桜の木や家の建築現場に寄り道しながら、じっくり、たっぷり、丘と歌う。


丘のさんぽ道 (14)
思いのずれ

 今年の4月から、丘(2才9ヵ月)は保育所で「こあら組」に進級した。5月に入った先日、おたよりちょうにこんなことが書かれてあった。

「お家では食事のときどうされていますか。スプーンを使って1人で食べていますか。それともすべて親が食べさせてあげている状態でしょうか。というのは最近すごく目立っています。すべておまかせ状態で、指示待ち症候群のところが多くて、今日はとくにひどくって……パン食でホットドッグだったのですが、口に入れようとしないで、『丘ちゃんどうしたの、手でもって食べてごらん』と声かけを何十回したでしょう。3人の保母が何回も促すのですが、いっこうに食べないので、小さくして口へ入れてあげるのですが、それを食べ終えるとまたじいっと待っています。そのたびに『丘ちゃん、手はどうしたの……』のくりかえしでした。11:20くらいから食べ始めて、12時半には丘ちゃんを除いて食べ終えて体拭きをし、パジャマに着替えておふとんに入る用意をしていました。1時にやっと食べ終えました。『次どうするか考えてごらん』『ねるのん』『じゃあ寝る時はどうするのん?』『パジャマきるのん』『じゃあパジャマはどこにあるのん?』『あっち』と答えてポォーと立っています。あまりにも指示待ち症候群なので困っています。お家での様子を教えて下さい」

 丘は元々パンがあまり好きではない。3人の大人に何十回もヤイヤイ言われながら1時間半以上もかけて全部食べさせられたパンは、さぞやまずかっただろう。保母さんたちの苦労もわからないでもないが、僕はかつて小学校時代に見たおぞましい「給食体罰」(偏食を許さない教師が1人の生徒を昼休み中ずっと教室に監禁し、給食をむりやり食べさせる)の光景を思い出してしまった。さらに、2才児に「指示待ち症候群」という病名をつけてしまう感覚の危うさ。
 おたよりちょうの返事は僕が書こうと思っていたが、翌朝見ると、妻がすばらしい名文の返事を書いていたのでやめた。保育所に行くと、保母さんは僕を見るなり「きのうは丘ちゃん、全部自分で食べようとしなくて、お家ではどんなふうに……」と、書いていたことと同じことを話しはじめた。
「丘は今朝は、おかゆを置いていたら勝手にスプーンでパクパク食べてましたよ。実は僕も子どもの頃はグズオと呼ばれてまして、泣き虫で、小学校2年生まで寝小便してたんです。まあ、お世話かけますがよろしくお願いします」
 僕が言うと、保母さんは一瞬われに返ったような顔をして、それから一気に表情を崩し、「いやぁ、たのもしいお言葉……」と大笑いされた。

 それにしても、これからさらに進級して小・中学校へ上がるにつれ、こうした親の思いと本人の思いと教師の思いのズレはどんどん広がっていくのだろうなあ、という気がした。


丘のさんぽ道 (15)
失われゆく天然

 明日、丘は3才の誕生日を迎える。保育所では毎月、その月に生まれた子どもたちを祝う「お誕生会」が開かれ、誕生月の子どもは自分の写真入り色紙をもらう。
 丘が先日もらってきた色紙の写真と、去年もらった色紙の写真を見比べてみると、表情がややひきしまったかなという以外は思ったほどの違いはない。1才の誕生日の写真と2才の誕生日の写真ではかなりの違いがあったから、すでに身体的な第一次成長期が終わっていることを感じさせられた。
 しかし丘の内面はかなり変化した。一番大きな違いは、いわゆる“男の子らしく”なったことだ。
 2才になった頃までの彼は、持って生まれた好みに忠実だった。たとえば色。丘はピンクや赤が好きだった。服でも靴でもおもちゃでも、店先で赤系のものを見つけるとそれをしっかりつかみ、とても幸せそうにほほえんだ。ピンクのポロシャツと赤い靴を愛用していたため、女の子と間違われることもよくあった。おはぎの丹波屋で柏餅と草餅と桜餅を買って「どれ食べる?」と聞くと、丘は迷わず桜餅を手にとった。あまりにも予想通りの行動に、僕と妻は顔を見合わせて大笑いすることがしばしばあった。
 それがここ数ヵ月前から、好みが急に青系に変化した。クレヨンで絵を描く時も、「きゅうちゃん、あお」と言って必ず青か緑を選ぶようになった。そして、「おかあしゃんはこれ」と言って妻に赤を差し出す。「おとうさんはどれ?」と聞くと、しばらく考えてから「これ」と言って黄色を差し出す。
 どうやら、保育所かどこかで“男の子の色は青”ということを刷り込まれたらしい。同時に“女の子は赤”であることも刷り込まれた。しかし僕に黄色というのは何だ。信号じゃないぞ。まあおそらく彼にとって父は第3の存在なのだろう。
 そういえば、保育所では、ひとりでボタンをはめることができたり年下の子におもちゃを貸してあげたりすると「わあー、おにいちゃんになったねー」と誉められるせいか、ある朝突然「きゅうちゃん、おにいちゃんになったの」と嬉しそうに言ったりするようにもなった。
 今の社会で一般的に普及している価値観、大人が意図的に仕向ける価値観に、丘は日々、確実に染められていっている。
 思えば、生まれたまま、自然のままの姿で成長していた丘の髪を初めて切った時、自分のしたことに不思議なショックを感じた。人工的な切れ込みを入れられた丘の姿に違和感を覚え、後悔にも似た複雑な心境に襲われたものだった。
 ピンクのポロシャツに赤い靴を履いてニコニコ嬉しそうにしている丘は、なんともいえずかわいかった。ほんの少し前のことが妙に懐かしく、少々せつない。

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