丘のさんぽ道(16)
体罰

 体罰はいけない。僕が子どもの頃、父はよくカッとなって僕や姉をなぐった。中学の担任教師にはほぼ毎日、頭を竹刀で殴られた。英語教師は僕の髪をわしづかみにして水の入ったバケツに頭を突っ込んだ。そういった体罰を受けて「僕が悪かった」と反省したことは、ただの1度もなかった。逆に、相手の逆上した醜い顔を嫌悪し、すぐに暴力に訴える愚かしさを心底軽蔑した。体罰の理由は問題ではなかった。身近な人たちを軽蔑したことで、僕の性格はさらにゆがんだ。体罰には両者の関係にプラスに作用する要素がまったくない。
 だから僕は、丘(3才)には体罰はすまい、といちおうは決めていた。しかし時にはふざけが過ぎて、口で言っても聞かないことがある。そういう時は、僕はニヤッと笑ってから「ウヒヒーッ!」と丘の全身をくすぐることにした。そして悶絶する丘に「ごめんなさい言うか! ごめんなさい言うか!」と迫る。すると彼はまもなく「ごぉめんなしゃい〜」と言う。これも体罰には違いないが、この方法の利点はお互いに笑顔で儀式を終えられることと、親の心があまり痛まないことだ。

 しかし半年ほど前、温泉旅館で風呂だけ借りた時のこと。僕たちは湯あがりにロビーのソファーでテレビを見ていた。丘にせがまれて自動販売機で乳飲料「ビックル」を買ってやり、彼は僕の隣のソファーに座ってそれを飲んでいた。突然、湯あがりのほてった太ももに冷たい液体が流れた。驚いて立ち上がると、ビックルのびんがソファーの上にころがり、中味がドクドク流れ出ている。「あーっ!」と叫んであわててびんを拾ったが、はきかえたばかりの僕のズボンもパンツも太もももソファーも、乳飲料でびしょびしょになっていた。丘の表情は、腹が立っていたせいかよく覚えてない。「きゅうー! ごめんなさいは!?」と厳しく言ったが、返事はない。僕はなぜかカッときて、丘の横顔面を強くソファーの背中に押しつけ、「丘、あやまれよ! ごめんなさいは!」と迫っていた。丘はいつにない父親の怒りに恐れをなし、すぐに「ごめんなしゃい」と言った。
 しかし時間がたつにつれ、状況をよく確かめる前に腕力で謝らせてしまったことを深く後悔しはじめた。妻は「丘はソファーにびんを置いてただけちゃうか」と言った。テーブルまでは丘の短い手では届かず、とりあえず自分の横に置いたものが、僕が深く座り直した拍子にこちらへ倒れたということも考えられる。だとすると、彼はなぜ自分が謝らなければならなかったのかわからないまま、どういうわけかビックルで濡れて激怒する父親の暴力におびえて謝っただけではないか。そして、そのとき僕の顔は醜くゆがんでいたのではないか……。

 それから数ヵ月。このごろ丘は、コップの水をこぼしては「きゅうちゃんが悪いんじゃないの。おみずが悪いの」と言い、鼻血で布団を汚しては「きゅうちゃんの血とちがう。おふとんの血」などと言っている。そのかわいさに笑いながら、僕はコップの水がこぼれた理由をくわしく説明する。でも同時に、心の奥でこんな小さな声も聞こえる。「あのときは丘とちがうの。ビックルが悪いの」
 麻原彰晃でさえ裁判で弁明の機会が与えられる。有無を言わさぬ体罰はやはり人権蹂躙だ。ああ、丘よ。おとうさんもまだまだ半人前だ。


丘のさんぽ道 (17)
ディズニーの陰謀

 3才になった丘は、日々接する有象無象を次々に取り込み、その精神世界を妖怪変化のごとくに変容させながら活動半径を広げている。親子の関係も、これらの影響から自由ではいられない。
 たとえばディズニーのアニメ。わが家には「ピーターパン」と「ダンボ」のビデオ(ともにもらいもの)があるが、これらの特徴は強烈な母親礼賛だ。
 「ピーターパン」は、主人公の少女が、ピーターパンと暮らす孤児たちの“おかあさん”になるために、彼らの住むネバーランド(夢の国)へ行く話。少女が孤児たちに“おかあさんの歌”を歌って聞かせるシーンでは、外でそれを聞いていた海賊たちもみんな泣いてしまう。逆に、少女の父親はガミガミ怒鳴ってばかりで夢を理解しない人物に描かれている。
 「ダンボ」に至っては、赤ちゃんはコウノトリが母親の元へ運んでくるものであり、父親は出てこない。ひたすら母と子の強いきずなだけが描かれる。
 これらのビデオを見るようになってから、丘は明らかに母親をより特別視するようになった。わが家では保育所の送迎も家事もほぼ半々で分担しているというのに、彼はダンボを見たあとは「丘はお母しゃんが大好きなの。お父しゃんはいらんの」などと口走ったりする。
 これでは父親の立場がない。僕は父として、ディズニーの陰謀と闘うことにした。「ピーターパン」で“おかあさんの歌”が出てくると、「あぁ〜、おかーあさーん♪」のところを「あぁ〜、おとーうさーん♪」と変えて歌う。すると丘は母との愛を冒涜されたと感じるのか、いきなりなぐりかかってくる。しかし僕はめげずに「おとーうさーん」と歌い続ける。
 社会の多数派が意図的に仕向ける価値観に、丘は日々、確実に染められていっている。僕はこれをなんとなく邪魔したい心境に駆られているのだが、まあ今は彼にとって、世の中のすべてを必死に吸収しようとしている時期でもあるだろうから、少しは手加減してやるか。
 しかしやがて彼が成長し、世の既成概念の渦の中で自分なりの人生を求めてもがく時、こういった刷り込みからの解放と、天賦の才や指向性の発掘という、いわば現在の“吸収”とは逆の作業をしなければならないことにもなるだろう。
 いやいや、まてよ。医学的には、「天賦」とか「先天的」という言葉は実はあいまいだ。「3才までの子育て」が問題にされたかと思うと、それらの大分部は胎児期に外部からの影響によって形成されるのだと言われたり、あるいは遺伝情報に心身の相当部分がインプットされているのだと言われたりもしていて、先天と後天の境界はややこしくなってきている。「本来の自分」とは、誰にとっても、今現在の姿か、あるいは今後自分で作り上げていくものなのかもしれない。
 いずれにせよ、彼が自分らしさを求めて悩む頃には、父親という存在はたぶんあまりお呼びではないだろう。しかしその時、せめて彼の“心の支え”の一つになりうる程度に彼の原風景に入り込めているかどうか。彼が自らのルーツを求めた時に、幼少期を知る者としてさりげないヒントを示せるかどうか。このへんがポイントかな。


丘のさんぽ道 (18)
トトロの逆襲

 丘(3才)くらいの子どもに流れ込む情報量たるや、すさまじいの一言だ。なにしろ見るもの聞くもの、ほとんど知らないことばかり。こんなにいっぺんに頭に入って大丈夫かなと心配になるが、本人はそれでもまだまだと言わんばかり、毎日毎日まるで餓鬼のように貪欲に新情報をむさぼる。
 たとえば特急列車に凝った時は、わずか数日のうちに日本中の特急列車の名前を、 JRも私鉄も覚えてしまった。その数カ月後には「機関車トーマス」に凝り、トーマスに出てくる何十種類もの似たようなキャラクターの名前(ヘンリー・ジェームス・エドワード・ゴードン・ドナルド・ダグラス・オリバー・ダック・スカーロイ・レニアス……etc.“じゅげむ”より難しい)を、やはりわずかな期間ですべて覚えきってしまった。でもあまりにも急激に詰め込んだせいか、先に覚えた特急列車の名前はもう忘れてしまっている。久しぶりに特急の絵本を開き、大好きだった「房総特急わかしお」を指さして「これなに?」と聞くと、恥ずかしそうに「……わかれへん」と言う。
 それでも丘は、そんなことにはほとんどおかまいなしに、今日も保育所やその行き帰りや日常生活やTVやビデオから、どんどん情報を取り込もうとする。まるで「わしゃ止まったら死ぬんや〜」とでもいうかのようだ。
 そして前回書いたように、それらの情報の中にはディズニーのビデオや多くの絵本のように、古典的な母親像を強調するものが少なくない。そのせいで丘は母親をより“特別な存在”と感じるようになった。朝、目が覚めた時、妻がすでに出かけたあとだったりすると彼は必ず「おかあしゃーん」と泣く。僕が意地悪く「お父さんはおるで」と言っても、泣きながら「丘ちゃんはお母しゃんが好きなの〜、お父しゃんはきらいなの〜」と言ったりする。

 しかし、まてよ。これは本当にディズニー他の母性礼賛の洗脳のせいなのだろうか。もしそれがなくても丘がそう言うとしたら、それは僕の愛情が妻より劣っているということになるのではないか。
 これは確かめなければなるまい。僕は、子どもがすでに大きくなって絵本や子ども向けビデオがいらなくなった職場の仲間から、“父親と子どもの愛”を強調したものばかりを頼んで譲ってもらった。絵本は「おとうさん、あそぼ」「ぼくはおとうさん」、ビデオは「となりのトトロ」「あめりか物語」。なかでも丘は「トトロ」を繰り返し見た。いい具合に、トトロに出てくる父親はメガネをかけて原稿用紙に向かっていて、少し僕に似た感じだ。
 効果はてきめんだった。朝、丘が目覚める。妻はいない。丘が「おかあしゃーん」と泣く。そして僕は聞いた。「おかあしゃんが好きなの?」すると彼は「うん」とうなづいてからこう言った。
「おとうしゃんも好き」
 ヤッター! やっぱり母親への偏愛は外部からの刷り込みのせいだったんだ。よし、父親の愛の情報も刷り込んでやったし、勝負はこれからだ。


丘のさんぽ道 (19)
甘えん坊で泣き虫

 よその子と比べたくはないが、僕の息子の丘(3才)は甘えん坊で泣き虫だ。朝、保育所へ行く道では、僕と一緒にどんぐりを拾って胸のポケットに入れて行く。保育所に着くと、ママゴトの皿に2人でどんぐりを入れる。するとそこへ他の子が来てさわろうとし、皿が傾いてどんぐりが床へこぼれ落ちる。とたんに丘は「ばらばらや〜」と泣き、僕の胸にしがみついてジャンパーを濡らす。そんなことぐらいで泣く子はクラスでは他に見当たらない。
 生後7週目から託児所や保育所に通っていて、親と過ごす時間が短いからだろうか。一緒にいられない分、両親がかわいがりすぎているからだろうか。1人っ子のせいだろうか。いや、違う。なぜなら、専業主婦だった母に、1つ違いの姉と一緒に育てられた僕も、今の彼と似た感情を持っていたからだ。
 僕には彼の気持ちがわかる。僕も泣き虫で、甘えん坊だった。

 忘れられない思い出がある。幼稚園の頃だったか小学校1年か2年だったか。ある冬の朝、大阪ではめずらしく雪がたくさん積もった。7時頃、外を見た僕はびっくりして、朝食もとらずに飛び出した。まだ近所の友だちは誰もいなかった。僕は素晴らしい景色に感動し、今日は特別な朝だ、と思った。そしてまっさらの雪に幾筋かの足跡をつけてから、母をさそって2人で雪だるまを作った。胴と頭で40cmくらいの高さになっただろうか。目をつけて、鼻をつけて、手を差し込んで、帽子をかぶせた。本物の雪だるまを生まれて初めて作った。それを玄関先に座らせてしばらく眺めてから、僕は満足して母とともに家に入った。
 それから2〜3時間すると、外で近所の子らが雪合戦に興じる声が聞こえてきた。僕は雪だるまが壊されてはいないかと心配になり、玄関の戸を開けたとたん、大きな雪の塊をぶつけられた。投げたのは向いの長屋に住む村上3兄弟だった。そして投げつけられた雪の塊は、僕が母と一緒に作った雪だるまの頭だった。玄関先の雪だるまは、もはや原形を留めていなかった。それを見た瞬間、僕は切れた。そこらへんの雪か土かをわしづかみにしては村上兄弟に投げつけ、叫びながら追い回した。涙がポロポロ流れ落ちていた。村上兄弟ははじめは僕が雪合戦に加わったと思って喜んで反撃を試みていたが、僕が血相を変えて泣きわめいているのに気づき、逃げの一手に転じた。村上3兄弟の一番上の姉のミカちゃんはそれを見て、「もうー、すぐ泣くんやからっ!」と不快感を露に僕を非難した。僕はその声を聞きながら家へ走り込み、座布団に突っ伏して声を挙げて大泣きした。あれほど激しく泣いた記憶は、この時しかない。
 すると母は、窓から顔を外へ出して、「雪だるま、壊したったらあかんでしょう」と村上兄弟を叱っていた。今から思えば、母も僕に甘かった。僕はその母の声と、村上兄弟の「もう溶けてたんや」との言い訳を聞きながら、泣き続けた。
 雪だるまを壊されたのが悔しくて泣いたのではない。特別な朝の、母との美しい思い出を壊されたのが悔しかったのだ。そして母が姉より僕に甘かったのは、僕の繊細で過敏な神経を感じ取っていたからだろうと思う(その僕も今ではすっかり傲岸不遜な中小企業経営者になってしまったけれど)。

 丘が甘えん坊で泣き虫であることは、僕はまったく嫌ではない。


丘のさんぽ道 (20)
いなかの空間

 去年の7月7日に妻の父親が死んだ。それ以来、残された義母は兵庫県宍粟郡千種町の田舎の大きな家(9DK)に1人ぽっちで住んでいる。
 妻には他に姉や弟が3人いるが、それぞれが義母に会いに、子どもを連れてしばしば帰郷する。僕たち家族も盆や正月には数日間ゆっくりと滞在する。
 田舎での暮らしは、神戸のマンション暮らしとまるで違う。特に丘(3才)にとって、その違いは僕たちが感じるよりずっと大きいようだ。

 マンションの玄関の鉄の扉は、3才児が自分で開けて出ていくには重たすぎる。たとえ外へ出たところで、隣の家もやはり同じく鉄の扉に閉ざされていて、人が今いるのかどうかもわからない。いたとしても、そもそもふだんめったに出会わないから、子どもが遊びに行けるような関係ではない。仕方がないから外で遊ぼうと思っても、屋外へ出るには3階から1階まで暗い階段を降りなければならない。階段を降りて屋外へ出たとしても、敷地内にはマンション住民の駐車場があるだけ。敷地の外は道路だから危ない。
 したがって彼は、家族で外出しない休日などは、狭い家の中でオモチャを乱暴に扱ってウサを晴らすか、その狼藉に耐えかねた親に公園などに連れていってもらうか、しかない。公園に行けばそんな子がたくさんいるから、よその家庭も同じなのだろう。つまり今のところ神戸での彼の人生は、「自宅」「保育所」「公園」「ダイエー」などのピンポイント地点を親の護衛つきで移動するだけの、まるで大海原をブイからブイへと小舟で移動するような、点と線の二次元空間ヨコスベリ人生といえる。
 一方、千種の田舎。玄関の戸は3才児でも容易に開けられる引き戸。家の前には築山あり広場あり池あり田んぼあり畑あり柿の木あり栗の木あり坂道あり畦道あり小川あり。幹線道路から離れているためクルマはまず来ない。隣の家も向かいの家も開けっぱなしで丸見え。近所に子どもも多い。
 そこへ丘を放つとどうなるか。朝ごはんもそこそこに10メートルほど離れたところにあるキヅク君宅に勝手に上がりこんでユンボの玩具で遊び、それに飽きたら今度は義母宅へキヅク君姉弟を連れてきて自分のビデオを見せながら昼食をとり、そのあとしばらく家の前の築山や坂道で玩具をころがして遊んでから、30メートルほど離れたところにあるマドカちゃん宅へおしかけて暴れ、最後に向かいのスーさん宅でみかんをよばれて夕方帰ってくる、という具合で、もう忙しくて仕方がないといったふうだ。特に自分の家(正確には義母の家)にも他人の家にも勝手に出たり入ったりできるのが楽しくてならないようで、自宅マンションにいる時よりずっとキレのある身のこなしで、目の色を完全に変えつつ自由の面的広がりを謳歌する。というわけで田舎での彼の人生は、縦横無尽の3次元空間ハナシガイ人生といえる。

 なんだか単純かつ古典的な田舎礼賛になってしまったが、まあ少なくとも丘にとっては、千種の田舎の生活空間は自宅マンションよりもはるかにステキなものであることに間違いない。
 この事実は重い。さて、どうしましょう。


丘のさんぽ道 (21)


 丘(3才)が生まれてから僕の認識が大きくかわったもののひとつに、「家」についての考え方がある。
 それまでは家の構造や間取りなどに関心はほとんどなかった。問題は家賃と環境、そして駅やローソンや銭湯までの距離、つまりは生活上の便利さだった。それらさえ適当ならば文句のなかった僕は、借金してまで家なんていう巨大な買い物をするのは愚かしいと考え、「一生賃貸宣言」をしていた。
 駅前のマンションから今のマンションに引っ越した時、僕たち夫婦は増えた部屋数や静かな環境に喜び合った。しかし、丘は違った。彼は新居に住み始めてからもしばしば「前のおうちに帰ろ」と言った。それは住み慣れた家が恋しいせいだけではなかったように思う。
 それまで住んでいた2DKのマンションは、扉の要の位置に居間があり、その右側に寝室、左側に台所・玄関・風呂などがあった。それぞれを仕切る戸は常に開け放っていたので各部屋は1本の線でつながり、居間に座ると家中のすべてが全部見渡せた。プライバシーはゼロだったが、そのぶん家族の一体感があった。
 丘は、寝室の一番奥に自分のくつろぎの空間、「巣」をもっていた。その「巣」には万年床がしかれてあったので、彼は居間や台所でいたずらをしては走って「巣」に飛び込み、フトンから顔だけを出して様子をうかがう、という行為を好んでいた。風呂上がりに裸で「巣」に突入するのも楽しい日課だった。
 しかし新しく引っ越したマンションは部屋の独立性が重視されていて、各部屋はいったん廊下へ出ないと行き来できず、居間・寝室・4畳半の直接交流は不可能な仕組みになっている。必然的に各部屋は完全に機能分化した。
 その結果、丘は「巣」を失った。たとえ彼が寝室の自分の万年床に飛び込んでも、寝る時以外は誰も見ていない。ヒナにとって親の見えないところは「巣」たりえず、彼の万年床は単に寝るだけの場所へと価値を下げた。そこで彼はフトンを居間へ引きずってきて「巣」づくりを試みたが、テレビやちゃぶ台やオモチャ箱や本棚が置いてある6畳の居間はフトンを持ち込むには狭すぎて、すぐ親に片づけられてしまう。「巣」を失った丘はなんとなく寂しげだ。

 もともと子どもは家が好きだ。トトロのキャラクター押しピンを買った時も、丘はネコバスより主人公たちの家を型どった押しピンを選んだ。積み木でも必ず最初に家を作る。世間を1人では出歩けない彼らは、僕らよりはるかに家への依存度が高い。安全な家をこよなく愛し、その中に自分の「巣」を作ろうとする。
 こういう光景を毎日目のあたりにしていると、家の間取りや、ひいては家そのもものかたちや材質などについても考えさせられる。間取りは、その家の住人のライフサイクルに応じて可変性のある構造のものが理想だろう。子どもの頃はひとつながりのスペースで雑居がよくても、思春期にはある程度のプライバシーも必要だ。しかしそういった可変性はマンションには望めないし、そもそも賃貸住宅ではできない。となるとやはり「巣」は自分たちが勝手にいじくりまわせる自分たちのものであるべきで、当然それは木造でなければならないはずだ。
 そしてその家が、情操の形成途上にある彼らの心の原風景となりうるような、すてきな家なら言うことはない。鳥も動物も、彼らが最も落ち着ける固有の「巣」のかたちを持っている。日本の地に住む人間にも、その風土と文化に最もあった本当の「巣」のかたちがあるのではないだろうか。そういう家は誰にとっても最高にくつろげるものであるはずだ。

 そんななか、妻の妊娠が判明した。順調にいけば冬には2人目が生まれてくる。現実は待ったなし。グズグズ考えている間にも歳だけはとっていく。ああ。

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