「丘のさんぽ道」目次へ戻るホームに戻る

丘のさんぽ道(33)
 登所拒否(99.2)

 朝、妻はまりも(1才)を連れて7時半に仕事に出かける。僕はもちろん熟睡していて気づかないし、丘(5才)もまだ寝ていることが多い。
 やがて目覚めた丘は、隣の布団に母親がいないことに気づくとすぐに立ち上がり、よろけながらも台所、居間、化粧部屋、便所と探し、すでに出かけたあとであることを悟ると寝床へ戻ってきて布団にもぐり、「うえ〜ん」と泣き声を上げる。この一連の行為は、丘には悪いが僕にとってはおかしいやら可愛いやら。布団の中でその様子を観察しつつ、笑いをこらえるのに必死だ。そして、「丘、おとうはおるで」と意地悪く声をかける。すると丘は「ううーん!」とうなり声をあげて叩いてくる。それでも、「ほら丘、ここおいで」と布団の端をめくると、「ううーん!」とうなりながらもノソノソもぐり込んでくる。
 そしてしばらくは男同士でぬくぬくしてから、一緒に起きてごはんを食べ、保育所へ行く。

 が、この日、丘の機嫌はなかなかなおらなかった。
「ぼく、きょう保育所やすむ」
 と言って、着替えようとしない。
「ほれ、遅刻するがな。はよ着替えんかい」
 と無理やり着替えさせ、靴を履かせたが、リュックを持とうとしない。理由を聞いても答えない。
「ぼく、きょう保育所やすむ」
「なんでやねん。はよ行くで」
 マンションの階段を降りても、自転車の荷台の子ども椅子に乗らない。しかたないから自転車を押して歩きだすと、5メートルくらい後ろをとぼとぼ歩いてついて来る。こんなことは初めてだ。道々何度か「はよ乗り!」「休むの!」のやりとりがあり、結局、自転車を押したまま保育所の門まで来た。園庭ではいつも通りに子どもたちが遊んでいる。僕はいつものところに自転車を止めたが、丘は門の10メートルくらい手前で止まって、「きょう保育所やすむって言ったでしょう!」と近寄らない。
「でも、おとうはお仕事に行かなあかんから。ほな、夜におかあがお迎えに来るまで、公園で1人で遊んどくか?」
「いやや」
「ほな、どないすんの?」
 すると丘は小さい声で、「おとうのおしごとに行く」と言う。
「お仕事おもしろないで。小学校に行くようになったら連れて行ったるから、そのときはお手伝いしてえな。だから今日は保育所でええやんか」
「いやや。おとうと行く」
 丘は向かいのダイエーの陰に隠れてしまった。その時、園庭から様子を窺っていた副所長の保母さんが、なにごとかと出てきた。
「今日は休む、僕の仕事に一緒に行く言うて聞かへんのですわ。しゃあないから今日だけ連れて行きますわ。いっぺん行ったら気がすむやろし」
 すると保母さんはダイエーの陰に隠れている丘のところへスタスタと行き、「今日だけやで、明日は来るんよ」と指切りをして、戻って行った。
「さあ、ほな丘、行こか」
「……指が痛かった……」
 保母さんの指切りの感触は、丘の小指に強く残されたようだった。
 電車とバスをおとなしく乗り継いで茨木の仕事場へ来た丘は、若い女性スタッフらに「かわいい」と歓迎され、わがままを通したことを自覚してか伝票のハンコ押しにこつこつと励んだ。昼は丘のリクエストに答えてカレー屋に行くと、いつもは残す「お子さまセット」を全部食べた。食後は、たまたま職場に来た僕の父(定年後、僕の仕事を時々手伝ってくれている)に寝屋川の実家へ連れて行ってもらい、夕方また連れて来てもらって、バスと電車を乗り継いで帰った。帰りの電車では、午前中の殊勝さはどこへやら、いくら叱ってもフザケ回るいつもの丘に戻っていた。

 結局、登園拒否の理由はわからずじまい。翌日以後は、目覚めた時に母親がいないと、探したあげく泣いて僕の寝床へ入るのは同じだが、保育所へは普通に通っている。妻はといえば、丘あてに「きょうもげんきにほいくしょにいってね」といった置き手紙を毎朝残して行くようになったが、丘はそれにはあまり関心を示していない。そして僕は、丘が押してくれた出金伝票のハンコ(さかさまだったり、にじんだりしている)を見るたび、なぜか胸にじんとくる不思議な感覚を覚えている。


丘のさんぽ道(34)
 春ですね(99.4)

 ぽんぽんぽーんと春が来た
 どこかで芽が出るぽんぽんぽん

 丘(5才)は毎朝パジャマのままグズグズして、保育所に行く時間になっても着替えようとしない。いくら言っても無視してビデオを見ている。僕がスイッチを切っても、にやにやしながらまたつけて、バスタオルにくるまってゴロンと横になる。
 ここで、「体罰はしない」主義の僕もついに怒り爆発、バスタオルをはぎとって廻し蹴りを尻に2発。丘はまだビデオを死守する構え。僕は再度スイッチを切り、リモコンを取り返しに来た丘の目の前で子供イスを派手に蹴り飛ばし、「おとうさんの目え見てみい!」と怒鳴って目を血走らせる。これでやっと丘は顔をゆがめ、涙をあふれさせる。
「泣くな! 着替えろ!」
 厳しく命じて部屋を去る。こっそり覗くと、泣きながらしょんぼりと着替えている。
 外へ出ると、とたんに春の風が僕と丘を包む。2人は手をつないで走る。
「丘、さくらが咲いてる!」
「うん、だからぼく、今日からぞうぐみやねん!」

 ぽんぽんぽーんと手をたたこう
 つくしのぼうやがぽんぽんぽん

 翌日。まりも(1才)は妻の職場の託児所に毎日あずけられていたが、この日から丘の通う市立の保育所の「りす組」に一緒に通うことになった。初日はおしめやらタオルやらポリ袋やら、いろんなものを持参して所定の場所に配備しなければならない。
「丘、まりもの準備はややこしいから、丘も一緒に覚えといてな」
「うん!」
 丘は、まりもと一緒に保育所に行くのが楽しみで待ちきれない。ふだんからみんなが「まりもちゃんかわいい」と言ってくれるので、兄として鼻が高いらしい。登所時間の2時間も前から着替え、「まだ行かへんの?」と言っている。仕方がないので早めに出て、近くの公園でさくらの花の蜜を吸ったりしてから保育所に着いたが、まだ9:20。手のかかる登所初日児は9:30になってから連れて来るよう言われていた。
「丘、りす組はまだやねん。先にぞう組に行こ」
「え? でもコースケくん来てたで」
 コースケくんというのは、たぶん延長保育(全年齢児が同じ教室で過ごす)で一緒の子だろう。昨日までのりす組なら今日からこあら組に進級しているはずだ。
「コースケ君、こあら組になったんちゃうか。さ、ぞう組に行こ」
 一方、まりもは砂場に行きたくてしょうがない。丘は兄として妹を引き戻そうとするが、大人のようにはいかず、まりもは転んで泣く。それを見た保母さんに、
「あらあら丘ちゃん、嫌がってるよ。腕を引っ張ったら抜けちゃうよ」
 と注意されて、丘は不満顔だ。
 丘の準備を終え、やっとりす組へ。丘はまりもの準備を覚えようと張り切って向かったが、保母さんに「赤ちゃんの部屋に入ったらダメ」と、りす組入り口の戸を閉められてしまった。「丘、外で遊んできてもええで」と僕が言うと、丘はいなくなった。
 まりもの準備を終えてぞう組に戻ると、ソファーで丘が目を赤くしてすねている。「あれ、怒ってんの? ごめんな、まりもの準備手伝ってって言うてたのになあ」と頭を撫でても怒りは収まらず、僕を軽く叩きながらこう言う。
「コースケくん、そんなすぐにこあら組にならへんわ!」
 丘はさっきりす組の入り口で、中にコースケくんがいるのを確認したようだ。丘はコースケくんがまりもと同じく、今日からりす組になることをちゃんと知っていたのだ。丘は延長保育のクラスでは、「特に小さい子にやさしい」と評価されていた。
 丘はこう言いたかったに違いない。
“おとうが妹の準備を手伝えって言うから張り切っていたのに、注意されたり入室を禁じられたりするし、コースケくんがこあら組とか、全部おとうはいいかげんだ。おとうは偉そうに怒るくせに!”

はーるで・す・ね、ぽんぽん
はーるで・す・ね、ぽんぽん


丘のさんぽ道(35)
 大きくなったら(99.5)

 小学生の「将来なりたい仕事」で、プロ野球選手などをおさえて今年はじめて「大工さん」が堂々の1位に選ばれたらしい。でもひるがえって自分のことを思い出すと、そんな子どもの頃、僕は将来のことなんて本当に考えていただろうか、とも思う。
 丘(5才)も時々、そのようなことを周囲の人に聞かれたりしているらしい。「わかれへん」とか「ぼく、まりもちゃん(1才半)と結婚するわ」と答えたりしているのを見聞きしたことがある。
 ところで先日のある朝、丘は聞きもしないのにこう言った。
「ぼく、おかあさんの病院のお医者さんになるわ」
 おかあさんは看護婦をしている。そしておとうさんである僕は、日本で最も過激と言われる医療批判の月刊誌を発行しているのだが、そんな僕から見て、丘は医療との“幸運な出会い”を経験している。
 もちろん、2才近くまで病院の託児所に通い、母親の仕事が長引くと看護婦詰所で時間つぶしをしていた丘は、そもそも病院には馴染みがある。が、それだけではない。
 だいたい子どもは医者にかかることが多い。僕の職場のスタッフの子ども(3才)は父親が内科医師なのだが、中耳炎がクセになったらしく10回以上も耳鼻科で鼓膜切開をしたため、病院を見ただけで泣き叫ぶようになったという。
 まあそれでなくとも、やれ予防接種だなんだと、“押さえつけられて痛いことをされる”のが一般的な医療との出会いのパターンではないだろうか。
 しかし丘は違う。丘は予防接種を受けておらず(日本のワクチンには疑問が多く接種を受けるに価しない、と僕が判断しているため)、2才までに百日咳をはじめおおかたの感染症を自力で乗り越えたせいか、やせっぽちでひ弱なガタイのくせに感染症にはやたら強い。保育所で特定の感染症が一斉に流行する時や、毎年恒例のインフルエンザ流行時も、常に元気に登所している。結果的に“注射”というものをほとんど経験していない、つまり病院で痛いことをされたことがない。
 そのかわり、やけどや怪我は多い。
 1年半ほど前、妻の故郷で僕と自転車の2人乗りをしていて後輪に左足を突っ込み、丘のくるぶし周辺の肉が避けたことがある。その時は車で宍粟郡民病院というところへ駆け込んだが、居合わせた医師やレントゲン技師がことのほかやさしかった。丘は傷口を丁寧に保護され、精神的にも安心して、「病院は痛みや不安から僕を助けてくれるところ」と理解した。
 1年ほど経ったある夜、丘は滋賀県のある温泉の前でころび、右手の小指を骨折した。小指が第二関節から外側へ直角に折れ曲がっていて、ぎょっとした。あわてて近くに病院はないかと探したが、丘は泣きながら「おばあちゃんのおうちの近くの病院へ行く」と言う。宍粟郡民病院で助けてもらったことを思い出したらしい。
「それは遠すぎる」
 と言うと、
「そしたらおかあさんの病院へ行く」
 と言う。それも遠い。結局、大津市民病院に駆け込んだ。しばらく待つと当番の技師が自宅から駆けつけてレントゲンを撮ってくれたが、この技師がまた感じがよかった。そのあと診察した医師も、ソフトで丁寧な医師だった。帰り道、当て木をされ包帯を巻かれた指を見ながら、丘は、
「みんなやさしかった」
 と嬉しそうだった。その後、妻の勤める病院の整形外科にしばらく通ったが、そこの医師も丘好みのソフトな医師で、丘はすっかり病院というものに信頼と愛着を感じるようになったらしい。
 しかも、病院にはおかあさんがいる。医師になれば、おかあさんといつも一緒にいられるのではないか。
 それで、「ぼく、おかあさんの病院のお医者さんになるわ」との発言になったのだろう。
 もちろんこれは病院と母親への親近感を表現したものであって、「ぼく、まりもちゃんと結婚するわ」というのとニュアンスにおいて大差ない。親としては、これを真に受けて子どもに変に期待したりしないことがなにより肝心だ。
 ただ、少しばかり我田引水させていただくと、ここには医療の理想的な姿が投影されているともいえる。これからも丘の信頼を裏切らないような、さらには「お医者さん」「看護婦さん」が「大工さん」と並ぶような、そんな医療であってほしいと願う。