その夜、俺はソウル中心部・チョンノ(鐘路)でカルビタンを食っていた。
チョンノには、おしゃれな骨董・土産物屋や垢抜けた飲食店が並ぶインサドン(仁寺洞)というにぎやかな通りがあり、そこには日本人をはじめとする外国人観光客がいつもたくさんいる。レストランの表に貼り出されているメニューには、ハングルとともに日本語で料理名が書かれていたり、日本語のわかるスタッフがいたりして、安心して注文できる。
だが、そういう店は概して値段が高めだ。それに、俺みたいなオッサンがそういうところで日本人の女性グループや家族連れに混じって一人で飲み食いしても、あまりおもしろくはない。
インサドンの東南、タプコル公園の東側あたりに行くと、ジモティご用達の安い店がたくさん並んでいる。その中の1軒に入ったときの話だ。
小さな店なので、俺が外国人であることは注文時のやり取りからすぐに店員にも他客にもばれてしまう。近くにいたおじさん客に「日本人か?」と聞かれたりした。
運ばれてきたカルビタンは熱せられた石鍋に入っており、ボコボコボコッと豪快に沸騰していた。俺は「おぉっ!」と声をあげ、うれしがって写真を撮ったりした。
気泡風呂状態のカルビタン
食べながらフト見ると、カルビタンに何やら赤黒い物体が浮かんでいる。これは何だろう。俺はそれを匙ですくい、店員の若いにいちゃんに尋ねた。
「これは何ですか?」
「テチュです」
「え?」
「テ、チュ」
「辛いですか?」
「いえ、辛くないです」
「食べられますか?」
「ええ。中にタネが入っているので、それを出して」
「タネを食べるのですか?」
「いや、タネは出して、実を食べます」
店員は食べ方のゼスチャーをした。
「あー、わかりました。・・・もう一度これの名前を」
「テ、チュ」
にいちゃんはレジにある紙にハングルとローマ字で「テチュ」と書いてくれた。
食べてみると、それはどうやらナツメのようだった。
まあそのようなやりとりをしながら機嫌よくカルビタンをほとんど食べた頃、近くのテーブルにいた50代なかばくらいのおじさん客が席を立った。
レジで会計を済ませたおじさんは、帰り際に、その店の出入り口の横にあるドリップ式のコーヒー自販機で食後のコーヒーを買っているようだった。
俺はそれを気にも留めずに引き続きカルビタンを食っていたのだが、その直後、俺の目の前に、ホカホカと湯気を立てるコーヒーの入った紙コップが置かれた。
驚いて目を上げると、さっきのおじさんがニコニコ笑いながら俺の目の前にいた。おじさんは自分の分とともに俺の分までコーヒーを買い、プレゼントしてくれたのだ。
おじさんは、
「Have a nice trip !」
と言ったかと思うと、すぐに自分のコーヒーカップを持ってそのまま店を出て行った。
俺もとっさに大きな声で「Thank you very much !」と返し、おじさんのかっこいい後姿を見送った。
おじさんは、俺がたどたどしい韓国語で店員とやりとりしているのを聞いて、おそらくほほえましく感じたのだろう。
それにしても、若い女の子にならともかく、無精ヒゲをボーボーに生やした45歳のオッサン外人(しかもビールをガバガバ飲んでいる)にそっとコーヒーを持って行くような日本人はまずいまい。
感情表現のストレートな韓国人たち。嬉しければ喜び、悲しければ泣き、腹が立てば怒鳴る。
そして外国人に好感を覚えたとき、彼らはもう何かしてあげずにはいられなくなる。
俺は、これから韓国にはたびたび来てしまうだろうな、と感じた。
|