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   編骨日誌
  (下へ行くほど日付が古くなります)
白浜温泉を応援しようネコマタの滝に挑戦しよう

2016.10.23(日) とうとう更新停止します

 まいはーい。まっちゃんです。
 いや・・・懐かしいわこの挨拶。自分で考えたのに、誰かのマネしてるみたいに感じる。

 ちゅーよーなことで前回の日誌から4ヵ月もあいてしもたわ。
 死んだと思った人もおるかもしれんけど、生きてるねんで。まーね、やること多いのよ。
 この日誌も書こう書こうと思いながらも、つい面倒くそーて。

 かといって、決して世間様との関係を閉ざしてしまったわけではございません。
 この日誌に書いてきたようなゴタクやお知らせは、ツイッターやらフェイスブックに書いているのです。アップが格段にラクチンやからね。レスポンスも速いし。

 しかしまージッサイ問題4ヵ月もあくようでは、もはや完全に機能も存在価値も失っているねこの日誌は。
 書こうと思いつつ書けてない、というベンピな心地を4ヵ月も抱えて過ごすというのも多少なりともストレスなものであります。
 ワタクシももうすぐ54歳。ストレスは即、体の不調となって現れるオトシになっておりますからなワッハッハ。
 限られた余生、より身軽に生きねばなりませぬ。

 よってこの長きに渡って存在してきたわが編骨日誌、ここに来てついに更新停止の決断を下すことにいたしました。

 それはさみしい、まっちゃんのゴタクを読みたい、とおっしゃる奇特な方がおられましたら、上記ツイッターやフェイスブックのまっちゃんアカウントをご自由にフォローしといてくだしゃんせ。しょーもないことをうるさいくらいにほざいてますからね。

 そうそう、激渋銭湯激渋食堂のページは、こつこつとアップし続けてますよ。むしろ異常な勢いで。
 ゴタクやお知らせは上記フロー型SNSで十分やけど、施設情報などはやっぱしサイトで管理するほうが有効やろからね。

 ほなまー皆の衆、そーゆーことで。そのうちこの日誌そのものも閉鎖すると思います。憶えてたら。
 あ、最後になんぞ写真貼っとこかな。昨日まで九州におったけど、往路の船からの写真。

 薄紅の凪(スマホで)

 でも旅行中、今ひとつ天気よくなかった。
 先月行った今治の写真も貼っとこか。

 潮の上がるドブ川

 ……暗いな。その前の月に行った北海道の写真にしとこか。

 函館の妙な夕暮れ

 始発の釧路駅

 台風一過の空燃える

 北海道も台風ばかりで変な天気やったのよねー。
 唯一晴れたときの写真がこれ。

 啄木の墓から

 せっかく天気ええのに墓地で撮ってるし。でもここ、俺の理想の風景に近いのよね。もうじき死ぬのかな?
 ほなま、そーいうことで〜。

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2016.6.25(土) 真実発覚

 じめらますて。まっちゃんです。
 梅雨である。今日は大雨が降った。

 前回この日誌を書いたときは、たしか桜が終わったばかりの季節だった。ということは5月に一度も書かずに6月になり、それももう終わりかけている。
 日誌さぼり2ヵ月以上となり、過去最長記録となった。

 この間、なにもしていなかったわけではない。
 たとえば「激渋食堂メモ」は毎日のように更新しているし、当サイトも長年のうちに各所さまざまな不備が出てきているのをコツコツと直している。「関西の激渋銭湯」も少しだけデザインを変えた。
 同時に、不要なものは少しずつ整理している。たとえばこの日誌も、一部を軟弱コラムに残しつつ、2008年以前のものはすでに削除した。今後もさらに整理を進める所存だ。

 ところで、4月4日の日誌で、母方祖母のおシナさんが蘇州でタバコ屋をやっていると書いた。
 が、その後、いとこらに教えてもらったところによると、それは間違いだった。
 まず、おシナさんはタバコ屋をやっていたのではなかった。そして中国人と結婚していたのでもなかった。
 おシナさんは日本人の貿易商と結婚して、中国へ行ったのだ。

 その貿易商はタバコではなく、おもに酒を扱っていたそうだ。だが中国での事業が頓挫し、おシナさんともいろいろあって別れて、それぞれ帰国した。
 そして、その後おシナさんが蒔絵師と再婚したというのも間違いだった。絵描きだったのは再婚相手ではなく、おシナさんの父親だった。
 いちばん年上のいとこは、その絵を見たことがあるという。大がかりな絵を描く日本画家だったらしいが、おシナさんの再婚相手は、わりと普通の人だったようだ。そして早くに亡くなった。

 さらに、おシナさんは母が小学生くらいのときに死んだらしい、というのも間違いで、それは俺の姉に指摘された。姉はなんと、おシナさんに会ったことがあるという。
 姉は証拠として、赤ン坊の姉を抱くおシナさんの写真を見せてくれた。
 母が小学校くらいのときに死んだのは、再婚相手だった。おシナさんは俺が生まれる頃まで生きていた。

 というわけで、俺の記憶は全面的に間違っていた。
 この日誌を読んでいる方にはまったくもってどうでもいいことだが、いちおう訂正しておきたい。

 父方の祖母がタバコ屋をしていたので、いつしかそれと混同してしまっていたのだろう。
 しかし、わざわざ蘇州までタバコ屋を見に行ったファンタジー脳の俺はどうしたらいいのだろうか。

 蘇州に夜着いて、タバコ屋を見たあと宿に入った俺は、翌朝早く起きた。
 そして散歩に出かけた。
 着いたときは真っ暗でわからなかったが、宿の前はこんな風景だった。



 おめでたい脳みそを引きずったままの俺は、それ以後もタバコ屋を見つけるたびに中を覗き込んだりしながら、蘇州に3泊したのだった。 (つづく)

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2016.4.18(月) 上海の老西門

 まいはーい。まっちゃんです。
 蘇州について続きを書く前に、上海の老西門のことを少し書いておきたい。
 俺はここでまず頭を、いや心をガツーンとやられた。

 上海はその近未来的な発展ぶりがしばしば話題になる。
 実際、上海虹橋空港から市の中心部へは、日本でも未だ実用に至っていないリニアモーターカーが大勢の客を乗せてすっ飛んでいるし、空港バスに乗れば何本もの高速道路がすさまじいまでに絡み合っているのを観察できる。
 市の中心部には写真でよく見る斬新な高層ビルが群をなし、郊外には無数の高層マンションが果てしなく林立し、地下には網の目のように地下鉄が張り巡らされ、他の主要都市とはことごとく新幹線(高鉄)で結ばれている。

 しかしそうなったのはわりと最近の話で、しかも俺としてはそういう近代的なものをいくら見せられてもほとんど面白味を感じない。ビル群は大阪にもソウルにもシンガポールにもあるし、「ふーん、経済発展してるんやね」というだけだ。
 だが、急速に再開発が進んでいる上海でも、「老西門」というエリアには高度成長前の上海の市街地が残っているとガイドブックの片隅に小さく書いてあった。
 長江を見るために朝から長い距離を歩いて疲れてはいたのだが、まだ日暮れまでは2時間ほどあるし、いちおう見に行ってみることにした。

 地下鉄老西門駅で下りて地上に出ると、わっと都会の喧騒に包まれる。上海のほかの地域と同様、高層ビルが立ち並び、広い道路をびっしりと車が埋めている。
 老西門とはかつての上海の城塞の西門に当たる場所だが、城壁はなく、城門の場所は大きな交差点になっていて、昔の面影はまったくない。
 その交差点に面して、「華夏銀行」という少し古いビルがある。このビルの東側が旧城内になるはずだ。



 俺は華夏銀行の裏手に回り込んでみた。
 すると、いきなりこんな路地が現れた。



 この路地に入ったとたん、大通りに鳴り響いていた車のエンジン音やクラクションなどの音は一切、聞こえなくなった。
 ここは違う・・・それまで歩いていた現代都市・上海のまちなみとは明らかに違う。
 俺は目を見開きつつ、ゆっくりと歩みを進めていった。
 そのときふいに、路地の隙間から一人のおじいさんが現れた。リュックを背負った俺は一瞬ドキっとしたが、不審者と思われてもナンなので、「ニイハオ」と言ってみた。
 するとおじいさんはニッコリ笑って、「ニイハオ」と返してくれた。

 およそ中国人は愛想がなく、初対面で用もないのにニッコリ笑ってもらえることはほとんどない。
 俺にはおじいさんの笑顔は、
 「ようこそ、上海へ」
 と言ってくれているように感じられた。

 その路地を過ぎると、まるで記録映画を見るような100年前の懐かしい上海の街が(もちろん初めてだが、そんな感じがした)次々に目の前に押し寄せてきた。
 いったい何なん!? 何やのんコレ・・・!











 







 



 家々はみな狭くてボロいのだが、廃墟感はまったくない。どの家にも人がぎっしり生活していて、ばりばり現役だ。
 そして老いも若きも家の前に椅子と机を出して、ゆっくり新聞を読む人、マージャンをする人、それを覗き込む人、菜っ葉を刻む人、タバコをふかす人、洗濯物を干す人、九官鳥にエサをやる人・・・毛筆で書道をしているおじいさんまでいる。
 狭い路地を歩けば歩くほど、それらの生き生きとした光景が走馬灯のように、あるいは映画のコマ送りのように、これでもかこれでもかと左右を流れていく。

 夢を見ているようだ。
 俺はとり憑かれたように、時間を忘れて歩き回った。(つづく)

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2016.4.4(月) 蘇州のタバコ屋

 まいはーい。まっちゃんです。

 たしかなことはわからないが、俺の母方の祖母は中国の蘇州でタバコ屋をしていた。
 19年前のこの季節、桜吹雪の中で死んでいった母がそう言っていた。

 家族親戚の反対を蹴って中国に渡り、中国人と結婚して、蘇州でタバコ屋をしていたのだという。名前は「おシナさん」だったと聞いた記憶があるが、本名なのかどうかはわからない。
 しかし結局は大阪に戻り、日本人の蒔絵師と再婚して、三姉妹を産んだ。その末っ子が俺の母だ。

 おシナさんは母が小学生くらいのときに死んだらしい(蒔絵師はもっと早くに死んだらしい)から、くわしい事情は知らされないままだったようだ。
 でも母はときどき、「いっぺん蘇州に行ってみたい」と言っていた。
 それが叶わぬまま母も死んでしまったが、俺の心の片隅にはその言葉がずっと住み着いていた。

 それから19年。俺はこの3/17から数日間、ようやく母が行きたかった蘇州を訪れた。
 これまで韓国・台湾・香港など中国の外縁部はしばしばウロついていたけど、なぜか中国大陸に足を踏み入れるのは初めてだった。でも踏み入れるときはまず蘇州、と決めていた。

 上海に1泊したあと、鉄道で蘇州に入った。
 上海の老西門の下町があまりに素晴らしくてギリギリまでうろついてしまったため、蘇州に着いたのはもう夜中だった。
 蘇州駅から地下鉄に乗り、臨頓路という駅で下りる。
 そこから歩いて10分たらずの宿へ向かう途中、1軒のタバコ屋が明かりをつけていた。



 俺はタバコは吸わない。むしろ嫌煙家だ。
 でもこのタバコ屋を見たとき、懐かしさとも到達感とも違和感とも、なんとも形容しがたく凝縮された一人よがりな感情が胸にこみ上げてくるのを感じた。
 (つづく)

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