チープに極楽。生きててよかった!
| 関西の名銭湯 【紀北】 |
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| 南海湯 ★(和歌山市) 芦原温泉 ★(海南市) 新町湯 ★(海南市) (廃業) むらさき湯 (海南市) |
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南海湯 ★
和歌山市街地の南端、万葉集に歌われた風光明媚な和歌の浦。最寄り駅は紀三井寺だが、それでも2kmくらいはあるだろう。 紀州徳川家を祀る東照宮にほど近いシナビた商店街の中に、小さな古銭湯ひとつあり。 正面は白い四角形状態に手が加えられているが、周囲のまちなみの雰囲気と溶け合って、ただものでないケハイを発散している。渋銭ファンにはわかるはず。 御影石を踏んで暖簾をくぐると薄べったい下足スペース。イニシエ色のガラス戸が期待感をくすぐりやがるぜ。 中に入ると、番台にほがらかなおかみさんが座っている。ウナギの寝床的な脱衣所はチープな合板系で改装されていて、ロッカーもアルミ。でも板張り床が足裏に心地よし。 浴室へのアルミ戸を開けた瞬間、脳髄がぼあ〜っと上気する。ぼあ〜っとくるんだよ、ぼあ〜っと。ようするにメタクソ古いわけや。 床はモロチン、もとい、モチロン石畳。隙間はピンクのタイルで埋められている。 んでもって中央にデンとある湯舟も石造りなんだが、これがまた古いのなんのって、石が部分的に茶色く変色しとるがな! しかもその変色っぷりがまるで一幅の南画のごとき味わいだ。この色あいは普通の絵の具では出せんぞ。 湯舟の周囲には大阪式の座り段がない。床からズバンと立ち上がる石湯舟が感動的だ。湯舟に水を注ぎ込む野太いパイプと蛇口もまた渋い。 奥に並んでもう1槽、こちらはタイル張りの浅風呂気泡つきだが、へりの黒タイルがまた質実剛健テイストで捨てがたい。 お湯は熱いがやわらかい。これぞ銭湯、ザ・ベスト。 いや〜、いいよ、ここ! 壁は腰高まで緑色の2cm角タイル、その上は白タイル。奥壁には岩を模した石板があしらわれている。 男女壁には、駿河の浜辺から眺める富士山のタイル絵がある。タイル84枚、なかなかの秀作ではないか。 カラン、シャワーの出もよし。お客も次々とよく回転している。 上がりは飲み物もいろいろあり。 おかみさんに聞くと、創業は明治18年、現在の建物は大正13年くらいに建て替えたものだそうだ。浴室の床や湯舟はその当時のものだが、富士山のタイル絵は「もうちょっと新しいかも」とのこと。 和歌山駅や中心部からは遠いが、旅情あふれるまちなみともども、訪れる価値は高い。特に石の湯舟の渋さは、他ではちょっと味わえないものだ。 おかみさんの人柄もナイス。常連客もみなフレンドリーで脱衣所の居心地もよろすい。 バス停は「和歌公園」が近い。 (08.5.23) |
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芦原温泉 ★
海南駅から一番近い銭湯。東口を出て高架沿いに北上し、川の手前を右折、最初の路地をまた右折。駅から5分くらい。 大阪伝統の凸型玄関、その両脇の前栽に大きく樹木を茂らせた激渋系だ。 半年前、前を通った俺をクギヅケにしたオーラを忘れられず、南紀からの帰りにわざわざ途中下車して訪れた。 ![]() そして夜にはこの雰囲気暖簾をくぐると広めの玄関。期待に違わぬ渋い空間だ。 ![]() (左)上がりがまちにはどっしりした木が使われている (右)入口のすりガラスも最高 古い木の戸をなめらかに開けると、木の番台におやじが座る。 いにしえ系としては中型の銭湯。天井はブリキ板かな。床はカーペット、ロッカーはアルミに改装されている。 でも前栽がよろすいがな。大きく育ったサザンカの木には、真っ白な花が満開状態。その下には池があり、10cmオーバーに育った和金がたくさん泳いでいる。 前栽の手前スペースにある木の台がまた渋い。赤ちゃんのオムツ交換台みたいだが、よくあるように一人分ずつ分かれておらず、幅2.5メートル、奥行き1メートルほどの大きな作業台ふうになっている。 裸になって浴室へ。 入って右手に流しがある。床は細か目のタイル張り。天井は男女セパレートの四角錘になっていて、それぞれ中央に四角い湯気抜きが開いている。 右寄りに深浅の主浴槽がデーンとあるが、これがなかなかすばらしい。 ぶ厚いフチにはカマボコカーヴがつけられ、1cm角の小さなえんじ色タイルがびっしり張られている。 深と浅の仕切りも同じタイル使いだが、全面が仕切られておらず、両端から中央部分に向けて凸カーヴを描きながらぐぐ−っと浅の底までの切込みになっている。これは初めて見た。 しかもその切込み左右の仕切りにそれぞれジェット噴射穴があり、深風呂に向けて噴出している。うまく説明できんな。 深風呂の深さがまたよろすい。立ってヘソまで、座って首までのたっぷり主義オーケー。底面は深浅とも、濃緑と白のタイルが市松張りになっていて美しい。 内部のちょっとしたデザインやタイル使いが、いちいちすぐれている。マニアならたぶんあちこち見て触って、「おっ!」「おおっ!」と小声を発してしまうだろう。 奥の浅い副浴槽は電気風呂、弱めだから初心者もオーケー。 湯温は42度弱、俺にはややぬるめだが一般人にはこれくらいがオーケー。 外側の壁にはカランとシャワーが並んでいるが・・・おっと、ここでまた初めて見るもの登場。カラン壁には細かい緑色のタイルが張られているが、赤いカランの横には「湯」、青いカランの横には「水」と書かれた10cm角の白タイルがそれぞれはめこまれているぞ。文字を書いてから焼いた特注品だ。 鏡位置には横一線にラーメン鉢柄のデコボコタイル、これもマジョリカタイルの一種なのか? 同じものが男女仕切り壁にも使われている。 もひとつ書いておくべきは清潔感。古いタイルが隅々まで磨かれて輝いている光景はまったくもって美しい。店主の愛情を感じさせられる。 ぱっと見はナンてことないシンプルなプチ銭湯だが、さりげなく深い味わいが染み出す名銭湯だ。 あがりは飲み物販売あり。 定休日を聞くのを忘れてスマヌ。俺が行ったのは木曜日です。 (06.1.20) 帰りしな、玄関の暖簾を裏から見る |
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新町湯 ★
海南っちゅーところは街の規模の割に渋い銭湯がたくさん残っている。その中で、ひときわ異彩を放つスーパーレトロ銭湯として名高いのがここ。 海南駅から北西に徒歩10分弱ほど。市民病院の向かいに、古い銀行か何かを思わせる洋館あり。むむむぅ、でかい。堂々。立派。 あちこちに配された猿や天使の装飾が、隠れキリシタンの秘密結社か銭湯カルト教団の総本部を思わせる。 ![]() (左)全景(開店前) (右)無言で歴史を物語る玄関 ![]() (左)りりしいエッジ (右)ナナメ後ろから。看板建築でなく本物の洋館 ![]() (左)猿は温泉の使者を表す(ウソ) (右)天にも昇る心地よさを表す(ウソ) 昼にまず場所と営業時間をチェックし、夕方に暖簾の下りた状態の写真を撮りに戻り、そして夜になってから入浴に来るという万全の一日3回訪問態勢で臨んだ俺、まさしく銭湯カルト狂信者。もう誰もかまわないでくれ。 で夜、もうクタクタで倒れこむように暖簾をくぐる。 その瞬間、ただならぬ古代の霊気が俺を金縛りにする。 まさに銭湯界の最終兵器。なにこれ、この重々しさ、このヒストリカル。トロイを発掘したハインリッヒ・シュリーマンの興奮が今、ここに蘇る。 ![]() (左)タイル張りの上がりがまち (右)下足室に番台スペースが突出 脱衣所入口、周囲の木にもすべて洋風装飾身震いしながら黒光りの玄関スペースで靴を脱ぎ、やさしく揺れる第二の暖簾をくぐると、どっひゃぁ〜〜。まさに銭湯界のクレタ文明が今ここに生きている! この番台・・・この造り・・・かなり広い空間のすべてが古代遺跡状態。まさに銭湯界のカッパドキア文明が今、奇跡のベールを脱いだ! ![]() (左)番台前のナナメ小部屋は元電話ボックスらすい (右)下足室は脱衣所内に突出 ![]() 天井の随所に見られるメソポタミア文明の遺跡 ![]() (左)ロッカーは「いろは」が打たれた透明フタ (右)右のアーチの向こうが浴室、左は中庭 言葉を失った俺が番台の主に尋ねると、昭和元年の建物だという。1925年、ちょうどアレキサンダー大王がペルセポリスを陥落させた年である。 7時半、俺のほかにお客はいない。俺は古代遺跡でスッポンポンになる幸福に打ち震えながら、タオルと石鹸を携えて、浴室へと続くキリキア門のアーチをくぐった。 浴室手前に中庭あるが、もはや庭として飾られておらずツワモノどもが夢の跡、シランだけが茂っている。 そしてフルチンの俺はついにモヘンジョダロに足を踏み入れた。すぐ右手にタイル張りの流しがある。 浴室もかなり広い。天井は男女共通の高い四角錘で、中央に湯気抜き。 カラカラ帝が使用したと思われる湯舟は隔壁寄りに深浅、こまかい豆タイルがびっしり張られている。 奥壁近くに、異様に浅い小さな湯舟がある。幼い王子たちがここで湯を浴びたのだろう。ここはリスの置物から湯が出るようになっている。 その右の壁には水槽がはめ込まれ、金魚がたくさん泳いでいるが、水槽の表面ガラス内面に生えたコケで見えにくいのが残念。 さらに反対角には大きな石を使った岩風呂がある。驚いたことに、岩風呂のフチの岩に緑色のコケが生えている。しかも岩が緑色になっている程度のものではなく、谷川などに生えているしっかりしたフワフワ本物のコケらしいコケだ。生えて軽く2000年は経過しているだろう。湯がかかるのに枯れないのは、現代人には想像もつかない古代の魔法が作用しているに違いない。 これら金魚水槽から幼児風呂、岩風呂にかけての部分の床は一段高くなっており、珍しいことにコンクリ床に玉石が多量に埋め込まれている。この玉石は古代シュメール遺跡で発掘されたものと同じものと思われる。 湯はすべて同じ温度でかなりぬるめ、41度あるなしだ。 それぞれのカラン前に椅子と桶がきちんとセッティングされているのがめずらしい。プトレマイオス2世の流儀と言われている。 カランまわりにも豆タイルがびっしり張り込まれ、シャワーもある。だが出入り口横の立ちシャワーは機能していない。タイルに浮き出た地層から判断すると、ベスビオ火山の噴火時に破壊されたのだろう。 上がりはちょっと変わったお風呂ドリンクなどもあり。 岩風呂に生きるコケの秘密について番台の主に聞くと、こういう答えだった。 「あの岩は生きている。湯がかかってもコケは枯れず、丸坊主に掃除してもまた生えてくる。だから、あの岩がほしいという人もいる」 やはりアステカの秘術が使われているようだ。もはや俺ごときの俗人の詮索は通用しない。 古いが、全体的にきれいに維持されている。文化遺産を守らねばという番台守の執念だろう。感動せずにはいられない。 帰りがけに他客が一人来た。先行き安心できない状況だ。 銭湯ファンにとって重要なことは、この貴重な銭湯を次世代までいかにして守りぬくかということだろう。もう義務だな、ここへ行くのは。 (05.9.9) |
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むらさき湯
熊野古道の入口にポツンとたたずむ、タウンページにも載っていない秘湯だ。 海南駅から南へ、熊野街道の古いまちなみを歩く。内海湯の前を通り過ぎてなおも進み、駅から1kmほど来ると山際のJR線路が迫ってきて、あたりは町外れの様相を呈してくる。 そのとき右手にポツンと煙突登場。むむっ、あの屋根の湯気抜きはまぎれもなく銭湯ではないか。 トタン張りにモルタルのチープな建物だが、銭湯ファン心理をどうしようもなくくすぐる鄙びの外観。でも暖簾は出ていない。もしかして、すでに廃業しているのか・・・こんな町外れの人家も少ないところだしなぁ。 とりあえずその場を離れて先へ進む。JRの下をくぐると藤白神社、その先は未舗装の熊野古道が続いている。有間皇子が暗殺された藤白坂の途中まで登って海南の町を眺め、ひと汗かいて元の道を引き返す。 すると、この銭湯に暖簾がかかっていた。 もうこれは入るしかないでしょう。 チープ&ヒナビ暖簾をくぐると木の下駄箱、意外にもちゃんと鍵がある。 戸を開けると、簡素な木の番台におやじが座っている。 脱衣所はさわやかな板張りで、中央の木枠に長方形の籠8つがきちんと並べられている。 先客の気配がない。時計を見ると4時5分、「開いたとこですか?」とおやじに聞くと、そうだという。一番風呂だ。あぁ、一番風呂。何年ぶりだろう! ロッカーは昭和的合板もので、これにも鍵がほぼきちんとついている。そしてクーラーが効いており、なおかつ天井ファンも回転中。見渡すとベンチとマッサージ機と体重計があるだけで、他に余計なものが一切ない。古いが、きちんと手入れされ整頓された気持ちのいい空間だ。 ふむー。周囲の田舎っぷりと外観から濃厚系を想像したんだが、これはいい意味で予想が外れたな。 誰もいない浴室へ。 こじんまりしたスペースに、湯舟は男女隔壁寄りに深浅1つのみ。こまかいタイル張りで、周囲に座り段がある。 湯は41度台かな、ぬるめだが地下水のいい香りがする。やわらかな肌触りの良水質だ。このお湯に一番風呂かー、うひっ。このしあわせをなんとしょう。 ジェットも気泡もなく、浴室は静寂そのもの。 首まで湯に浸かって見上げると、トタンの天井は男女それぞれが四角錘で、それぞれ四角い湯気抜きが空いている。 壁上部の窓からは、真っ青な空に純白の入道雲が立ち昇っているのが見える。 やわらかな良質のお湯。ピカピカの一番風呂。窓から青空と入道雲。 幸福独り占め。 カランまわりも豆タイルがびっしり張られている。湯圧弱いがシャワーもあり。 10分ほどすると60歳くらいの他客が一人、その5分後にまた1人。僕が出るまでに出会ったのはそれだけだった。 上がりは飲み物もアリ。 辺鄙、古い、客少ないが、清潔できちんとした印象のプチ銭湯だ。店主の愛情を感じないわけにはいかない。熊野古道の入口で、ぜひ末永くお湯を沸かし続けてくださることを願う。 (05.9.9) |
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