『看護婦はなぜ辞める?』本文より
編集にあたって

“生みの苦しみ”としての看護婦不足

 このごろ、世の中では看護婦不足がさかんに取り上げられていて、連日のようにエライ先生方や新聞の社説子などがいろんなことを言っている。看護婦のかかえるいろいろな問題が話題にのぼることは、たいへん好ましい状況だと思う。

 でも、あんまり現場の若い看護婦さんたちの声が聞こえてこないなー、と僕は感じている。テレビなんかでワーワー言ってるのもみんなオジサンとオバサンで、今辞めようとしている“当事者”は出てこない。看護をしたことのない人と現在三交替をしていない人たちが、「あの人たちが辞めるのはこうだからで、だからこうしなくては」と言っている。たいていもっともなことを言ってるけど、それが単なる想像と思い込みにすぎない可能性もないとはいえないんじゃないか。「辞めていく人たち」と「辞めさせたくない人たち」の間には、かなり感覚のズレがあるような気がしてならない。

 「カネ」のためならなんでも許されるような日本にあって、医療の世界だけが清く正しく美しく、なんていうのはムリな話だ。ところが人々は、自分のことはさておいてそのムリを医療界に要求するもんだから、彼らの世界はムリを重ねたあげくタテマエとホンネがはるかに隔たって、一般の僕たちにはちょっと近よりがたい世界になってしまった。そんな中で看護婦たちは、理不尽な待遇と過酷な労働を「もうイヤダ」と思いながらも“愛の天使”を演じ続けなければならないのだから、現代の常識的感覚の持ち主が辞めるのは実にアタリマエ。逆に、医療施設経営者や僕たち一般市民が看護婦不足で困るのも、因果報応というもんだ。

 当事者である現場のフツーの若い看護婦たちや辞めていく人たちには、若者として、一人の人間としての、自分の人生に対する夢も希望も当然ある。アホらしいことをガマンしながら青春を費やすほど現代日本の若者はヒマじゃない。今の日本の医療や看護は若者たちに「青春を賭けるに値せず」と判断されつつある、くらいに厳しく受け止めるべきだと僕は思う(こういうことを言うと、よく看護の管理的立場にある人たちが「そんなことはない、看護はやりがいのあるすばらしい仕事だ」と反論してくるが、そんなことを何百回叫んだって、それだけでは屁の突っ張りにもならない。ここでは看護自体がすばらしい仕事かどうかが問題なのではないし、やりがいがあるかどうかを判断するのは総婦長ではなく、実際に三交替で昼夜なく働いている現場の人たちであり、彼女らの若い感性だ。そしてその結果、多くの人が辞めていくという事実が問題なのだ)。

 だからこの本は、当事者である若い看護婦、なかでも辞めた人やこれから辞めようとしている人たちの声を聞くことに主眼を置いている。

 現在の看護婦不足は、医療が新しく生まれ変わるための“生みの苦しみ”としての面も持っていると僕は思う。それは、僕たちの社会や精神のあり方そのものの変革をも要求してくるだろうし、だからこそ一般の僕たちを含めたより多くの人々が自分のこととして考えなければならないと思う。ひょっとすると、一部の「指導者」による小手先の政策などで安易に「解決」されてしまってはいけない問題なのかもしれない。このさい、みんなが看護婦不足で大いに苦しむほうがよかったりして、などと思ったりもする。
(松本康治/トリートメント編集長)

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