チープ&ディープな男の旅路・県庁所在地シリーズ

松江

---汽水の都---

(2007.7.21〜22)



 とっくに挫折した「県庁所在地シリーズ」のはずだったが、ここは楽しめたので書いておきたい。
 松江は地理的にも、歴史的にも、観光的にも、食べ物的にも、どれをとっても奥の深い街だ。今後、いろんな角度から何度か攻めねばならん気がする。

【前半(本頁)】(1)満足な夜(2)松江城(3)水路をめぐって

【後半(別頁)】(4)緑の無人地帯(5)中海へ

(1)満足な夜

 山陰在住のわが姉上が運転する車で、朝っぱらから出雲の遺跡やら古墳やら神社やらをさんざんまわり、頭の中はすっかり弥生末期状態になった。
 で夕暮れが近づいてきたので荒神谷遺跡で打ち止めとし、宿をとっておいた松江まで送ってもらう。

 宍道湖サービスエリアから宍道湖

 部分的に開通している山陰自動車道の松江玉造インターで下りて宍道湖畔に出たら、東の松江市街地方面へ。宍道湖は東から北へとゆるくカーブし、その向こうに松江の町が近づいてくる。

 
(左)湖岸のカーブの向こうに松江の町   (右)宍道湖にポツンと浮かぶ嫁ヶ島

 宍道湖には斐伊川(ヤマタノオロチはこの川のこととも言われる)という大きな川が流れ込んでいる。その水は宍道湖にいったん溜まったのちに、松江市を貫流する大橋川となって東へ向かい、10km弱で中海に至る。中海の水は狭い境水道を通って日本海へと出てゆく。

 と、これは干潮時の水の流れ。満潮時にはこれが逆流して、日本海の塩水が宍道湖にまで入ってくる。そのため宍道湖は汽水となって、シジミがわんさか湧くことになる。海に近い中海は、同じ汽水湖でも宍道湖より塩分が濃い。

 ようするにこのあたりには、淡水の斐伊川、薄い汽水の宍道湖、濃い汽水の中海、そして日本海と、4種類の水をたたえた水域が1列に並んでいる。つまり、さまざまな塩分濃度を好むありとあらゆる魚が全部ゴチャゴチャに混じりあって行ったり来たりしているわけだ。
 宍道湖と中海は、古来から「魚が湧く」と表現された豊饒の湖だった。コイもいればタイもいる。シジミなんか無限大。このことが、出雲に古代文明を栄えさせた最大の要因だったっちゅー話だ。

 いかがです、地理&古代史オタクの興奮ぶりがご理解いただけるでしょうか。
 松江はその真ん中あたり、宍道湖から大橋川に沿って広がっている。2つの汽水湖に挟まれた、こんな街は他にない。

 松江市街に入り、松江大橋のたもとで車から下ろしてもらった。姉は大山の自宅へと帰っていった。
 宍道湖から流れ出る大橋川には、松江市街地で4本の橋がかけられている。松江大橋は宍道湖から数えて2番目の橋だ。その橋を大橋川の北側へと渡る。

 
(左)一番宍道湖寄りの宍道湖大橋、あそこから大橋川が始まる   (右)松江大橋から北を見る

 松江大橋から東、3番目の「新大橋」が見える

 ちなみにJR松江駅や国道9号線など交通の軸は、大橋川の南側にある。でも松江城や繁華街は北側の旧市街にある。今夜の宿(ビジホ)もそっちだ。

 泊まったビジホは松江一の繁華街のすぐ近くだった。繁華街と言っても、県庁所在地とは思えないくらい小規模だ。
 とりあえず飲食店街を一通りウロついて、穴場を狙うべく1軒の小さな居酒屋に入った。でも愛想・料理・雰囲気ともにたいしたことなくて、ビール1本&刺身1品&おでんだけで出る。

 繁華街の北側を流れる堀川

 次に、最初に気になった「川京」という店に入った。カウンターだけの小さな店だが、ここはほぼ満席で、無理につめてもらって座った。カウンター内は大将が休みらしく、おかみさんと若い娘さんがてんてこまい。
 が、この店は涙が出るくらい素晴らしい店だった。値段が安いのに、出てくる料理がもう片っ端からうまいのなんの。しかもよそでは食べたことのない、ニクイほどに工夫された逸品ばかり。
 「えーーーっ! な、なにコレ、めちゃくちゃウマイですやん! えぇ〜っ!」
 と叫び続けざるを得ない状況に陥った。

 あとで知ったことだが、この店は小説にもなり、ドラマにもなり、この店を目当てに松江まで通うファンが全国にたくさんいるという有名店だった。予約もせずに座れたのは極めてラッキーだったらしい。

 隣の席に座ったオジサンは薬剤師で、偶然にも出身は神戸しかも東灘区のご近所さんだった。松江が気に入って転居したそうだ。
 その人にけっこういろいろオゴってもらってしまったんだが、なかでもこの店の目玉メニュー「うなぎのたたき」は目まいを起こしそうなほどうまかった。いやまじで。

 
(左)松江名物スズキの奉書焼き  (右)「お助けしじみ」という料理、説明不可能フシギなうまさ

 おまけにこの店の娘、イタリアで1年間料理修行して帰ってきたばかりだそうだが、美人だった・・・したがって俺は閉店まで居座らざるを得なかった。「何を作っているのですか?」というイタリア語を教えてもらったけど、店を出た瞬間に忘れた。
 強烈な名物系らしき大将には会えなかったが、俺的には今のところ中国地方の最高峰だな。松江に来てこの店に行かない人は大損というかアホだろう。

 大満足でビジホに戻り、ぐっすりと眠ったのであった。

 翌朝撮影(閉店時)

(2)松江城

 朝起きたら雨がしとしと降っていた。
 前夜、川京で薬剤師オジサンに「神魂(かもす)神社がいいですよ」と強く薦められたので、それのある風土記の丘方面へ行こうと思っていたけど、風土記の丘をレンタサイクルでまわるのはチトきつそうな天気だ。

 外へ出てから松江大橋の上でしばらく考えた末に、神魂神社方面はあきらめて、松江城へ行くことにした。

 
(左)朝の松江大橋  (右)しゃれた感じの京店商店街

 
(左)堀川を行き来する遊覧船   (右)遊覧船乗り場

 
(左)歩行者にやさしいリニューアル道路、でも歩行者不在  (右)平山城の松江城が見えてきた

 場内に入ると、けっこう観光客がいる。ほとんどは大型観光バスで乗り付けたお客のようだが・・・そうか、今日は日曜日だったのか。
 松江城の天守閣は、日本に12しか現存していない木造天守、つまりそのまま武士が使っていたホンモノだ。

 
(左)桃山時代から現存  (右)どっしりとした美しさ、別名:千鳥城

 
(左)天守閣の中に井戸がある  (右)内部は鎧兜の陳列あり、こんな変な兜も

 天守閣の最上階はどこもそうだが、夏だろうと雨だろうと、どうしてこんなに気持ちがいいのだろう。
 とくに木造現存天守の、古い木の香りに包まれた独特の雰囲気はなんとも言えん。特別なイオンか何かの微粒子でも出てるんじゃなかろうか。

 
(左)韓国の大学生(看護学生かも)のグループ  (右)南面、宍道湖の眺め

 
(左)東面に見える嵩山と和久羅山  (右)その少し南に、緑色の区域がある

 緑の区域を拡大

 城から見て南東に、そこだけ緑色の区域がある。あれは宍道湖から中海へと流れていく大橋川の流域だ。
 大橋川は時間によって上流から下流へ、下流から上流へと流れを変える奇妙な川だ。洪水で溢れることも多いらしく、その流域は住む人もなく、水田や葦原が広がっているだけのようだ。それでその部分だけが緑色をしているのだが、県庁所在地の市街地に隣接した地区としては異色の存在だろう。

 よし決めた。雨もあがったようだし、今日はこれからあそこへ行って、大橋川に沿って中海まで歩くことにしよう。

 天守閣を降りて北側にまわると、森を通って北西の搦手之虎口跡に出られる「鎮守の森コース」という小道があった。
 そこを歩いていったら、終始誰とも出会わなかった。

 ひっそりとした道

 搦手之虎口跡を過ぎると稲荷橋に出た。堀をめぐる遊覧船が次々にやって来ては橋をくぐってゆく。静かに漕いでいる船頭あり、賑やかに歌っている船頭あり。なかなかおもしろくて、橋の上からずっと見ていても飽きない。

 
(左)稲荷橋をくぐる遊覧船  (右)松江城西側の堀を下ってゆく

 しばらく眺めてから、稲荷橋を渡って城外に出た。

 稲荷橋からの堀と遊覧船

(3)水路をめぐって

 城外に出て北へ歩くと、小泉八雲記念館や武家屋敷のある観光地区に出る。日曜日だけあって観光客(ほとんど中高年)がウロウロ歩いている。

 デジカメの電池がなくなったが、コンビニなどの場所を誰かに尋ねようにも観光客ばかり。
 制服姿に髪を束ねたかわいらしい女子高生が一人、クラブ活動の大きな道具を抱えて歩いていた。しかしこのご時世、俺みたいなオッサンが一人歩きの女子高生に声をかけるような行為は本来控えるべきだろう。でも他におらんので思い切って尋ねた。
 すると非常にていねいに2ヶ所のコンビニへの道筋を位置を教えてくれた上で、「私はこっちのコンビニがおすすめです」とニッコリ微笑むではないか。
 え、ええ子じゃのぉ〜! そして観光客への温かなホスピタリティー&適切なるアドバイス。これは都会の女子高生にはなかなかできんぞ。松江の株、急上昇。

 彼女に教えられたとおりに歩いていると、下写真のような無造作な水路を2本渡った。
 そういやこのあたりの水域は、宍道湖・中海・大橋川だけではない。堀川をはじめとする無数の水路が松江の町じゅうを網の目のように走っているのだ。

 こんな水路がそこらじゅうにある

 で、大橋川に出る前に、松江市内の水路を探索することにした。
 といいつついちおう観光コースものぞいた。

 
(左)小泉八雲旧居、玄関先の萩が印象的  (右)左手は武家屋敷(入ってない)

 明々庵の先の坂を登る

 北堀橋の近くでまた堀川端に出て、そこから東へウネウネと細い水路端を歩き、バイパス道路の手前で南に折れて別の水路沿いに大橋川へ出た。

 
(左)北堀橋付近  (右)水路の分岐点に建つ家

 
(左)水路は微妙にずれたり、広くなったり狭くなったりする  (右)遊覧船コースの狭い部分

 
(左)北田町の水路と古い建物  (右)水路の向こうの空き地に、不自然に立派な松がある

 
(左)南田町あたり、大橋川が近づくと漁船が増える  (右)大橋川に出た。くにびき大橋が見える

 くにびき大橋の手前に、大橋川コミュニティーセンターというプレハブの建物があった。トイレを我慢していたので、ここでトイレを借りた。
 ついでに中を覗くと、ここは大橋川および宍道湖の治水計画を紹介するための施設で、興味深い展示や資料がたくさんあった。でも受付のおばさん以外、お客は誰もいない。

 大橋川コミュニティーセンター

 ここで30分ほど、おばさんにいろいろ尋ねながらじっくりと展示物を見学した。
 松江は数年前に、大橋川の南側市街地が水没する大きな水害に遭ったらしい。その再発を防ぐために、流入河川上流のダム建設、大橋川の拡幅、堤防の補強などが予定されている。
 が、その計画の最大の目玉は、斐伊川の水を宍道湖ではなく、反対の出雲大社側(西側)の日本海へ直接流す水路を建設することだ。むろん洪水時にのみ水門を開けるということらしいが、まるで大反対運動で頓挫した北海道の千歳川放水路計画(洪水時に千歳川を逆流させ、日本海に流れ込んでいる石狩川の水を太平洋に流すという強引な計画)を思わせる大掛かりな計画だ。
 この建物内にはその立派なジオラマ模型が展示されていた。

 もっとも、俺が好きな古代には、斐伊川の水は宍道湖ではなく今回の計画と同じように、出雲大社付近を通って日本海に流れ込んでいた。それがのちに土砂の堆積などによって流路が変わり、宍道湖へ流れ込むようになったわけだ。
 さらにもっと昔は、西側の日本海--宍道湖--中海--東側の日本海はひとつながりの細長い海で、島根半島は島だったらしい。それが次第に本土とつながっていった現象が「出雲の国引き神話」に関係している、と俺はニラんでいるのだが。

 大橋川コミュニティーセンターでたくさん資料をあさったおかげで、リュックがかなり重くなってしまった。
 センターを出てすぐ東には、くにびき大橋がかかっている。宍道湖から数えて4本目のこの橋が松江市街地での最後の橋であり、この先はいよいよ松江城天守閣から見えた緑のゾーン、大橋川に沿った無人地帯が広がっている。


赤線は今回歩いたルート。左が宍道湖、右が中海

 俺の持っていた国土地理院の2万5000分の1地形図によると、この先で大橋川は中洲を形成しながら何本かに分流している。
 その一つである剣先川に沿って、中洲の中に点線が引かれていた。点線は登山ルートなどの未舗装路を指すことが多い。
 その点線をずっとたどっていくと、中洲が終わるところで北側の朝酌川に水門がある。水門を渡ることができれば大橋川の北岸を走る幹線道路に出られるが、そこを渡れるかどうかは地図ではわからなかった。さっきのコミュニティーセンターのおばさんも知らなかった。
 もし渡ることができずに中洲の点線を元へ引き返すとなると、かなりの時間と労力をロスすることになる。
 賭けだな、これは。

 橋のたもとにある「くにびきメッセ」で缶コーヒーを買い、俺は「水門は渡れる」に賭けて、緑のエリアへと侵入していった。
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