■「手術しかない」
「幸運にも、未破裂の動脈瘤が見つかりました」
本人が聞くと不安がるから家族だけ来てください、と言われて入った部屋で、病院長はそう切り出した。
兵庫県姫路市に住むSさん(当時65歳)の家族にとってそれは青天の霹靂だった。2000年7月のことだ。
MRI(磁気共鳴画像診断)や脳血管造影検査の結果を見たところ、脳の底のほうにある血管の一部がプクっと腫れて、直径5ミリメートルほどの瘤になっているという。
Sさんは血圧が高めであるほかはいたって元気で、夫と旅行へ出かけては「今が人生で一番いい時だね」などと語らう充実した日々を送っていただけに、家族らの驚きはなおさらだった。
そもそもはその2ヵ月前のこと。
明け方にめまいと吐き気を覚え、近所の病院でCTなどの検査を受けたが、異状はなく、症状も治まった。しかし家族に「このさいちゃんと診てもらったら」と勧められ、では念のためにと、さっそく翌日にこのH病院を受診した。
H病院は脳ドックをさかんに行っていることで知られていた。
それから2ヵ月ほどの間にいくつかの検査が繰り返されたが、その合間にSさんは夫婦で8日間の海外旅行に出かけるなど、相変わらず元気いっぱいだった。
左脳の内頚動脈に小さな動脈瘤が見つかったのは、そんな矢先だった。
脳動脈瘤が破裂するとクモ膜下出血を引き起こし、3〜4割が死亡する。そうならないよう、頭蓋骨を切開して動脈瘤を探り出し、5ミリの瘤の根元をクリップで止める必要があると病院長は言う。
「まだ60代なので手術を勧めます。5ミリという大きさは非常に大きく、破裂せずによくもっている。もっと小さくても破裂している例もあります」
Sさんの家族にとっては、降って湧いたような話だ。しかし何の症状もないのに開頭術を受けるかどうかは誰だって迷う。そんな家族に、病院長は手術の危険性をこう説明した。
「破裂の危険性に比べれば、手術の危険性のほうがずっと低い」
「よくある手術です。心配なのは手術中の停電くらいです」
「術後3日目には起きられます。1ヵ月で退院です」
「この病院では年間360〜400例近い手術を行っていますが、失敗は1例もありません」
とどめはこんな言葉だった。
「明日にも、今晩眠っている間にも破裂してしまうかもしれない。心配して暮らすのと、どちらがいいですか」
病院長はここでSさんを呼び入れ、本人に向かってこう言った。
「手術しか助かる道はありません」
もはや選択の余地があるとは思えなかった。
その後、手術に向けてのダイエット入院を指示されたSさんは、カロリー制限とともに自転車こぎ運動や水泳などで2ヵ月半かけて12キロ減量し、10月なかばに手術室へ向かった。
手術の直前、医師は家族に「首の頚動脈を止めてクリッピングします」と説明した。動脈瘤のそばの血管を止めるのが場所的に難しいから、とのことだった。
そして――。
手術室から出てきたSさんは、最重度の寝たきり障害者となっていた。
寝返りひとつ打てず、言葉も記憶も失い、自分が誰なのかさえわからなかった。視野の右半分も失われていた。
執刀医はこう説明した。
「手術は大成功。クリッピングは完璧です。ただ、こうした結果なので、手術をしなければよかった。(未破裂の脳動脈瘤が)破裂する確率は1〜2%ですから」
家族らは耳を疑い、唖然とするしかなかった。
執刀医はSさんの状態を「脳梗塞の疑い」と説明した。
■「噛んだんやろな」
手術前「失敗は1例もない」と胸を張った病院長は、「がんばって、ぼちぼちいきましょう」と言うばかり。主治医は「原因はわからない」の一点張りだった。
Sさんは5秒と目が開かず、意識がわずかに戻っても不明瞭な片言しか話せない状態だった。
術前説明では1晩だけのはずだったICUから1ヵ月以上出られず、肺塞栓から心停止を起こして蘇生処置を施されたり、覚醒剤リタリンを誤って3倍量投与されて幻覚症状を起こしたり、13cmくらいの床ずれができたり、あげくMRSAにも感染させられるといった苦しい日々が続いた。
家族らはそのつど医師らに質問を繰り返したが、要領を得ない答えしか返ってこない。
インターネットで調べたところ、1冊の本に出会った。
『脳ドックは安全か』(山口研一郎著、小学館)というその本を読んだSさんの娘・Tさんは、驚くべき事実を知った。そこにはこんな記述があった。
「脳ドックにより発見される異常所見の大多数は、必ずしも進行性に増悪して致命的となる性質のものではない」
「最近、アメリカ・カナダ・ヨーロッパにおける未破裂脳動脈瘤の自然経過・手術に関する共同調査の内容が報告されている。(中略)ほかの破裂脳動脈瘤を伴わない径10mm以下の未破裂脳動脈瘤の場合、1年間の破裂率が0.05パーセントと報告されている。また、手術による合併症(死亡および障害発生)は年齢による差はあるものの十数パーセントになっている」
放置して破裂する確率よりも、死亡や障害発生の確率のほうがずっと高い……これはいったいどういうことなのか。
手術による合併症についてはこう書かれてあった。
「未破裂であった脳動脈瘤が、術中の機械的操作で破れることもある。その結果、クモ膜下出血を引き起こし、術後合併症としての水頭症を生じることになる」
「さらに問題なのは、脳神経障害である。脳底部には、左右12本ずつの脳神経が走っている。脳動脈瘤のできやすい位置に隣接するため、神経を痛めることがある」
「脳血管の閉塞による脳梗塞の発生は、脳神経障害より頻度が高い」
「右半身不随と言語障害を一生背負って生きていかなくてはならない人も出てくる。直径5〜10mmの血管の瘤が、手術のやり方次第で、その後の本人の運命を決めてしまうのである」
そして、Sさんとまったく同じような被害事例がいくつか紹介されていた。Tさんはその驚きをこう語る。
「たまたま私の母だけが不運にも事故に遭ったと思っていたんです。でも10年前に書かれたこの本で、すでに同様の被害が紹介され、問題点が明確に指摘されていた。母の被害は特別なことではなかったのです。しかも10年たった今も変わっていない。これは大変な問題だと感じました」
Sさんは手術前、未破裂の脳動脈瘤が破裂する確率はもちろん、手術の危険性や合併症・後遺症などの説明はいっさい受けていなかった。
そしてこの結果でもH病院は「手術は大成功」という。
こんな滅茶苦茶な話があるだろうか。
Tさんは、この本とともにインターネットで見つけた医療被害の相談窓口に連絡し、勉強会に参加する中で、この本の著者である山口医師を紹介してもらうことになる。
翌年の3月、Tさんは病院から外出許可をとってSさんを車に乗せ、山口医師を訪ねた。
山口医師はこう言った。
「軽い水頭症と中程度の脳の萎縮がありますね。手術直後から片まひが起きているということは、手術に起因して一部の血管が詰まり、脳梗塞が起こったとしか考えられません。医療ミスの可能性もある。H病院には患者を元の状態に戻す義務があるし、少なくとも治療費を患者側に返すべきだと思います」
Tさんは山口医師に転院先を紹介してもらい、その足で紹介されたI病院に行った。
そこで、Sさんを診察したI病院の医師たちがこんな会話を交わしているのがTさんの耳に入った。
「噛んだんやろなあ」
噛む、とは、クリップで誤って脳神経などを挟んでしまうことを意味するようだった。Tさんは体が震えるのを感じた。
その後、いくつか病院の脳外科医に意見を求めたところ、彼らは一様に、首の頚動脈を止めてまで手術したことを、
「とても危険です。普通はそんなことしない」
と指摘した。
翌月、SさんはI病院へ転院し、1年ほどリハビリを受けたが目立った回復はなく、昨年4月に退院した。
現在は娘の自宅で、身体障害者1級、要介護度5の最重症障害者として家族らの懸命の介護を受けている。
定期的に通う県立リハビリテーション病院の医師に事情を話すとこんな言葉が返ってきた。
「ああ、よくあるやつね。ここにはクリッピングの後遺症で来てる人、いっぱいいるよ。手術でよくなってたら、ここには来ないから」
Tさんはこう憤る。
「なぜその事実が医師の世界で問題にならないのでしょう」
手術から1年後、Tさんら家族は弁護士を通じてカルテを保全し、病院側に質問書を送った。
病院側の弁護士から返ってきた回答はこうだった。
「手術後に脳梗塞が起こりました。しかし手術とは関係ありません」
「無過失、無責」
■わずか2ミリでも
納得できないTさんは、以前から医療被害者の救済活動をしていた野間幸子さんらとともに「医療被害者救済の会」を発足させた。弁護士に相談するしか行き場のない医療被害者の受け皿となり、問題の解決方法を当事者どうしで考えるためだ。
活動を通じて、Sさんと同様に脳動脈瘤クリッピング手術で被害を受けた人たちとも知り合った。
Sさんが手術を受ける4年前、近畿地方の他県に住むA子さん(当時67歳)もやはり同じく未破裂脳動脈瘤のクリッピング手術を受けた。
ある日、食べ物の味がわからなくなり、成人病センターの人間ドックを受けたが異状なし。最後のMRA検査で「小さな脳動脈瘤」が見つかった。
医大で再検査したところ「2ミリくらい」ということがわかった。「よく見つかりましたね」と医師が言うほどの小ささで、味覚障害とは無関係の場所だった。
それでも医大の教授は、A子さんが検査結果を聞きに行ったその日に手術を勧めた。「放っておいたらクモ膜下出血を起こす可能性があるので危険だ」という理由だった。
「放っておいて破れる確率は年に1〜2%」「リスクとしては、手術中の破裂がまれにあり、またクリップで挟みすぎると脳梗塞になる」などの説明もいちおうあったが、それでも「すごく簡単な手術」「この場所だと手術しても後遺症の心配はほとんどない」「3週間で退院できます」とたたみかけた。
A子さんは迷った末に手術を希望し、2ヵ月後に手術を受けた。
術後の家族への説明はこういうものだった。
「クリッピングしようとしたら、動脈瘤が部分的に動脈硬化を起こしていました。柔らかい部分も残っていたので放置しておくと危険だし、本人も手術を希望していたので、クリップをかけたら、血栓が飛んだ。脳に少し黒い部分が残るでしょう」
そして現在、A子さんの左半身は感覚がなく、軽いまひが残った。
寝たきりになったSさんと比べると見た目には身体障害は少ないが、服の着方がわからない、立体感がつかめない、絵や漢字がきちんと書けない、食べ物が左からこぼれる、記憶力が損なわれて同じことを繰り返す、感情のコントロールができないなど、いわゆる高次脳機能障害といわれる神経障害をきたしている。
なにより、自ら希望して受けた手術によってこうなったことで自分を責め、「頭が悪くなった」と精神的にひどく落ち込む日々を送っている。
他の医師に診てもらったところ、複数の医師が「大きめの脳梗塞ですね。よく寝たきりになりませんでしたね」と言った。
のちにA子さんの娘がカルテを取り寄せたところ、「他の血管を犠牲にして」クリップをかけたと記載されていた。
A子さんを自宅で介護している娘は、納得できない気持ちをこう語る。
「たった2ミリの瘤に硬いところと柔らかいところがあって、他の血管を犠牲にしてまでクリップをかけたと言います。ということは、後遺症が出ることが手術中にわかっていたわけです。なぜそんなにかかりにくいクリップを、後遺症が出ることまで知りながら、家族の承諾もなく勝手にかけたのでしょうか。私たちは手術が終わるまで4時間ずっと外で待っていたのに。
それと、手術前に身体障害のリスクは話がありましたが、母のような神経症状のリスクについてはまったく説明がありませんでした。手術のあとのことはどうでもいいのでしょうか」
たった2ミリの脳動脈瘤。せめて1年でも観察期間をおいてみようというような考えは、医師らにはなかったのだろうか。
ちなみにA子さんの味覚障害はのちに自然治癒している。
■病気でない人から大収益
それにしても、破裂する確率が極めて低いにもかかわらず、脳外科医師たちはなぜこんなに危険な手術を行おうとするのだろうか。
前述の山口医師はその理由をこう語る。
「医師の気持ちのうち10分の1くらいは、見つけた以上は放っておけないという思いでしょう。放置してもし破裂したら自分の責任のような。
でも残りの10分の9は、経済的な理由からです。クリッピング手術には医師の技術料としては最高の8万点(80万円)という保険点数がつけられています。検査や管理料などいろいろ入れると1回100万円を超える。こういう患者は逃したくないわけです。
さらに怖いのは、手術に失敗すると術後の集中治療などでもっと儲かることです。Sさんの場合、最初の1ヵ月で200万以上、半年で600万円くらいの医療費がかかっています。病院側にしたら、病気でもない人からこれだけの収入を上げることができるわけですから非常にオイシイ。
だから患者が手術に同意するよう、誘導的な説明をする医師が多いのです」
そもそも無症状の未破裂脳動脈瘤に手術は必要なのだろうか。
「脳動脈瘤自体は病気ではありません。それがあるというだけでは、人間に何の悪さもしないからです。Sさんは手術前にハードトレーニングで12キロも減量させられていますが、それだけ運動しても破れなかった動脈瘤が、普通の生活をしていて破れるとは思えません。
しかし破裂の確率が100分の1でも、保険点数がつく限り手術は行われます。大学病院などでは、予防手術は研修医などの練習台になっている場合もあるようです。
日本脳ドック学会では、今年の末に新たなガイドラインを出すことになっていて、先ごろその中間報告が出されました。それによると、手術の対象は70歳以下だったのを75歳以下にまで引き上げ、しかも手術適応の脳動脈瘤の大きさを10ミリ前後から5ミリ前後に引き下げるとのことです。つまり、これまで以上にたくさんの人たちがクリッピング手術の対象にされる。当然、被害者も多くなるでしょう」
厚労省は、特定の高度医療施設に手術を集中させて水準を上げるとの名目で、一定の手術数に満たない施設は手術の保険点数を減額する方針を決めた。ところが、それが逆に各施設が「手術症例数かせぎ」を競い合う状況を招きつつあるという。
脳ドック学会の新ガイドラインとともに、今後ますます脳動脈瘤への手術が拡大されていくことは間違いないだろう。より小さな脳動脈瘤を、より危険な条件で、という方向に。
こうなると、そういうものを見つけだす脳ドックそのものへの疑問もふくらむ。いくら破裂する確率が低いとはいえ、動脈瘤が見つかってしまえば、それを抱えたままそれまで通りの気分で生活するのは難しくなるだろう。
いったい何を、どこまで見つけるべきなのか。
Sさんの娘、Tさんはこう語る。
「母の被害の責任を病院にどうとらせるかは私たちにとってもちろん大事ですが、いちばん問題だと思うのは、今もなお脳ドックで小さな未破裂脳動脈瘤が日々発見され、それに対して危険な予防手術がどんどん行われ、被害者が生み出され続けていることです。
害多く益少ないことがわかっているのに、一般市民はまさか医師がお金のためにそんなことをするなんて夢にも思っていませんから」
医療被害者救済の会代表の野間幸子さんはこう言葉を継ぐ。
「Sさんのケースでもそうですが、事前のインフォームド・コンセントがあまりに不十分な病院や、事故やトラブルが起きたときにきちんと説明せずにごまかそうとする病院が多すぎます。医師たちが説明しないから患者側はやむなく弁護士に相談し、裁判に訴えるしかなくなるのです。
でも本来、医療上の問題はまずその病院内で医療側と患者側がきちんと向き合って、包み隠さずに話し合うべきではないでしょうか。それを私は医療従事者に問いかけたい。私たちは何も裁判をしたいわけではないのです」
包み隠さず話してほしいと願う患者と、下心を隠して危険な手術に挑む病院。両者の断層はあまりに深い。
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