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人体実験の作法

---金沢大学「無断臨床試験」裁判---



松本康治(本誌編集長)

『薬のチェックは命のチェック』18号(2005.4.20)より転載(一部加筆)
高裁判決に関する部分は2005.4.19に加筆

自分の病院に入院する患者を、本人に内緒で、人体実験の材料にしていいかどうか。
日本ではいまだにこんなことが法廷で争われている。


■「えっ、私は知りません」


 金沢大学医学部の産婦人科で、複数の抗がん剤を組み合わせた化学療法「CP」「CAP」の2種類を、高用量で比較する臨床試験が行われた。患者にどちらの療法を行うかは、くじで決められた。

 1998年に卵巣がんで同病院に入院していたAさんは「CP」による化学療法を受けたが、副作用は覚悟していたものの、あまりに苦しい。主治医に聞いても「がまんしてください」と埒があかない。
 そこで、同じ金沢大の産婦人科医師で、たまたまAさんの夫の友人の義兄である打出喜義医師に相談した。

 打出医師はAさんに会い、「うちの病院では高用量の抗がん剤の臨床試験を行っているから仕方がないでしょう。あなたもそれに参加したのだから」と言った。するとAさんはびっくりした表情でこう言った。
 「えっ、高用量の臨床試験て何のことですか。私は知りません」
 Aさんは、自分が臨床試験の被験者にされていたことを知らなかったのだ。

 結局、Aさんは副作用に耐え切れず、腎機能も低下したため、教授はあきらめて別の療法に切り替えた。やがてAさんは他院に移り、同年中に亡くなった。51歳だった。
 亡くなる前、Aさんは家族にこう言い残した。
 「金沢大を訴えてほしい」
 Aさんの遺族は、周囲の反対を押し切って、1999年6月、金沢地裁に提訴した。


■改ざん、そして「裏試験」の疑い

 裁判が始まると、病院側は「Aさんは比較臨床試験の対象外だった」と主張した。そしてその「証拠」として、被験者の「登録一覧表」を提出。そこにはAさんの名前はなかった。
 しかし、打出医師が入手した当初の「登録一覧表」にはAさんの名前があった。つまり、改ざんされたことになる。
 打出医師は自分が所属する産婦人科を内部告発することを決意し、Aさんの名前の入った「登録一覧表」を証拠として裁判所に提出した。

 そもそも、今回の臨床試験は、新薬承認のためのいわゆる治験ではない。
 「CP」「CAP」の効果は当時すでに確立済みであり、改めて試験することに医学的意味は見出せない。だとするとなぜ、あえて試験が実施されたのか。
 打出医師は、この試験と平行して、もう一つ別の臨床試験が行われていたことを指摘する。それは、「CP」「CAP」で減少した白血球を回復する薬、ノイトロジン(中外製薬)の市販後調査(承認後の用法拡大を狙った試験)だった。

 打出医師はこう語る。
 「すでに効果の確立したCPとCAPをわざわざ高用量で投与する試験をあえて行ったのは、じつは次のノイトロジンの臨床試験を行うために、患者の白血球をあらかじめ減らす目的があったのではないでしょうか」

 実際、この比較臨床試験を受けた患者の大半が、ノイトロジンの臨床試験の被験者にもなっていた。(病院側は因果関係を否定)


■「臨床試験のICは必要なかった」という主張

 2003年2月、金沢地裁は「患者に無断で臨床試験の対象とした行為は、患者の自己決定権を侵害する」とし、国に賠償金の支払いを命じる判決を下した。
 しかし国側は「治療のためのインフォームドコンセントはしており、臨床試験のインフォームドコンセントは必要なかった」として控訴した。(同試験のプロトコールには「患者のインフィームド・コンセントを得る」と明記されている)

 たしかに承認済みの薬については、インフォームドコンセントに関する規制はない。だから患者本人に黙って実験してもよい、と開き直る医学者たち。
 恐ろしい人権感覚というほかない。

 打出医師は、同大学の法学部教授らとまとめた冊子「『人体実験』と患者の人格権」(お茶の水書房)で、こんなたとえを挙げている。

 「風邪薬のパブロンとルルのどっちがより効くかを確かめたいとします。(略)パブロンとルルを患者さんごとにくじで引いて出しているとなると、これはもう風邪の治療が目的ではなく、パブロンとルルの効用性を調べることが目的となります。そういう場合には、やはり一言患者さんにパブロンとルルのどっちが効くかを調べたいので協力してくださいと了解を得るべきではないか。その時に通常1回1錠なのに、2錠飲んでほしいと言われれば『なぜですか?』と誰もが思うでしょう。そうしたことを、命にもかかわるほど強い副作用のある抗がん剤でやっているのです」

 患者側として唯一のなぐさめは、大学病院の中にも打出医師のようなまっとうな感覚の持ち主もいるということだろう。
 いずれにせよ、大学病院ではいまだにこんな感覚で患者に人体実験が行われていることが判然とした以上、臨床試験とインフォームドコンセントに関する早急な法整備が必要だろう。

 金沢大学の控訴審は2度も判決が延期されたが、来る4月13日、名古屋高裁金沢支部で言い渡される予定だ。

(以下は2005.4.19に加筆しました)

■副作用を我慢するのは患者なのに

 判決は、予定通り4月13日に言い渡された。
 原告側のいちおうの勝訴だったが、認められた部分はかなり限定的で、地裁判決より減額されてしまった。

 高裁の判断をひとことで言うと、
 「黙って臨床試験に登録したことはダメだが、臨床試験の「高用量」の抗がん剤投与自体は、不適切な医療行為ではない」
 というものだ。

 以下は判決文からの抜粋(文中の〇〇は患者名)。

 「本件説明義務違反は、上記4のとおり、本件クリニカルトライアルの目的、 本件プロトコールの概要、本件クリニカルトライアルに登録されることが○○に対する治療に与える影響等について説明をし、その同意を得なかったことにあるところ、証拠(甲2の1,2,甲27,28)及び弁論の全趣旨によると、○○は、K医師が、○○の治療のみを目的としてCP療法による化学療法を行っているものと信じて抗がん剤による激しい副作用にも耐えたが、CP療法による化学療法終了後、本件クリニカルトライアルに登録されていたことを知り、自分に対する治療が一種の実験だったと理解し、激しい憤りを感じるとともに、K医師及び控訴人病院に対する不信を抱き、控訴人病院で継続して治療を受けることを止めて、他の病院で治療を受けるようになったことが認められるから、○○は、本件説明義務違反により、相当程度の精神的苦痛を被ったものと認めることができる
 しかし、上記1ないし4で認定し説示したとおり、K医師が、○○を本件クリニカルトライアルに登録し、○○に対して本件プロトコールに従ってCP療法による化学療法をしたことに関して、○○に対して不適切な医療行為がされた事実を認めることはできないし、被控訴人らが主張する他の説明義務違反もこれを認めることができないから、○○が本件説明義務違反により被った精神的苦痛を慰謝するための金員は60万円をもって相当というべきである。」

 この結果について、打出医師はこう言う。

 「ここの所は、まったくオカシイと私は思います。なぜなら、副作用は酷いが高治癒率が期待できる(と想われている)「高用量」を希望するのか、それとも、治癒率はそれほど期待できないかもしれないが副作用のほとんどない「低用量」を希望するのかは、それこそ、それを受ける患者さん一人一人の固有の権利に基づくものであるはずだからです。
 皮肉なことに、実際に金沢大学には「低用量」の抗がん剤で「癌休眠療法」を提唱している先生もおられます(http://www.jafra.gr.jp/takahashi.html)」

 打出医師は、さっそく原告(亡くなったAさんの夫)を訪ねた。
 原告はこう語ったという。

 「家内の体なのに、副作用を我慢するのも家内なのに、なんで抗がん剤の量を勝手に決めるのか・・・」

 裁判の今後については、現在検討中ということだ。
 (当サイトでは、今後の動きがわかり次第ご報告します)

打出医師のまとめた高裁判決のポイント

[減額の理由]
 臨床試験に無断登録された精神的苦痛は認定したが、本臨床試験で比較された抗がん剤療法は共に試験的でないとの判断で、地裁が認めた 「高用量」の慰謝料部分を認定しなかった。

[当判決の意義]
 (1)標準的治療法同士で臨床試験する際でも、ICが必要であることを判示した。
 (2)裁判で提出された2種の「症例登録票とその一覧表」の真偽を判示した。

[当判決の問題]
 (1)臨床試験被験者にはICが必要としたにもかかわらず、その目的内容は(医師の裁量の範囲だから)知らさなくても良いとしている。
 (2)事実認定での重大過誤。
 (3)「裁量権」を「自己決定権」の上位に置いたこと。
 (4)裁判証拠の「ねつ造」。

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