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「恐いんです」。そう訴える男性の相談が目立つ。
「どんどんエッチな想像がエスカレートしてきて、ホンマにやってしまいそうなんです。俺、レイプ犯になるかもしれへん」
自分が性犯罪者になる可能性。彼らはそれが恐いと言う。男性が性的なイマジネーションを膨らませ、それを多少暴走させる(?)ことはあるだろうな……私は当初楽観的にそう考えていて、
「もし本当にやりそうになったら、また電話して。電話してるあいだは大丈夫でしょ」
と答えていた。彼らがたんに「エッチな自分」を責めているだけだと先入観を持っていたし、エッチな想像をしたところで、人間、理性が働くのだから実行に移すことはないと思い込んでいたのだ。
しかし、レイプが日常的に起こっている状況をみると、彼らのうちの何人かは実行に移していてもおかしくはないわけだ。それを裏付けるような電話もある。
レイプのほかに、覗き、痴漢、露出、それらが重複したものなどの実行犯たちが、その犯行内容を克明に話し出すとき、私は受容だの共感だの相談を受けるうえでの心得を放棄してしまって、「何やっとんねん! このボケ!」と怒鳴りつけたくなるのだが、そこをぐっとこらえて、さらに話すよう促す。
すると彼らは鬱屈した心情をこれでもかというくらい吐露するのだ。
犯行のたびに電話をかけてきて、「すみません、もうしません」と懺悔するレイプの常習犯がいる。「またやってしまった」という自己嫌悪と、犯行が発覚して捕まることへの不安でいてもたってもいられないのだという。
「悪いことはわかってる。でも、身体が動いてしまうねん。やめたいねん。どうしたらいい?」
やめてもらわなければ困るのだが、アルコールや薬物の依存症のように、治療のプログラムや受け入れ施設はない。
グループで犯行を繰り返しているえげつないものもあった。そのグループはダウン症の女の子をターゲットにしていて、養護学校を偵察したうえで、交際の申し込みを装って女の子を誘い出し、集団でレイプするという。
「あんたたちのやってることは犯罪やで。わかってると思うけど」
「でも、その女の子たちはすぐについてきたし、嫌がってないで」
それを言うかっ! 自己正当化の常套句! 嫌かどうかはあんたではなく女の子が判断するのや!
「レイプされた女の子がどれほど傷ついたか考えたことある? その子の人生をずたずたにしたんやで。どう思ってんの!」
「傷つけるつもりはないねん。僕だって苦しんでるから相談してるねんで。でも、グループからぬけられへん」
「ダウン症の女の子を狙うのはなぜ? すぐについてくるって言ったねえ。それをわかっててやってるんやろ。抵抗しない相手を選んで」
「ふつうの女の子は僕をばかにするし、どうやって接したらいいかわからへん」
ひたすら誰かのせいにして、自己弁護。傷つきやすい反面、人の傷には鈍感。満たされない自尊心やコンプレックスを暴力で紛らわせているかのようだ。その矛先をより弱い者へと向ける、弱々しい自我。「してはいけないことはしない」という、当たり前の抑制が効かない自分をどう扱っていいのかわかないまま、誰かを傷つけている。
彼らの自分に対する不信感は根深く、深刻だ。怖い。
『いのちジャーナルessence』No.4(2000年6-7月号)より |