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知的障害者を対象にした性の学習会で講師をした。
講師依頼があったとき、思春期の知的障害者に対する性教育と聞いたのだが、送られてきた参加者名簿は、作業所に通う20歳代〜30歳くらいのグループで占められていた。
まあ、そんなことはいい。大人でもからだについて知っちゃいないから、思春期だろうが20歳であろうが、私が言うことは同じなのだ。障害者と性被害(加害も)の問題も深刻だし。
自分を守り、自信を持って生きていく力を身につけるために、即効性はないが、こういった学習会もひとつの機会になるだろう。またそれは自学自習が困難な知的障害者だからこそ、必要な取り組みであるはずだ。
さて、知的障害を持つ参加者たちは、健常者とくらべて反応があからさまでおもしろかった。女性の外性器について説明していると男性は居眠りを始めるし、包茎の話をしていると女性はとなりの仲間をつっついて遊び出す。
健常者は興味のない話でも、とにかくじっと聞いている(フリをしてくれる)が、彼らは関心がなければ見向きもしないので、誰がどんなことを知りたがっているのかが一目瞭然だった。
一緒に参加した作業所の指導員や親たちが、食い入るように彼らの様子を見守っていたから、見られているほうはずいぶんプレッシャーだっただろうけど。
私が知る限り、知的障害者はいつまでも子ども扱いされたり、性の発達が遅れていると誤解されて、性について学習する機会が奪われている場合が多い。
たとえば、適切な性的表現の仕方や、プライベートとパブリックな行動との区別を教わっていない。それでときに人前で性器を露出するなどのトラブルが起こると、過大に受け止められ、彼らの性行動のすべてを問題視するようになってしまう。
そして親や指導員など支援者たちは「どうかかわっていいかわからない」と言い、禁止・抑圧によって封じ込めようとする。
しかし、「だめ」「気をつけなさい」に限界を感じているからか、こういった学習会に来る人は、本人はもとより支援者が熱心だ。
支援者たちはどう教えるかという方法や技術を知りたがる傾向があるが、それよりも支援者自身の性に対する価値観がどうなのかを問い直すほうが大切だと思う。
マスターベーションにしても、卑猥なものとかからだによくないなんて思っていると、してはいけないことだと強調するだろう。でも性的自立への一歩だととらえていたら、「時と場所とやりかたを選んでするねんで」というふうに、どうすればいいのかを伝えようとする。
ついでに言っておくと私は障害者の支援に明るいわけではない。でも、講師なんてやっちゃったりする。できるのかと問われたら「うーん、まあ、やりますよ」と答える。
指導員や親たちは「自分にはできない」と思い込んでいるから「やらない」だけだ。
できるかできないかではなくて、やるかやらないかの違いだと私は思っている。本当は私なんかが出て行かなくても、誰もがやるようになればいいのだが。
やりますと言う私と、できないと言う支援者たちの違いはいったい何だろうかと考えてみると、拍子抜けするほどシンプルな答えが浮かんでくる。
ペニスとかマスターベーションとかいう言葉を口に出せるかどうか……これだ。
恥ずかしいと思った瞬間から、性器は恥ずかしくていやらしいものになってしまう。私は性器を恥ずかしいものにおとしめたくないから、にこにこして、ペニスだのマスターベーションだのと連発する。
学習会の講師として私が何をしているかというと、ただにっこり笑っているだけだ。
『いのちジャーナルessence』No.5(2000年8-9月号)より |