ふしぎ山
伊予ヶ岳 いよがたけ
千葉県南房総市、336.6m



 日本で一番「低い」都道府県、チバ。北部はのっぺりした平野と台地、南部の房総丘陵もゆるゆるで、最高峰の愛宕山も408mしかない。うちの近所の風吹岩より低いやん。
 そんな千葉県で唯一「岳」という名がつき、「房総のマッターホルン」とも呼ばれる反骨の山があるっちゅーので行ってみた。

 東京から京浜急行で久里浜へ。港までバスに乗り、東京湾フェリー(約40分)で房総南部の金谷港へ渡り、そこでJR内房線に乗り換えて岩井駅下車。ここは南総里見八犬伝の舞台だ。
 岩井駅では俺以外に海水浴客がたくさん下りた。たしかに海にでも入らないと干物になりそうな炎天だ。なのにリュックしょって汗じっとりで低山へ向かう俺・・・何やってんの?

 駅の案内所で聞くと、登山口までもうすぐバスがあるという。バスは本数が少ないので要注意だ。
 10:45分に来た黄色いマイクロバスには「トミー」という名前がついている。このへんは合併で南房総市になったが、その前は富山(とみさん)町だった。トミーの車体には、「仁義礼智忠信孝悌」という八つの玉や、伏姫と八房の絵などが書かれてある。

  
(左)トミー   (右)「八犬伝の伝説」って、あれはたしか滝沢馬琴の作り話なんだが・・・

 これに乗り、運転手さんに「伊予ヶ岳の登山口に行きたい」と言ったら、15分ほど走った平群(へぐり)小学校前の交差点で降ろしてくれた。同乗のバアさんたちは「暑いのにねぇ、若いわねぇ」と呆れたように言う。正解。
 運転手さんは、「この先に鳥居があるから、それをくぐって登っていくといいよ」と教えてくれた。

 すぐに鳥居が現れ、その前に伊予ヶ岳のいわれを書いた看板があった。それによると、この山の名は四国の石鎚山(伊予の大岳)に姿が似ていることによるという。
 そういやこのあたりは安房(あわ)国、この名は古代に黒潮に乗って渡来した阿波(現在の徳島県)の忌部(いんべ)氏に由来するといわれる。四国とのかかわりが深かったのね。ちなみに忌部氏の子孫どうしで今も四国と交流があるらしい。

 鳥居をくぐると、正面の平群天神の背後に伊予ヶ岳がスックと聳えている。

 
(左)鳥居前の解説板。石鎚山同様、修験道の行場だったらしい  (右)ケンケンみたいな狛犬と平群天神社

 神社の境内にきれいなトイレがあるので、ゆっくりと大をぶちかまして、ゴムゾーリから靴に履き替えて、ぼちぼちと登りはじめる。こんな日に一気に登ると熱射病で死ぬ危険があるからな。
 登山口は神社の左脇からだが、驚いたことに、そこにある駐車場には車が5〜6台も停まっていた。このクソ暑い中、登っている人が俺以外にもいるのか!

 杉林の山腹をゆっくり登ると、はたして下りてくる同年輩のカップルに出会った。
 15分ほど登ると尾根に出た。このあたりでも中高年カップルとすれ違った。なかなか人気のある山なんだな・・・というか、千葉県には他に目ぼしい山がないのか。

 
(左)登山口からの伊予ヶ岳  (右)尾根に出たところ

 道はよく整備され、道標もしっかり立っているので、地図がなくとも迷う心配はない。
 西(富山方面)へ下る道と分け、さらに15分ほど登ると今度は東へ下る林道との別れ道。ここは展望所になっていて、平群天神社が眼下に見える。
 見上げれば伊予ヶ岳の山頂らしき高み。そして「この先、道が大変険しくなっております」との立て札がある。

 
(左)あれが頂上かな  (右)この先大変険しくなっております、の立て札

 すぐに急斜面が現れた。ロープや鎖が設置してあるけど、さして危険はない。六甲山でいえばロックガーデン中央尾根くらい。
 ここでも下りてくる中年男性一人とすれ違った。

  
ロープや鎖のある岩場

 登りはじめて45分たらずで見晴らしのいい頂上部に到着した。夏以外なら軽いハイキングだ。
 時刻はちょうど正午。手前のやや広くなったところにベンチとテーブルが設置されているが、直射日光に熱せられてアツアツになっており、座るどころか触ることすらできない。
 木陰はなく、風もない。ただただお天道様に焦がされるだけだ。

 頂点付近は狭い岩場で、3方が絶壁になって切れ落ちている。転落防止のために杭と鎖でガードされていて、いちばんのてっぺん岩には人を立ち入らせないようになっている。
 だが、このどんづまりの岩場先端にだけ、崖下から上がってくる涼風がウソのように吹いている。そして、はいどうぞ、と言わんばかりに南房総360度の景観が展開する。

 
(左)あの岩場が頂上  (右)頂上部のベンチ付近

 
(左)先端のどんづまり  (右)北側にもうひとつの頂上がある

 
(左)頂上から南。中央の濃い緑が登山口の平群天神社  (右)西。双耳の山は富山、そのむこうに浦賀水道がある

 直射日光はキツイが、ここだけ風が吹いてて涼しいので、先端の岩場を離れられない。鎖ガードを乗り越えて最高点にも立ってやった。

 最高点に立つ

 ところでこの山は頂上が2つある(双耳峰)。ここは南峰にあたるが、北峰のほうが10mほど高いらしい。ベンチの脇からそっちへ道がついているので行ってみた。

 南峰から北峰へは10分ほど。中間にもうひとつ小ピークがある。この道には、さっきまでなかったクモの巣が張っていたので、先客はこっちには来なかったらしい。

 
(左)北峰への道  (右)北峰の頂上手前のややザレた坂

 北峰頂上は岩場ではないが、樹木が切り開かれていて南峰がよく見える。
 でもここは風もなく、暑くていられやしない。滞在2分ほどで南峰へと戻った。

 
(左)北峰頂上には三角点があった  (右)北峰から見た南峰

 
(左)北峰と南峰の間の森。南方系の照葉樹林  (右)夏の花・・・南峰頂上に咲くカンゾウ

 夏草が茂っていることを想定して長袖長ズボンで登ってきたが、山道は歩きやすく、これなら半袖短パンで十分だ。
 汗でビショビショの上下を脱ぎ、それを干しながら半袖短パンに着替えた。そしてまた風の吹く唯一の場所、最高点の岩場に腰かける。

 風は偉大だ。これほど強い太陽に照りつけられていても、風さえ吹いていれば心地よい。
 お茶を飲みながら30分以上ぼんやりと過ごした。

 1時に頂上出発。下りは西の富山方面へ。20分ちょっとでバス道に出た。
 ここからさらに富山を経由して岩井駅まで歩いて戻るコースがポピュラーなようだが、暑くて面倒になったので、平群小学校前まで戻ってバスを待った。

 
(左)バス道に下りたあたりで振り返る。右が南峰、左が北峰  (右)平群天神に戻る途中から

 平群小学校と伊予ヶ岳

 13:45にバス「トミー」が来た。行きと同じ運転手さんだったが、バスはこのあとさらに奥の集落をまわって再びこの付近に戻って休憩し、駅方面へ出発するのは15:00だと言う。
 とりあえずそのバスに乗って、運転手さんとしゃべりながら人口希薄な半島内陸の集落をいくつかまわった。このあたりの地形は新潟地震被災地の山古志村に似ているとかで、映画『マリと子犬の物語』のロケが行われたそうだ。

 平群天神に戻ってバスを下り、売店でビールを買った。境内の東屋にはだしで寝そべって、1時間ほどバスを待つ。
 ちょうど天気が崩れて夕立が来そうな雲行きだ。おかげで涼しくなった。

 初めての房総半島。真夏の休憩時間はあっという間に過ぎていった。 (登山日:08.7.29)
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