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「〇〇は〇〇である。」で始まる小説といえば夏目漱石の『我輩は猫である』が有名だが、五木寛之の大河小説『青春の門』はこんなふうに始まる。 「香春岳は異様な山である。」 そしてそのあとさらに、「その与える印象が異様なのである」とか「その醜い姿」などと、執拗にその異様さが描写される。 その「異様な山」に登ってきた。 香春岳は一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳からなる3連山だが、たしかに異様な山だった。 北九州市の小倉から約40分。JR日田彦山線の車窓風景は、市街地から田園地帯、山村へとすばやく移り変わってゆく。やがて石灰採掘のために大きく削られた山々が左手に見えはじめ、しばらくすると列車はトンネルに入る。 トンネルを抜けると、そこは筑豊と呼ばれる地方だ。 最初の駅が「採銅所」。この無人駅で列車を下りる。 香春岳3連山のうち、南端の一ノ岳は登山が禁じられている。石灰採掘のために山自体がズバーンと真横にぶった切られているらしい。二ノ岳にも採掘会社による林道が開かれているもよう。 登山対象としてポピュラーなのは北端の三ノ岳で、その場合はここ採銅所が登山口になる。 俺もとりあえずここから三ノ岳に登ることにした。 赤線は歩いたルート(上方から下方へ) (左)採銅所駅 (右)採銅所駅の北側踏切から見た三ノ岳 採銅所は、かつて宇佐神宮の神体鏡を作る銅が採れた場所であり、奈良の大仏を作るときにもここの銅が使われたらしいが、今は銅は出ないのだろうか。 駅の近くにいたバーサマに聞いてみたら、「今は掘っとらん。大昔の話たい」とのことだった。それにしては、まるで現在採掘中みたいに生々しい地名だな。 しかし、古い時代に金属採掘が行なわれた場所には、たいてい謎めいた古代史が色濃く残っているものだ。この山周辺も例に漏れず、渡来人系の神社がいくつもある。 新羅の王子とされるツヌガアラシトを祀った現人神社や、彼が朝鮮半島から追ってきた女性(ヒメコソ)ではないかとも目されるトヨヒメ(三ノ岳の神)を祀る古宮八幡などを見てまわることに1時間ほど費やして、11時半にようやく登山口近くの採銅所小学校へ。 (左)謎を秘めた古宮八幡の拝殿 (右)採銅所小学校は校舎改築中だった ここから西へ、三ノ岳の北側をまわって五徳峠まで車道を歩く。 銅の精錬を行なった場所といわれる清祀殿を過ぎてしばらく歩くと人家はなくなるが、谷を上がるにつれて見晴らしが良くなる。周囲は伐採されて数年くらいで樹木が伸びておらず、まるで高原のようだ。 三ノ岳北面に岩が露出したところが何ヵ所かあるが、もしかしたら銅を採掘した跡なのだろうか。 早くも腹が減ったのでオニギリを食べながら歩こうかとも思ったが、あちこちに「猿にエサをやるな」と書かれてあるので、なんとなく躊躇。だって猿が出てきてモノホシそうに見られるのはイヤだ。 (左)三ノ岳北面の露岩 (右)五徳峠が近づくと三ノ岳はピラミッド型にある 30分あまりで五徳峠に着く。三ノ岳東側の採銅所からぐるっと西側へ回り込んだかたちになる。 ここでたまらずオニギリを一つ食べてから、三ノ岳の登山道に入る。前日が雨だったためにぬかるんですべりやすいが、道はよく整備されている。 (左)五徳峠から三ノ岳への道 (右)アマドコロ、根を煎じて飲めば滋養強壮・美肌色白などによろしいようです まもなく道が「岩登りコース」と「ファミリーコース」の二手に分かれる。前者は正面尾根の直登、後者は薄暗い植林地帯に道が続いている。 岩登りっつったって道具を使うようなクライミングじゃないだろうから、そっちを選ぶ。 すぐに岩稜が現われ、そこを登っていく。岩は石灰岩、しっかりしていてすべらず、つかみやすい。表面がギザギザだから軍手が有効。 しかも赤ペンキの矢印がたくさんあってルートを探す必要がまったくない。岩場の登りはルート探しに神経を使うが、ここはもう矢印通りにがしがし登るだけ。まるでフィールド・アスレチックだ。 高度が上がると展望が開け、南に二ノ岳と筑豊の平野が見渡せるが・・・ややっ、二ノ岳の向こうに、肌色の輪切りチクワみたいなのがチラッと見えているぞ。 あれが石灰採掘中の一ノ岳だな。確かに異様だよ五木さん。 (左)二ノ岳と、その影にチラリと一ノ岳 (右)一ノ岳拡大、重機のようなのが見える ガガガガ、ガララーン、ガガガガ、ガララーン、・・・。 一ノ岳のほうから、山を削るすごい音が聞こえてくる。うひあ。 とりあえず三ノ岳を登ってしまおう。 (左)矢印通りにどんどん登る (右)そろそろ頂上も近そう 大きな岩のゲートのようなところを越えると、頂上に出た。 が、頂上といっても、100m以上にわたってバラバラの岩たちが脈々と細長く連なっている。こりゃまた変わった頂上だな、腰を下ろすこともできやしない。 (左)なんだよこの頂上は (右)ここが最高ポイントのようだが、どうしようもないぞ 足元グラグラしながらピョンピョンと岩から岩へ飛んで、とりあえずその岩脈を進む。と、前方に小さな広場みたいなところが見えてきた。 (左)あの先に頂上広場がありそう (右)ここを飛ぶのに少し勇気が必要 やがて頂上広場に到着。五徳峠からわずか35分くらい。まずまずの展望だが、湿度が高くてかすんでいるのが残念だ。 しかし暑くもなく寒くもなく、まったくもって山頂日和だねえ。残りのオニギリを食べて、しばしくつろぐ。 (左)北に採銅所付近を見下ろす。正面の山は竜ヶ鼻 (右)東の山の向こうに瀬戸内海方面、かすんで見えない 南には二ノ岳と一ノ岳チラリ 二ノ岳に続く尾根に、立派な道が見えている。あっちに登ったら一ノ岳の異様な全貌が見られるかも。 1時過ぎ、頂上をあとに「ファミリーコース」を下る。濃密なササが刈られて通路がしっかり確保されているが、土の道はぬかるんで、すべりやすい。歩きにくいなあ。 樹林を抜けると、林道に出た。石灰採掘会社の作った林道だ。ここを左の二ノ岳方面へ。 尾根に沿った道は車幅に伐採されててラクラク快適。採掘会社は一ノ岳を採掘しつくしたら次は二ノ岳を切り崩すつもりなのだろうか。でも道にタイヤの轍はなく、しばらくクルマが通った形跡はない。 道には真っ白な石灰石が敷き詰められたように散らばっている。いくつか拾ってポケットへ入れた。 尾根の左側を通っていた道が右側に振るところで、二ノ岳の岩稜の末端を通る。この岩稜をずっと登るのもおもしろそうだが時間的なことを考えてパス。 (このときは気づかなかったが、あとでここを登るルートがあることがわかる) (左)二ノ岳へ続く林道 (右)岩稜の末端、ここを回り込んだところに取り付きの赤テープがある(帰りに気づいた) やがて道は両側から草が茂り、通路は一人幅になる。けっこう歩いて登る人もいるようだ。 岩盤を削って造成した道は何度かヘアピンで折り返しながら山腹を登り、再び尾根に出る。しばらく行くと、車幅の道は終わって最後の岩場になる。 これを少し登ると、狭い二ノ岳頂上に出る。三ノ岳から35分ほどだった。 (左)山頂手前の岩場、ここにも赤ペンキ (右)二ノ岳頂上 頂上へ出たとたん、「ガガガガ、ガララーン、ガガガガ、ガララーン・・・」とものすごい工事音。まぎれもなく一ノ岳を削る音だ。 ということは、さあここで正面に一ノ岳がバーンと見えるぞ! と思ったが、樹木が茂って展望はほとんどない。前のほうに少し降りたら見えるかと探ったが、高さ3メートルほどの常緑樹が濃密に生えててダメ。マムシが1匹いただけだ。 山頂の東端の岩の上で背伸びして、やっと下の写真のような光景を見ることができた。 (左)これで精いっぱい (右)左端のほうを拡大してみる (左)さらに拡大、人やトラックが・・・ (右)もっと拡大、上方のビルは香春町役場 誰にも知られないよう、密かに築かれた月面基地のようだ。 とにかく山が1つ、ゴソッとまるごと削除されている。残った部分はまるで伐り株そっくり。しかもアリンコのような人間たちがなおかつそこを掘じくって、一粒たりとも石灰を残すまいとしている。 鳴り響く重機の大音響、異様な姿に成り果てた山の姿。まさに神への挑戦だ。 しかし、こうやって削られた山が、俺たちの住むマンションになり、学校になり、まちになってゆく。決してこの行為を一方的に責めるわけにはいくまい。 ある意味、これこそが人間の営みそのものだ。だからこそ小説の舞台にもなるんだな。 それに俺の住む神戸じゃ、もっとすごいことが行なわれている。香春岳は人間生活の必需品である石灰を採掘するためにこんな姿になっているが、神戸の山は海を埋め立てるために切り刻まれている。採取した山はそのまま海へ投げ込まれているのだ。 そんな神戸の人間がわざわざ九州までやって来て、他人事みたいに「これはひどい」なんてことを言ったりしたら、筑豊の人々に八つ裂きにされてしまうだろう。 そうはそうと、山を削る「ガガガガ、ガララーン、ガガガガ、ガララーン・・・」がうるさくて長居できない。しかしあの音の真っ只中で毎日働いておられる人もいるんだな。素直に頭が下がる。 15分ほど滞在して、元の道を戻った。 山頂北側で小さな花束がささやかに咲いていた 道が尾根から左へ外れるところで、そのまま尾根を直進する踏み跡を発見した。このルートが使えるかわからなかったので今回は断念したが、岩稜の末端(さっきの写真の場所、このあと赤テープを発見した)までたどれるわけね。 登りと同じ林道を下って、三ノ岳との分岐まで戻る。ここから五徳峠に戻るファミリーコースの取り付きがわからずしばしウロウロしたが、やけくそで林道をガンガン下ると、がっしりした通行止めフェンスが道を塞いでいる。その手前に、植林帯へと下るファミリーコースが見つかった。 登山道に入ると、とたんにぬかるんで、歩きにくいったらない。 三ノ岳に登る人は、小学校低学年以下または高所恐怖症でない限り、岩登りコースを選ぶことをオススメする。ファミリーコースより距離は短く、楽しさは3倍だ。とくに雨の後は。 二ノ岳頂上から40分で五徳峠に戻った。14:40。 ここからは南の香春町を目指して、ひたすら車道を下る。 下りるに従って、左手の三ノ岳、二ノ岳、そしてまっ平らな一ノ岳が少しずつ形を変えていくので、飽きずに歩ける。 (左)二ノ岳と一ノ岳 (右)田川の町が見える (左)丹精こめた、かわいい棚田 (右)三ノ岳と二ノ岳の雄大な風景 一ノ岳の真横あたりに来たとき、左手に「香春一ノ岳登山者に告ぐ」という登山禁止看板あり。その横の古い林道跡が鎖で塞がれているから、ここがかつて一ノ岳の登山口だったのだろう。 昭和36年、と書いてあるが、看板は新品だ。しかも強い口調で「登山者に告ぐ」だから、ここに登る登山者が今もいるのだろう。 (左)一ノ岳の切断面 (右)真新しい看板 (左)旧登山口とおぼしき道 (右)念入りな立入禁止 一ノ岳はこの状態だから、そこへあえて登る人というのは、石灰採取の現場を間近で見たいと欲する人だろう。その気持ちはちょっとわかる。できれば俺も見てみたい。日曜日なら工事も発破も休みなんじゃないの? でも、ひょっとすると企業秘密の最新技術なんかもあるのかも。あるいは操業側にしたら、神社の信者や自然保護派が余計なことを言うのではないかとの懸念や、もしかしたら信仰の山を切り刻んでいることへの無意識的な後ろめたさもあって、あまり見てほしくないのかもしれん。 ま、岩盤を力づくで切り崩す真剣勝負の舞台だから、部外者に興味本位でウロウロされるのはうっとおしいわな。 だが俺は、いろんな意味で、こういう現場をこそ人は見るべきではないだろうかと思った。 俺はどっちかというと自然保護への感心は強いほうだと思うし、この山が切断されて醜い姿になっているのを残念だとは思うが、二ノ岳から見たとき、少なくとも今ここで石灰採掘に従事している人たちに対する批難めいた感情はまったく起こらなかった。 むしろ、自分をも含めた人間社会についてさまざまなことを考えるいい機会を与えてもらったとさえ感じた。 もし香春町が、石灰採掘に関する資料などを備えた安全な見学場所を一ノ岳に作ったら、この異様な山は観光・教育資源にさえなるのではなかろうか。『青春の門』関連でサユリストも来るかもしれんし。 ・・・よそ者の無責任な思いつきだ。スマヌ。 さて、一〜三ノ岳がきれいに並んだ写真を撮りたくて、五徳川に沿ってずっと下り、駅とは逆の西のほうへと足を延ばす。金辺川北岸の幹線道路から冒頭の写真を撮った。 そのあと、香春町中心部へ向かう。もうたいがい疲れてきたで。 一ノ岳の麓に、炭鉱住宅のような、同じ規格の古い住宅群が残っている。兵庫県の加古川にもこれと似た感じで戦前のニッケ社宅が残っているが、レンガ塀のニッケ社宅とは違ってここは板塀だ。石灰採掘会社の社宅かな。郷愁をさそう、なかなかの風情。 (左)筑豊名物のボタ山3連山 (右)一ノ岳をバックに、古い社宅のような家並みが続く 16時ごろ、香春神社の前に出た。 ここは祟神期に香春三山の三神が合祀されたと伝わる、やたらと古い神社だ。 一ノ岳の神は、辛国息長大姫大自(からくにおきながおおひめおおじ)。「辛国」は朝鮮半島を指す。「息長」はヤマトや琵琶湖にも勢力を張った渡来氏族だ。三ノ岳のトヨヒメや現人神社も合わせて、香春岳が渡来人たちの聖山だったことが偲ばれる。 ちなみに二ノ岳の祭神はオシホネ、これは天皇家の祖先のオシホミミ(天孫降臨したニニギの父)を指すわけだが・・・。 信仰対象だった一ノ岳がこんなふうに削られるようになったのは戦前からだ。 それにはもしかしたら、この山があからさまに朝鮮半島の神を祀っていて、しかもそこにオシホネまでからんでいるのは日本の国体護持に好ましくない・・・というような皇国史観的な見方が関係したというようなことはなかったのだろーか。 などと俺は勘ぐりたくなるのだが。だっていくら石灰があるとはいえ、風土記にも出てくる由緒正しい神社の神体山だからなあ。 (左)香春神社の参道下、子どもがサッカーをしていた (右)「新羅国神」--境内の石碑に掘られた風土記の一節 香春神社の階段を登ってゆくと、金辺川の対岸にある巨大なセメント工場が一望できる。 ここで操業していた日本セメントは解散して工場は休止したと聞いていたが、今はアサノセメントになって元気に操業中だ。 町の中心部を占めるセメント工場 参道から階段を上がると、一ノ岳の中腹に廻廊つきの拝殿と本殿がある。本殿の裏に猿の群れがいた。 拝殿の戸を少し開けて中を覗いてみた。すると上のほうに、在りし日の香春岳の写真が飾られている。 (左)香春神社の拝殿にあった、昔の香春岳 (右)そして現在の香春岳 香春神社から下りてセメント工場に近づくと、川をまたいで香春岳から工場へとベルトコンベヤのようなものが新しく作られている。おそらく採取した石灰石を運ぶものと思われる。 トラック輸送よりも環境にはやさしいだろう。でも、まだまだ掘るわけね・・・。 (左)一ノ岳から伸びるコンベア (右)金辺川から。川の左が工場、右岸の建物は香春小学校の体育館 石灰コンベヤを見て育つ香春小学校の子どもたち というわけで、香春岳はさまざまなことを考えさせてくれる、ふしぎ山だった。 香春駅で30分の時間待ち。夕暮れ迫る駅のベンチに座り、拾った石灰石をポケットから取り出してもて遊びながら、しみじみとビールを飲んだ。 (登:06.5.29) 二ノ岳で拾って帰った石灰石 |
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