ふしぎ山
礫岩 つぶていわ
長崎県平戸市、287m


2006年12月の「挫折編」です。山頂まで行けてません。
2008年4月の登頂編はこちら。

 ひさびさの挫折。頂上までかなりな距離を残しての撤退でございます。

 平戸島最西端の宮之浦から志々伎山に向かう途中、北の方角にこんなふしぎ山が見えた。まるで巨大な爬虫類がゆっくりと斜面を登っているみたい。
 こいつは志々伎山の頂上からもよく見えた。こんなの見せられたら、ほっとけないでしょう。

 
(左)志々伎湾の対岸に何かいる!    (右)むきだしの岩山だ

 志々伎湾の北には、真ん丸な形をした半島が飛び出ている。この気になる岩山は真ん丸半島の北のはずれで南北に細長く連なる火山性の岩脈だ。
 周囲は50〜100mの絶壁に囲まれ、北端は断崖となって海に落ちている。周辺に道はない。

 この礫岩に関する情報を検索しても、「希少植物の自生地」「登山道はない」というようなことしか出てこない。しかもその希少植物は盗掘の危機にさらされているらしい。
 そこで今回は希少植物保護の観点から情報のネット流出を自粛し、俺が辿ったルートの詳細は省略する。
 ま、どうせ登れなかったんだけど。

 礫岩の西に「早福(はいふく)」、東に「大佐志」という集落がある。国土地理院の地図によると早福からが少しだけ近そうなので、とりあえずそっちからアタックだ。
 前日と同じく朝6:45平戸バスターミナル発、宮之浦行きのバスに乗り、1時間近くかかって真ん丸半島の根元にある津吉橋(つよしばし)に到着した。ここでバスを降り、舗装道路をひたすら西へ歩く。

 早福は真ん丸半島の西端にあって、島の他地域とは屏風岳・佐志岳によって分断されている。近年まで道はなく船でしか行けない陸の孤島だったらしい。現在は僻地巡回のマイクロバスが1日数本走っているが、旅行者には極めて利用しずらい時刻設定だ。
 だから歩いて山越えするしかないのよね。
 気温は低いが天気もいいし風もなくて、坂を登るにつれ汗ばんでくる。

 
(左)朝焼けの屏風岳(左)と佐志岳(右)の間を越える    (右)峠の手前に新しいトンネルが建設中

 45分で屏風岳と佐志岳の間の峠に達した。峠は切り通しになっている。坂を上り詰めた瞬間、猛烈な西風が正面からブワーっと吹きつける。
 やはりそうか。この季節、平戸島の西岸と東岸では気候がまるで違うんだな。

 
(左)切り通しの峠。トンネル完成後は使われなくなるだろう   (右)早福の海と工事中のトンネル接続道路

 峠を越えて下るにつれ、早福の青い青い海が見えてくる。峠から集落までは35分。真ん丸半島横断に都合1時間20分かかった。

 
(左)まさに屏風のごとく交通を遮断する屏風岳   (右)高台にある早福の集落

 早福の港を北風から守るように張り出した尾根を北へ回ると、いきなり視界が開け、礫岩の姿が目に飛び込んでくる。
 おいおいおいおい、まじですか! この風景の雄大さはいったい何ごとだ。
 右肩上がりの姿で遠くに悠然と横たわる礫岩、そこへ向けて大きく開けた空間に、海からのしぶきを乗せた強い風がびゅうびゅうと吹き上がっていく。
 建物は農作業用の小屋がいくつかあるだけだ。こんな場所が九州の小島の裏側に隠れていたとは。日本はまだまだ広いなあ。

 
(左)集落を抜けるや展開する、別世界のような景観   (右)荒々しい海に浮かぶ阿値賀島

 強い風の中、俺は惚れ惚れと感動しながら畑地の中の道を進んで行った。
 荒い波が打ち寄せる磯の向こうに、気になる形をした島が二つ浮かんでいる。農作業の老人に「あの島はなんですか」と尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。
 「あれはアジカばい」
 あとで調べたら「阿値賀」と書き、地質・植生・鳥類繁殖などさまざまな面で貴重なことから全島が天然記念物に指定されているらしい。

 ついでに老人に「礫岩に登る道はないんですか?」と聞いた。
 「昔は登ったもんだが、今はもうないじゃろう」
 「昔はどっちから登ったんですか?」
 「あっちじゃ」
 老人は左のほうを指した。やはり北側のゆるやかなスロープから稜線づたいに登ったのか。

 地図の破線を辿って尾根を一つ越えると、眼下の谷に棚田が現れた。人家はなく早福から耕作に通っているようだが、よくもまあこんなところにまで田んぼを作ったものだ。
 田んぼの横に、2002年に立てられた平戸市教育委員会の真新しい看板がある。礫岩の岩石地には朝鮮半島系と日本列島系の植物が共存し、さらに固有種が群生していて、「非常に価値の高い植物群落」として国の天然記念物に指定されているらしい。

 
(左)棚田の向こうに迫る礫岩、圧倒的な迫力   (右)拡大、いくつかの岩を組み合わせたような姿

 
(左)棚田の下はすぐ荒波が打ち寄せる海。茫漠たる風景   (右)平戸市教育委員会の看板

 地図の破線は棚田を横切り、もうひとつ尾根を越えた北の谷で消えている。
 とりあえずそこへ行こうと思ったが、道は棚田の奥ですぐになくなり、谷筋のルートは濃密なヤブに閉ざされた。何種類かのツル植物が繁茂しているが、それらすべてにことごとく鈎針のようなトゲがある。
 突破不可能なので斜面の森に逃げた。しかしここに生える木の幹にもトゲがあって支えにできない。いくぶんマシに見えた対岸の斜面に渡ろうとして、うかつにもさっきの谷底のトゲヤブに捕まった。

 これはマズイ。俺の全身352ヵ所くらいが鉤状のトゲに絡め取られ、身動きとれない。まるで地獄の罰ゲームだ。
 3歩進むのに1分以上かけながら、わずか15mほどの距離を20分がかりで脱出した。

 
(左)この先で道は消えた   (右)過去最強のヤブ、もう何がなんだか

 早くもくじけそうになったが、気をとりなおして近くの尾根筋に取り付いた。
 ここから先のルート詳細は省略するが、まあなんとか礫岩方面へ向けて森の中を突き進んでいくと、いきなり銀色に光る真新しい標柱が現れた。
 天然記念物を示す標柱だ。その足元に小さな小さな希少植物を発見した。

 
(左)森の中を登る   (右)平戸市教育委員会による標柱

 
(左)このささやかな植物を盗りに来るバカモノがいるという   (右)大きく迫る礫岩

 そこからは踏み跡があり、辿って行くと標柱が次々に現れる。3本目の標柱のところで海を眺めながらおにぎりを食った。早福から1時間10分。
 その先はさらに踏み跡が明らかで歩きやすくなる。標柱を立てるために何人もの人が通ったんだな。
 進むに連れて礫岩が角度を変えていくさまがおもしろい。

 
(左)明確な踏み跡   (右)少しずつ表情を変えていく

 おにぎりを食ってから25分ほど歩き、10本目くらいの標柱を数えたころ、礫岩の主脈に到達した。
 麓の老人が言ったように北からアプローチしたかったけど、思いっきり南側。とにかく行けるところまで行ってみよう。

 この先にはもう標柱はなかった。踏み跡も不明瞭になる。
 やせた岩尾根を進んでいくと、左右の足元に海を見おろすようなところに出た。西風は相変わらず強く、ここまで潮のつぶが飛んで来そうだ。足がすくみそうになる。

 
(左)さっき通った棚田と、阿値賀島を見下ろす   (右)南に志々伎山が見える

 そのとき突然、音楽が聞こえてきた。音楽?

 この荒々しい景観と強風、刃物のような岩稜の上にいるというシチュエーションの中で、チンチロチンチロと聞き慣れた音楽が鳴っている。リュックの中で携帯電話が鳴っているのだ。あまりのミスマッチに一瞬、頭がクラっとした。
 俺は旅先ではたいてい電源を切っているが、時間を見たときに切り忘れたのか。

 通話ボタンを押すと、娘(小3)のかわいらしい声が聞こえてきた。1週間のスキーキャンプから帰ってきたらしい。
 「おとうさんにおみやげ買ったよ。かわいいやつ。いつ帰ってくんのん?」
 「おとうはあしたの晩に帰りまちゅよ〜。待っててくだちゃいね〜」
 「はーい」

 電話を切る。娘の声の余韻が強風に吹き消される。
 いかん、さっきまでのハイテンションを早く取り戻さねば・・・こんなところでの気の緩みは危ないんだよぅ〜。

 縦に並んだ礫岩南面の絶壁が正面に迫ってきたあたりで稜線が大きく切れ落ち、前進困難になった。いったん西側の斜面に下りて、岩稜の根に沿ってトラバースする。斜面が急なうえ南方系の植物が繁茂していて、なかなかきつい。

 
(左)正面に礫岩南面の岩壁が迫る   (右)斜面を下りて岩の根を迂回する

 切れ込み周辺の岩場を迂回して、再び主稜へとよじ登るのに20分ほどかかった。
 稜線に出ると、いよいよ礫岩が大きく迫ってくる。

 
(左)再び主稜に戻った   (右)礫岩の頭部拡大

 灌木を避けながら進むと、稜線はますます幅が狭くシャープになり、同時にギザギザの岩むき出しになってくる。礫岩というだけあって、たしかにツブツブの礫岩(れきがん)でできている。両側は海までズバーンだ。

 
(左)迫る礫岩南壁   (右)西斜面の岩場と阿値賀島

 
(左)稜線上の岩塔を越える   (右)東には真ん丸半島北側の佐志湾と竹ノ子島が展開する

 主稜に戻って15分進んだところで、それ以上稜線を進むことができなくなった。真正面に南壁が立ちふさがり、その手前がまた深いキレットになっている。

 ここを登るのは不可能

 頂上を目指すには、さっきみたいに左側斜面をいったん慎重に下り、岩脈の根に沿って礫岩の北側へ回り込んで、稜線に這い上がったら180度Uターンして南下するしかないだろう。
 そうするつもりだった。だがこの時点で11時35分。ここまでのルート状況から検討するに、頂上まであと2時間くらいかかる可能性がある。頂上から同じルートを戻るのにも2時間、さらに下山に2時間と考えると、途中で日が暮れてしまう。野宿の用意もないし、今夜は相当冷えそう・・・。

 さっきの電話で俺の決死テンションが下がっていたことも否めない。こんなタイミングで電話がかかってくるとはね。生きて帰らないと。
 娘が命を助けてくれたと考え、俺はここで撤退を決めた。とほほ〜。

 
(左)帰ることを決めて、おいしそうなカンゾウの芽に気付く   (右)帰りはあの尾根から大佐志に下ろう

 来たルートをしばらく戻り、途中から支尾根に入って、東の大佐志集落を目指す。この支尾根にも平戸市教育委員会の標柱と踏み跡があった。
 東側から見た礫岩は、いくつもの岩ヒダがあって一層美しかった。

 
(左)支尾根から、谷を挟んで佐志岳   (右)往路に辿った主稜と、遠くは屏風岳

 
(左)礫岩の東にまわる   (右)真横に来るとカッターで刻んだような岩ヒダが美しい

 
(左)頭部拡大、怪獣だ   (右)尾部にはふしぎな2本の岩塔が!

 
(左)大佐志集落が見えてくる   (右)最後の岩場を降りて振り返る

 この尾根はけっこう長かった。踏み跡はずっと続いていたが、最後には見失って少し迷った。
 撤退ポイントから1時間20分かけて大佐志最北端の人家に出たが、結局どこから踏み跡が始まっていたのかわからずじまいだった。
 大佐志から海沿いに歩いて、30分ちょっとで津吉橋に戻ってきた。

 
(左)尾根は下るにつれてこんな森になる   (右)大佐志からの礫岩、こっち側の風景はさほど雄大ではない

 尾部のふしぎな兄弟岩塔も見えた

 それにしても、わずか300mに満たない低山でこれほど懐の深い山はそうないだろう。とにかくアプローチがやたらと不便だし、登るにもどこからどう行けばいいのか、取り付くシマもない感じだ。
 でも早福からの雄大な風景は忘れ難く、稜線からの眺めもド迫力だった。頂上からは想像を絶する360度パノラマに違いない。改めて日本列島の素晴らしさを再認識させられる山だった。

 ただしこの山に登ろうとする人は、貴重な植物が懸命に生きる国指定の天然記念物であることを忘れず、踏み荒らさないよう少人数で丁寧に行動する必要がある。むろん盗掘する輩は見つけ次第ボコボコにせねばならない。
 それと岩稜は危険を伴うので、初心者や高所恐怖症の人はやめとくべきだろう。道もないので磁石による読図ができない人も無理。葉の茂る季節もキツかろう。強風にも要注意だ。

 ともかく、再訪が楽しみな山がまた増えた。  (06.12.29)
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