ちぎれそうなところ
天橋立 (船越の松)

(京都府宮津市)

 2009.4.30

 
 小学生の頃、家族で訪れて以来の天橋立だ。
 普通に観光しに行っただけなのに、ここで予期せず船越に遭遇してしまった。

 赤いピンの位置が船越

 考えてみれば、「ちぎれそうなところ」と言っても、沿岸流によって形成された細長い砂州である天橋立はどこでもちぎれてしまいそうだ。

 で、実際にちぎれている。南端の天橋立駅の近く、「大天橋」「小天橋」の2カ所で、内海の阿蘇海と外海の宮津湾がつながっている。
 阿蘇海には野田川をはじめとする川が何本か流れ込んでいるから、どこかで切れていないと溢れてしまうのだ。

 小天橋は船が通るときに回転する仕組み

 
(左)小天橋から阿蘇海方面を見る   (右)小天橋から南東に伸びた運河

 
(左)大天橋は固定橋   (右)大天橋から見た阿蘇海

 このときは潮が満ちてきている時間だったらしく、外海から内海へと海水が流れ込んでいた。
 水とともにたくさんのクラゲも流れ込んでいたので、そのクラゲの流れ方で流速がだいたいわかる。人間が歩くよりもだいぶ速かった。

 2つの橋に挟まれた部分は陸地に平行する細長い島を形成しているが、大正時代の絵図などを見るとこんなに長く伸びていないから、わりと近年まで成長が続いていたようだ。
 でも現在は砂州の成長は止まっているらしい。全国どこでも海砂が減少中だ。

 大天橋を渡るといよいよ天橋立の長大な砂州が始まる。砂州自体のおもしろさもあるが、日本海の浜辺と水の美しさに時間の経つのを忘れてしまう。あっちこっちで腰を下ろしたり、海に足を浸けたり、寝そべったりしてだらだらと泣き濡れちゃうよ。

 
(左)延々と3km続く松並木   (右)宮津湾側は砂浜と水の美しさにうっとりとさせられる

 そんなこんなで歩いた3kmの松並木もいよいよもうすぐ終わり、と思ったあたりで、突如こんな標識が出現した。

  
(左)むっ!   (中)船越の松本、ではありません   (右)そーとーデカイ松の木だ

 この場所は昔から船越と呼ばれていたらしい。そこに生えている大きな松だから、船越の松という名前がついた。
 つまり、ここで船を担いで天橋立を越えたわけか!

 この場所から南を見たのが下の連続写真。これが船越の幅だ。



 幅50mくらいだろうか。これならさして苦労なく越えられたのではないか。

 天橋立はこの先で幅が広がり、道が二手に分かれる。左が内海側、右は外海側へと向かう。

 船越のすぐ北の分かれ道

 籠(この)神社や傘松公園などの観光ポイントは内海側にあるので、ほとんどの人がそっちへ行く。俺もそうした。

 
(左)籠神社   (右)海亀に乗ったヤマトノスクネ

 籠神社は海部(あまべ)さんという一族が代々宮司を務めている。その系図は日本一古くて、国宝に指定されている。右上写真はその系図によると4代目、神武の東征のときに海亀に乗って現れ、水先案内をしたお方だ。
 このあたりの古代事情について書き始めると俺は止まらなくなる。船越とは何の関係もないのでやめとこう。

 その背後の山の上に傘松公園がある。標高約160m。ロープウェイやリフトがあるが、俺は当然歩いて登った。往復650円を稼いでやった。
 傘松公園の名物といえばこれ、股覗きだ。天橋立が天から地上へ架けられているように見えるっちゅー話だけど、いかが。



 ちなみに、この股覗きも船越とは何の関係もない。
 でもたまたま話を聞いた傘松公園の売店「小倉屋」のおやじさんがなかなかの物知りで、またその話がおもしろかった。

 おやじさんによると、天橋立の船越は、砂州南端の切れ目までまわって外海へ出る時間と労力を惜しんだ阿蘇海の漁師たちが使った場所らしい。
 船越行為に際しては、船を担いだのではなく、丸太を寝かせてコロとして使ったらしい。その丸太はみんなの共有財産だったとのことだ。
 「くわしくはわかりませんけど、昭和の始めにはもうやらんようになってたと思いますよ」とおっしゃっていた。

 傘松公園から下り、再び天橋立へ向かった。
 砂州の根元付近には観光船の港があり、帰りはそれに乗る人が多いようだ。
 阿蘇海北岸の港はこれしか見えず、かつて船越を行なった漁村は見当たらない。もう少し西に溝尻という集落があるけど、そこにはあるのだろうか。

 
(左)砂州の根元付近からみた天橋立と阿蘇海   (右)観光船の港。漁船はずっと向こうまで見当たらない

 俺は観光船には乗らず、帰りも橋立を歩いた。
 そしてもう一度、船越の場所に立って、東西を見た。

 
(左)外海(宮津湾)は砂浜   (右)内海(阿蘇海)側には砂浜はないが水深は浅い

 明るい砂浜に日本海の波がさわやかに打ち寄せる外海。
 松林の向こうで鏡のように静まり返る内海。

 1本の細長い天橋立を隔てて、風景がまるで異なっている。

 静かな阿蘇海から、天橋立を越えて外海へと漁に出る。そして夕方には獲物を乗せた船をまたコロに乗せて天橋立を越え、我が家のある静かな海へ帰っていく。
 そんな力強い漁民たちの姿が見えるようだ。

 百人一首の昔から天下に名高い日本三景といえども、この地に生きる海の民にとっては外海の高波から守ってくれる防波堤であり、同時に、いちいち船を越えさせなければならない障壁でもあったわけね。
 ありがたくもあり、ありがたくもなし。自然環境と人間生活はいつもそんな関係だ。  (記:2009.5.7)
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