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| 真珠・アワビ・イセエビなど高級海産物がどっさり獲れる幸せの地、志摩半島。その周囲は典型的なリアス式海岸で、中でも半島の南部に口を開ける英虞(あご)湾はとびきりのぐしゃぐしゃ地形を演出している。 その英虞湾の向かいに、まるで湾から細かい島々が流れ出さないようにフタをしているかのような、東西に細長い陸地がある。前島(先志摩)半島だ。紀伊半島を親、志摩半島を子とするならば、前島半島は孫という関係になる。 早春2月。あたたかな南向きの海岸地方を歩きたくなった俺は前島半島の徒歩縦断を思いつき、地図を広げた。その瞬間、ある1点に目がクギ付けになった。前島半島の根元が、まるでちぎれそうなほどにくびれているではないか。 そして、そこには「船越」という地名が書き込まれていた。 赤線は歩いたルート |
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俺は志摩半島の南東端、大王崎灯台から西を向いて歩き始めた。志摩の太平洋岸は春を先取りしたような陽光に包まれていて、汗ばむほどだ。 ずっと海沿いに歩きたいと思ったが、波切の墓地を最後に道は海岸線を離れ、内陸の丘陵地を回りこんでゆく。海食崖が険しくて道が作れないようだ。 大王崎から直線距離で約3kmのところを1時間以上かけて迂回し、再び太平洋岸に出たところは、ストーンビーチの小さな湾だった。その浜に沿って、頑丈な堤防がガチッと作られている(冒頭写真)。 堤防の背後には集落がある。そこが船越だった。 船越の堤防から見た太平洋(東の方角)ここから始まる前島半島は10kmほど西へと延び、御座岬で海中に没する。 半島の北側は英虞湾に面している。まるで鏡のように穏やかな英虞湾にはそっとイカダが浮かべられ、真珠貝が育てられている。 かたや南側は果てしない太平洋だ。ごうごうと流れる黒潮も、荒れ狂う台風も、地震による津波も、すべては南から叩きつけてくる。 その両極端な2つの海が背中合わせに出会う場所、それが船越だ。 赤線は歩いたルート集落と太平洋とを隔てる堤防の高さは3mくらいもあり、その上に国道260号線が走っている。おそらく伊勢湾台風(1959年)の後に築かれた防波堤なのだろう。 堤防下にはトンネルがあり、集落から太平洋へ抜けられるようになっている。が、そのトンネル通路には頑丈な鉄製の扉がついている。台風や津波の時にはこの扉を閉じて海水を遮断するに違いない。 堤防下のトンネルと遮断扉太平洋に面した浜から、英虞湾までの距離、すなわち船越の幅は東西500mほどだ。その間で一番高いところはこの堤防周辺のようで、堤防からゆるい坂を下りて集落内に入ると、あとは英虞湾まで400mほど、ずっと平らな道だった。 頑丈な堤防と頑丈な扉がなかった時代、台風などによる太平洋の怒涛はいともたやすく船越を乗り越して、英虞湾に流れ込んだに違いない。 バスも通る集落内のメインストリートを歩く。 堤防の近くから見た船越集落(西の方角) 道はゆるやかにカーブする船越は東西500m、南北250mほどの小さな集落だが、旧大王町(現在は周辺4町と合併して志摩市)では波切に次ぐ規模の集落のようで、小中学校・郵便局・診療所などがある。 だが歩く人の姿はほとんどない。 診療所のようだが・・・ 手作り感の最高な超素朴診療所!やがて道沿いに水路が現れ、ほどなく英虞湾に出た。太平洋側は堤防で遮断されていたが、英虞湾側は漁港になっている。 英虞湾最奥の船越漁港港には魚網などの手入れをする人がちらほらいた。 かつて船はここから船越集落内の水路を曳かれ、途中からは人間の手で担がれて、太平洋との間を行き来したのだろう。 なにしろここは海女漁の盛んな土地柄だ。志摩の人々ははるか太古の昔から、小さな船を自分の手足のように日々操って暮らしてきた。太平洋は危険な海だが、南の幸も運んでくる。 波静かな英虞湾から太平洋の大海原へいきなり出られる船越は、志摩南部における特別な場所であったはずだ。交易や祭りが盛んに行なわれたかもしれない。 しかし時代は移り、津波対策の堤防もガッチリと築かれて、「船越」は過去のものとなった。 それにしても、ここで船越行為をやめたとなると、奥深い英虞湾と太平洋岸の集落との行き来はそうとう不便になったはずだ。 と思いつつ再び地図を見ると・・・ややっ、船越から1kmほど南西に、英虞湾と太平洋を結ぶ水路があるではないか!(ヤフー地図) 船越から丘を越えて15分ほど歩いたところで、その水路が忽然と現れた。深谷水道だ。 ![]() (左)明らかに人工的に掘られた運河 (右)小さな船が通ってゆく 帰ってから調べてみたら、この深谷水道は全長550m。英虞湾の一番奥に太平洋(熊野灘)の水を通すことで湾内の水温を上げ、赤潮の発生を防ぐことを目的として、難工事の末に1932年に完成したらしい。 真珠養殖の盛んな英虞湾の水質保全に効果があっただけでなく、英虞湾と熊野灘を行き来する小型船舶にとって大変便利な通路になっているということだ(「伊勢志摩きらり千選」より)。 深谷水道の完成によって船越は完全に伝説となった。 それと同時に、よく考えたら前島半島はここで本州と切断されたわけで、半島ではなく「島」になったとも言えるかもしれん(つまり前島島?)。 深谷水道をあとにした俺は前島半島南端の麦崎灯台へ立ち寄り、さらに西へと歩みを進めた。 だがのんびりあちこち寄り道するうちに帰りの船(御座港〜賢島間)の時刻が迫ってきて、半島なかばの布施田というところで徒歩縦断をあきらめざるを得なくなった。 前島半島には路線バスがほぼ30分間隔で走っている。辺鄙な半島のわりに便利なところだ。布施田から乗ったバスは20分ほどで半島先端の御座へ着いた。 御座から近鉄駅のある賢島までは小さな定期船が出ている(600円)。だが朝2便、午後2便しかないので要注意だ(志摩マリンレジャー、電話0599-25-3147)。 船から見た英虞湾歩き残した部分は、いつかの楽しみにおいておこう。 (06.5.25記) |
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