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書評:看護婦と勇気
評者:水野智(名古屋大学医学部附属病院医療情報部)
(『看護展望』98年4月号、メヂカルフレンド社)
従来より医療問題に関するユニークな書をいくつか刊行して注目を集めてきた大阪の小さな小さな出版社、さいろ社の手によるものである。
「病院」という狭く特異な世界が想定してきた枠組みでは解決できない問題にナースが遭遇した場合、時には「規則」や「病院の方針」に、時には「先生」に、そしてある時には「労働条件」や「専門性」にゲタを預ける形で逃げ場を見出す…というケースが往々にしてみられる。しかし一方で、そんな問題から逃げることなく真正面から向き合った看護職たちもいる。
「あとがき」で編集者の松本が述べるように、本書は“医療問題”といわれる様々な場面に遭遇し、自らの専門性や職業的自律性、そして自身の人間性を賭し勇気ある決断、勇気ある行動をとったナースたちの10のケースを記したものである。「医療ミスと訴訟」「薬害と難病」「『脳死』臓器移植」「阪神大震災」の4章で構成される。
「自分にはこれほどの勇気が持てるのか?」「この決断(あるいは行動)は、この場合本当に正しかったのか?」「ナースのこんな当たり前の行動すら困難な今日の医療界とは?」など、様々な思いが頭の中を駆け巡る。“勇気づけられる”というより、いい加減で逃げ腰の日々を送っている者にとってはむしろ“ドーンと心の重たくなる”ような本である。
初めてこれを読んだのは昨年の秋であったが、この中の2つのケースが妙に私の記憶に残った。
ひとつは、自分が犯した医療ミス(シゴシンの過剰投与)によって新生児1名を死亡させてしまったベテランナースが、その事故を隠そうとする病院側の態度や後ろめたさに悩んだ末、犯したミスのすべてを自ら明らかにしたというケース。むろん彼女が口を噤んでいさえすれば全く明るみにに出ることのなかった事件、遺族さえも「病状の悪化による死亡」と信じており、彼女の告白で初めて事態の真相を知ったのである。
なぜ彼女はこんな状況下で敢えて(?)すべてを告白したのか。むろん彼女の良心に負うところが大であることは言うまでもないが…。少なくとも私が彼女の立場なら、それをする勇気は正直言って「ない」。患児や遺族への思いや良心の呵責、そして職場の圧力や職場に与える被害との板挟みに、自ら生命を絶ってしまう可能性はあっても、遺族の面前ですべてを告白する勇気は(卑怯ながら)ない。
働くひとりの人間が、己の良心と、自らの心の拠りどころである職場との間に苦渋し揺れ動き、そして決断するという過程の重さを改めて思い、正直であること、良心に従うことの難しさ、自分自身の卑怯さ、小心さに深い深いため息をついた。
2つ目は、阪神大震災の被災地におけるナースの活動に関する一文である。
被災地の病院に勤務する婦長(37歳)は、地震初日には病院に駆けつけることができず2日目まで避難所や別病院で救援活動を行った。しかし彼女はただただ「病院に行きたかった」という。現地で出会った日赤救護班から「(看護婦なら)ここで働け」 と言われても嫌だったという。道端で死にかけている人の心臓マッサージをしていても、「こんなことをしていたら抜けられなくなる。病院へ行けなくなる」とさえ思ったという。
極限の状態におかれて初めて見えてくる自己と職場との関係や距離、職場コミットメントとは何か、職場とは何か、仕事仲間とは何か、新鮮な示唆と大いなる問題提起をしてくれた。
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