ちょっとした旅ホーム
ティオマン島への旅

息子と楽園(その2)



2007.3.26〜4.2
(台湾〜シンガポール〜マレーシア)
←なぜティオマン?
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←2日目◆台北からシンガポール
↓3日目◆シンガポールからティオマン島 
(このページ)
→4日目◆ティオマン島・二パー滞在
→5日目◆ティオマン島・引き続き二パー滞在
→6日目◆ティオマン島からジョホール・バル 
→7日目◆ジョホールバルからシンガポール、そして台北 
→8日目◆帰国 


3日目◆シンガポールからティオマン島

 朝6時集合のバスに間に合うよう、5時すぎに眠い目をこすりこすり起きた。
 そして伍星旅遊のバス発着場まで、暗い中を1.5kmほどタッタカ歩く。朝でも熱帯はやっぱり蒸し暑く、じっとりと汗をかいた。

 伍星旅遊には他の客もすでに集まっていたが、カウンターの太ったマレー系の無愛想な女は客を無視してダルそうにパソコンのキーを叩いたり電話したりしている。20分ほど待たされてやっと手続きをした。

 しかし店の前の路肩にはたくさんのバスがズラッと並んでいて、メルシン行きのバスはどれなのかサッパリわからない。
 そのへんの運転手に聞いて、少し離れた路上に停まっているバスを教えてもらった。俺と丘がバスの横へ行くと、あとから他の客もゾロゾロと集まってきた。中国系カップルが1組と、白人の家族連れやバックパッカーが3〜4組。日本人はいない。
 バスのドア前で10分ほど待っていると運転手が来て、乗客をバス内に招き入れた。座席はソファーみたいに豪華だ。

 バスはすぐに出発した。
 20分かそこらで、マレーシアとの国境、コーズウェイにさしかかった。コーズウェイはシンガポール島とマレー半島の間のジョホール水道にかかる橋・・・のように見えるが、じつは海を埋めて築いた堤防らしい。
 なんとシンガポールとユーラシア大陸は地続きだったのだ。

 そのコーズウェイを渡るうちに、異変を感じた。なにやらバスが立ち往生して大変なことになっている。
 フロントガラスを見ると、前からどんどんバスに向かってマレーシアの車がやってくる。マレーシアの車か、このバスか、どちらかが車線を逆行してるようにしか見えない。こんな光景は生まれて初めて見た。いったいどうなってるんだ?
 当然のことながら大渋滞。運転手も必死のようすだが、どうにもできない。

 と言いつつ悪戦苦闘の末にどうにかなったらしく、やっとこさ進んでコーズウェイを脱出した。
 ちょっと走ったと思ったらバスはまた停車した。そして全員がバスを降りる。シンガポールの出国審査場だった。ここはパスポートだけで簡単に通過する。
 建物を出たところにバスが待っていて、また乗り込んだ。少し走ったと思ったら、また停車して全員下車。今度はマレーシアの入国審査場だ。俺はいつものように辞書を引きながら時間をかけて審査カードに記入し、ラストで通過した。

 こうして無事にマレーシアに入国した。
 外で待っていたバスに三たび乗車し、今度こそメルシンへ向けて走った。

 しばらく走ると、イスラム教徒の白いベールをかぶったマレー系の若い女性が俺の横へやってきて、英語で話しかけてくる。俺の今夜の宿はどこかと聞いているようだ。乗客名簿らしいファイルを持っているので、伍星旅遊と契約している現地スタッフなのかな? さすが一人25Sドル(2000円弱)もしたチケットだ・・・。

 宿はティオマン島へ上陸してから適当に探そうと思っていた。だからどこも予約していないと言うと、そんな客は珍しいようで、しかも英語もつたない親子を見て、なんとかしてあげなくちゃと思ったようだ。
 彼女はいったん俺の横を離れてから、しばらくしてまたやって来て、真剣な顔でメルシンに着いたらドウノコウノ・・・と言う。なにかよくわからなかったが、彼女が非常に真面目そうで、美人で、また控えめで静かな語り口調もよかったので信用してもよかろうと思い、とりあえず「OK, I see.」と言っておいた。

 マレーシアにはおもに3種類の人々が住んでいる。人口の1/4を占め経済を牛耳る中国系は自信満々、7%だが商売上手のインド系(ほとんどドラビダ系)は人懐っこいがどこか油断ならない感じ、そして多数派のマレー系は控えめではにかみ屋。そんな性格だからマレー系は中国系とインド系より社会的劣位に立たされている。
 でも日本人としてはたぶんマレー系と話すのが一番ラクだろう。ただし彼らはイスラムなので、あくまで表面的な関係においては、だが。

 バスの車窓は、延々と続くパームヤシの単調な森だ。これが日本のヤシノミ洗剤なんかになるのだろうか。ジャングルは徹底的に切り開かれ、ほとんど残っていないので景色はすぐに見飽きてしまう。

 1回のトイレ休憩を挟み、シンガポールを出てから5時間ほどでメルシンに着いた。
 バスを降りると、さっきの若いマレー女性に、別のマレー女性(こんどは太っちょのおばさん)を紹介された。バトンタッチで引き継いだそのおばさんは、俺と丘を乗船場のすぐ近くにある小さな旅行会社のオフィスに連れて行った。

 メルシンの乗船場、真新しくて立派

 このおばさんもさっきの若い女性同様、日本人的な気配りをする、感じのいい人物だった。
 おばさんはティオマン島の各地を紹介するファイルを見せ、ティオマン島のどこへ行きたいのかと聞く。俺は「ムクッという村に行きたい」と言った。そこがイヤーズ・オブ・ドラゴンにいちばん近いからだ。
 しかしおばさんは、「ムクッはストーンビーチよ。その隣のニパーなら砂浜だし、そこからでもトレッキングはできるはず」と言ってニパーを勧める。俺としては、山に近づけるんならべつにムクッにこだわる必要はなかったし、おばさんの人柄を一瞬にして信用したので、その意見に従った。

 おばさんはその場でニパーの宿に電話して予約をとってくれた。そして「船が出るまでに両替をして、メシを食うなら食って来い」と言って、その周辺の地図をくれた。

 メルシンは田舎の小さな港町だ。商店街というほどのものもなさそう。
 埃っぽい町を数百メートル歩いたところに両替商(もちろん中華系)があり、2万円をマレーシアの通貨リンギッに替えた。
 そして旅行社の近くに戻り、セルフのマレー料理店でマレー式ぶっかけ飯を食った。

 辛そうでないのを選んだが、全部辛かった・・・

 やがて時間がきて、おばさんのオフィスに置いていた荷物を持って船に乗った。
 フェリーかと思っていたが、高速船だった。高速船はずっと船室の椅子に座ってないといけないのでおもしろくない。船賃は一人35リンギッ(1000円ちょい)。マレーシアの物価に比してかなり高額だ。
 船はメルシン川の河口近くの岸から出発した。このあたりの水は茶色く濁っている。

 
(左)船上から見たメルシンの町と船着場(帰路に撮影)   (右)メルシン川河口から南シナ海へ出る

 船内は寒いくらいに冷房が効いていた。席は8割がた埋まり、マレー系が多いが白人バックパッカーも何組かいた。日本人はやはりゼロ。
 船内テレビで「ロード・オブ・ザ・リング」のビデオが流れていた。丘はそれをずっと見ていたが、俺は30分もするとじっとしておれず、勝手にハッチを開けて外に出て、運転手の真後ろの狭いスペースから外を眺めた。
 すると前方に、イヤー・オブ・ドラゴンがその不気味な姿を見せていた。船が進むにつれ、角度を変えながらぐんぐん近づいてくる。ついに本物を見たぞ!

 
(左)ティオマン島が近づいてくる   (右)龍の耳、拡大・・・右端の岩塔は垂直だ

 やがてドラゴンの耳が手前の山に隠れて見えなくなったころ、船はティオマン島の最初の寄港地、ゲンティン集落に着いた。浜から細い桟橋が延びている。
 ここで俺と丘を含めて7〜8人が下船した。

 
(左)ゲンティンの桟橋   (右)桟橋の下を見ると・・・この海、この魚!

 メルシンの旅行社のおばさんは「ここにミスター・ディンが迎えに来る」と言った。ティオマン島には道路がほとんどなく、集落から集落へはボートで移動するほかない。
 が、誰もいない。俺と丘と、1組の大柄な白人カップルだけが桟橋に取り残された。

 しばらくすると、小さなモーターボートで太ったマレー人がやってきた。この人がミスター・ディンかと思ったが、彼はボートを桟橋にもやいで、知らん顔してゲンティン集落へ行ってしまった。
 さて、どうしたものかと思いつつそのままボーッと待っていたら、10分ほどしてさっきの太った男が桟橋に戻ってきた。そして少し離れた場所にいた白人カップルに何か言い、彼らと一緒にボートに向かう。あ〜、いいなあ彼らはお迎えが来て。

 俺の前を通り過ぎざまに、太った男は小さな声でこうささやいた。
 「あんたらはどこへ行くのか?」
 「ニパー・・・ミスター・ディンを待っている」
 「行こう」
 「ん? ユー、ミスター・ディン!?」
 男は小さくうなづいた。
 それならそうと最初に挨拶しろっ! あぁこの愛想のなさとシャイさがマレー人だ・・・。

 小さなボートにデカイ白人カップルとともに乗り、海岸線を南へ向かう。ボートに跳ね上げられた海水が、熱帯の日差しに火照った肌に浴びせかけられる。
 うむー、気持ちがええぞ。

 島はジャングルに覆われ、山がそのまま海に落ち込んでいて、平地はほとんどない。島の周囲は巨大な岩がむき出しになっている。
 まもなくドラゴンの耳の一角が見えてきた。ボートはそれにぐんぐん近づき、やがて小さな弧を描いて湾入する砂浜にそのまま乗り上げた。
 そこがニパーだった。

 
(左)ドラゴンの耳が見えてきた   (右)ニパーの砂浜

 砂浜の正面にトタンぶきの粗末な海の家がある。そこへ入るとマレー系の従業員に迎えられ、宿帳を書かされた。
 そしてシャレーと呼ばれる簡素な小屋に案内された。1部屋1泊20リンギッか25リンギッだった。およそ700〜800円。

 
(左)ニパーの海の家、食堂兼管理棟   (右)前の海

 
(左)シャレー   (右)部屋。扇風機のみ。シャワー&トイレ(ともに水チョロチョロ)つき

 荷物を置いて、やっと目的地に到着したことに安堵した。
 ニパーには集落らしきものは見当たらない。砂浜の裏にラグーンがあり、海とラグーンに挟まれた砂地に海の家とシャレーが並んでいる。ラグーン北側の少し離れた場所に何軒かの家があるようだが、従業員らの住まいかもしれない。

 とりあえず、さっそく水着に着替えてひと泳ぎだ。
 ニパーの砂浜の長さはほんの500mくらいで、両側は岩場になっている。
 遠浅の海はあたたかく、どこまでも清い。砂地には魚はあまりいないが、湾口の岩場にはけっこういそうだ。
 さっそく丘が持参した折りたたみ式のミニ釣具で岩場をさぐってみたら、すぐにきれいな魚が釣れた。でも夕方が近く、潮も満ちてきたので、とりあえずこの日はすぐにたたんだ。

 
(左)湾口の岩場   (右)釣り糸をたらす丘

 こんなのが釣れた

 ニパーで食べるところは海の家しかなく、食事は3食、ここで食べる。洋風に食べやすくアレンジされたマレー料理みたいなのが数種類。魚やエビ・イカなどのソテーが多いが、肉料理もある。 ビールは冷蔵庫から勝手に取って自己申告制。
 ほかの宿泊客は、いっしょに来たカップル(フィンランド人、30代くらい)と、「ビバリーヒルズ青春白書」みたいな若いイギリス人カップル、それにアメリカ人の高齢者カップルが2組くらい。すべて白人で、老人たちはけっこう長期滞在しているようだ。

 飯を食ったあとは丘とともに砂浜に寝そべり、ビールをエンドレスで飲みながら、海の家の電灯で遅くまで本を読んだ。
 砂は柔らかくて、温かくて、このまま眠りたい・・・とも思ったが、いちおうシャレーに戻って寝た。

 夕暮れの海の家 
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