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| ティオマン島への旅 息子と楽園(その3) ![]() 2007.3.26〜4.2 (台湾〜シンガポール〜マレーシア) |
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4日目◆ティオマン島・二パー滞在 朝起きて、まず山を仰いだ。 日が昇るとともに湧き上がる水蒸気で少しかすんでいるが、天気が悪いわけではない。そこで俺は目的の一つだった、イヤーズ・オブ・ドラゴンへさっそく挑戦することにした。 丘に「さあ行くぞ」と声をかけて靴を履いていると、彼は「ズボンの下半分がない」と言う。暑いので、取り外し式ズボンの下半分をシンガポールの宿で外し、そのまま置き忘れてきたらしい・・・。 半ズボンでジャングルのヤブコギなんかしたら足が血だらけになるだろう。かといって英語能力ゼロの彼を一人置き去りにするのも不安だが・・・結局、俺は息子を残して一人で山に向かった。 で結局、まあくわしくは登山レポートの通りなんだが、俺は1時間で戻ってきた。 ![]() (左)朝のライオンロック (右)敗退して戻ると、満開の花たちが迎えてくれた そのあと、とりあえず釣り。 ![]() (左)浜の北側の岩場を抜けて・・・ (右)水中眼鏡で魚の多い磯を調べる ![]() 熱帯色のきれいなベラが釣れた。帰国後に調べたらオトメベラ ![]() 遠くに見えたスコール 釣ったベラはそのまま焚き火に放り込んで焼いて食べたが、生臭くてあまりうまくなかった。やっぱワタくらい取らんとあかんね。 昼食の後は特にこれと言ってすることはない。泳いだり・・・ ![]() (左)本を読んだり・・・ (右)砂遊びしたり・・・ ![]() (左)夕焼けを眺めたり・・・ (右)日が暮れたら流木を集めてどんどん燃やしたり・・・ じつを言うと、何をして過ごしたか、あんまり覚えてない。でもたぶん何もしてない。だから書くこともないんです。 そして夜はまた2人で砂浜に寝そべって、ビールを飲みながら遅くまで本を読んだ(丘はスプライト)。 眠くなったころに部屋へ戻って寝た。 (08.2.27記) |
5日目◆ティオマン島・引き続き二パー滞在 二パーの宿はとりあえず2泊だけ頼んでいたので、3日目になるこの日は別の場所へ移動してもいいかなと思っていたが、丘に聞くと「ここでもう1泊する」と言うので、そのままもう1泊することにした。 予定は何もなし。ずっとニパーの浜辺にいて、泳いで本を読んでビール飲んで昼寝した。 風景も同じじつを言うと今現在、この上の4日目を書いてから半年が経過してしまっている。旅行からは約1年半経過だよスマヌ。 で、記憶の多くは消えつつあるが、かろうじて下記のようなことを覚えている。 @午前中の引き潮のときに、丘といっしょに砂洲を伝って南の岩礁や沖のほうまで歩き、湾内を泳いで帰ってきた。 A浜の端には小さな川の河口がある。そこは上層が川の冷たい真水で、下層は海の暖かい塩水になっていて、体感的におもしろい。午後はずっとそこで遊んだ。 Bその河口で裸足で泳いでいたら、俺は足の指の裏の付け根付近をサンゴで切って怪我をした。 夜はまた焚き火。流木をどんどん燃やしていたら、イギリス人やフィンランド人が順にやってきた。フィンランド人のカップルはこのあとボルネオ島のキナバル山に登るという。4000mを超える東南アジアの最高峰だ。 この夜も浴びるようにビールを飲んで寝た。 (08.8.30記) |
6日目◆ティオマン島からジョホールバル (この上の5日目を書いてからさらに2ヵ月半が経過してしまった・・・スマヌ) さて、今日はティオマン島を離れなければならない。 最後の朝も天気は悪くない。熱帯だというのにスコールにもまったく見舞われず、ラッキーな滞在だった。 たいした荷物もないので準備は2分で終わる。 滞在費は中国系ぽいオヤジに支払ったが、2人で3食つきで3泊して毎日浴びるようにビールを飲んで、総額1万円ちょっとだった(と思う・・・たぶん)。 支払いのあと、シアトルから来ている年寄りとちょっとしゃべったが、話題はやはりイチローだ。 最後の朝、ラグーンの夜明けメルシンへ行くフェリーの時刻に間に合うように、ミスター・ディンがまた小さなボートでゲンティンまで送ってくれた。 来たときは無愛想だったが、最後は笑顔の握手で別れた。 しかしメルシン行きのフェリーは予定の時刻を過ぎてもなかなか来ない。途上国はこんなもんや、と言いつつやや不安になった頃、やっときた。 狭い桟橋の手前に邪魔な船が停泊しているため、まずはその船の甲板に飛び乗り、さらにフェリーの甲板へと、ぐらぐら揺れながら海賊のように乗り移る。ビバ、途上国。 そしてティオマン島は遠ざかっていった。 ![]() (左)フェリーを待つ間うろついたゲンティン集落 (右)やっとこさ出航 ![]() (左)さらば悲劇のドラゴンよ (右)へんな島 来るときは高速艇だったためデッキに出られなかったが、今度のはフェリーなので、のんびりと景色を見ながらの船旅だ。こっちのほうが断然いい。 やがて船はメルシンに着いた。 ユーラシア大陸に帰ってきた明日はシンガポールから飛行機に乗るが、シンガは宿代が高いので、その手前にあるマレーシアのジョホールバルに泊まることにして、ジョホールバル行きのバスきっぷを買った。 そしたら、シンガポールからメルシンへ来たバス代よりはるかに安いではないか。いくらか忘れたが、たしか5分の1くらいの値段だったように記憶する。 ジョホールバルからシンガポールへは100円かそこらで行けるはずだから、シンガポール〜メルシン間は、ジョホールバル経由が絶対的にオトクだよ皆の衆。 バス時刻まで、またターミナルのあの辛い店でメシを食ったが、やっぱり死ぬほど辛かった。 ビールなしではとても食えないので、店員のマレー系女性に「ビールをくれ、ビールを飲みたい」と言ったが、「すみません、ビールはありません」だと。 そうか、マレーシアはイスラム国なのだった。ティオマン島のようなリゾート地は特別なのだな。 そういやティオマン島でもビールは自分で冷蔵庫から出さねばならなかったが、それはマレー系のスタッフがアルコールを給仕できないということだったのかもしれん。 このメルシンのターミナルには土産物屋などもあり、呼び込みのオヤジがやや面倒くさい。きれいな公衆トイレもあるが、有料だ。トイレ前のカウンターにいるオヤジにゼニコを払わないと、小便をさせてもらえない。ジスイズ・マレーシア。 そんなこんなをしているうちに、突然、まったくもってイキナリ、 ドババババババババババババッ! という爆音が鳴り始めた。 暴走族の襲撃か、と思って外を見てみたら、空と海がひっくり返っていた。 もしかして・・・・こ、これが、なんと、これがスコールか! ![]() むかし一度、京都で車を運転しているとき、猛烈な夕立のためにすべての車が道路の真ん中で立ち往生した経験がある。 しかしこれは、その経験を数倍しのぐ。断じて雨ではない。空間を雨が落ちてくるのではなくて、縦にごうごうと流れる水流のスキマにかろうじてわずかな空気がしがみついている状態だ。天地の転覆だ。 たまげた。すごすぎる。 スコールは15分ほどで小康状態となり、バスの出発時刻になった。もちろんそんな案内はないし、バス停にバスが来てくれるわけでもない。駐車場にズラーッと並んでいる数十台のバスのうちどれに乗ったらいいかのは、そのへんの人に聞きまくらないと決してわからない。 発車したバスは、再びヤシの木の植林帯を走り、3時間か4時間でジョホールバルのラーキン・バスステーションに着いた。郊外からのバスはすべてここに着くようだが、ラーキンはジョホールバルの市街地中心部からは何キロも離れている。 中心部まで移動するのも面倒なので、ターミナルからほど近いホテル・スリ・マレーシアに入った。ツイン120リンギッ(4000円くらい)。フロントマンは徹底的に無表情だが、部屋はとても広くて清潔で、当然のことながらテレビもある。ニパーの原始的なシャレーと比べたら最高だ。 今回泊まった宿ではここがいちばんよかった。 しかしこの周囲にはメシを食う店があまりない。 バスステーションに隣接した市場みたいなところは人がごったがえしていて、のんびりしたティオマン島に慣れた目で見ると、かなり殺気立った雰囲気が漂っている。丘はびびって表情を失っている。 ここにマクドナルドぽいファストフード店が入っていたが、ハンバーガーは丘も好きではない。彼は「ラーメン食いたい」と言う。 市場の一角で乾物や麺などを売っている店があった。店先にイスとテーブルを出していて、そこで地元民たちが麺類みたいなのを食っている。 そこで、店員に「その麺を食べたい」と英語で言ったが、まったく通じない。仕方がないので、ジェスチャーで麺を湯がいて盛り付けて食べるマネをしたら、わかってくれたようだった。 しばらくすると他の店員が何か聞きに来たが、こいつも英語力はゼロ。向こうも、俺に何を言っても通じないので、あきれてどっかへ行った。 とりあえずあいている席を探す。中国系の若者が一人で食っている席に相席し、彼となんやかやとしゃべっていたら、さっきの店員がラーメンみたいなのを持ってきてくれたのでカネを払った。これもいくらか忘れたけど、まあ80円とか100円とかそういう世界。 しかし、このラーメンも辛かった。現地語では「スパイシー」。丘に途中でスプライトを買ってやったが、やっぱりビールはナシ。 向かいに座っている中国系の若者は、この近くに住んでいるという。麺類を食いながら、マレーシアの予備知識などを教えてくれた。マレーシアには3種類の人間がいて、マレー人は豚がダメ、インド人は牛がダメ、そして・・・ここで彼はニヤリと笑ってこういった。 「Chinese people are everything OK.」 瞬間的に、これがこの国における中国系の余裕なのだな、と感じた。 ところで、彼は俺に「あなたは英語が上手だ」と言う。俺の英語は自慢じゃないがせいぜい中2レベル、しかも時制も完了形もメチャクチャだ。俺が「冗談でしょう」と言うと、彼は大まじめにこう言った。 「ほかの日本人はもっとヘタクソだ」 うーむ。考えてみれば、俺よりヘタクソな英語であちこちの国を旅行しまくっているんだから、日本人ってけっこう根性あるのかもなぁ。 「ところで、このへんにビールを売ってる店を知りませんか」と尋ねてみたが、彼は「知らない。ここにはないと思うけど」と言う。 食い終わったあと、そのへんの人を捕まえては「ビールがほしい、売ってる店を知らないか」と聞いてまわったが、誰もが「ない」「知らない」と言う。そんなはずはないだろうと思ったが、丘に「おとうさん、もうええやん」といさめられ、結局ビールは手に入らなかった。 仕方なく、この市場でいちばんきれいなパン屋でパンを買い、ホテルに戻った。 久々にテレビにありついた丘は、テレビ番組の半分を占める日本のアニメや香港のカンフー映画などをたっぷり見たのち、スプリングの効いたベッドでぐっすりと眠った。 俺はビールがなかったせいで、ちょっとさみしい夜になった。 (08.11.15記) |
7日目◆ジョホールバルからシンガポール、そして台湾 翌朝、ラーキン・バスステーションからバスに乗り、ジョホールバル中心部でイミグレを通過して、シンガポールへ。国境とは言ってもここは毎日大勢の人が日常の暮らしの一部として通過しているので、税関業務も流れ作業だ。 バスはイミグレで客を降ろしたらそのままどこかへ行ってしまい、審査を終えた人は別のバス(あとからどんどん来る)に乗ってシンガポールへと向かう。 往路はバス逆流でたいへんだったコーズウェイも、帰路は難なく通過した。 ジョホールバルからシンガポールへ入るのは、神戸の六甲アイランドに入るときと風景や雰囲気がとても似ている。ごっちゃごちゃのマレーシアと比べると、シンガポールは人工島かと思うほどきれいに整備しつくされた島だ。 シンガポールのバスステーションで下りたら、往路で泊まったブギスの宿まで歩いて向かった。そこに忘れてきた丘のズボンの下半分を探すためだ。 でも予想通り、フロントのオバサンは知らないという。まあそうだろうな。何日も前に置いていった物が律儀に戻ってくるなんていうのは日本と韓国くらいのもんだろう。 わかっていたが、それを丘に実際に見せておきたかっただけだから、これでよい。 あとはべつにすることはないので、お買い物でもいたしましょう。 ブギスには紀伊国屋書店がある。日本のマンガはどこでも大人気で、「ドラえもん」や「名探偵コナン」などの中国語版がズラッと並んでいる。それらの漢字タイトルを見ているだけでもかなり楽しめる。 ここで丘は「エラゴン」の英語版を買った。これを和訳して勉強するつもりらしい。 そのあとはブギスの商店街でまりもへのミヤゲを買ったり、ジュースを買って飲んだりした。 このころから俺は、ティオマン島で泳いでいて珊瑚で切った左足の中指の裏側がかなり腫れて、痛くなってきていた。 切ったときはたいして痛くなかったしあまり血も出なかった。それで小さな絆創膏を貼っただけで、それまで通りハダシで生活していたのだが、1日経ってから見たら傷口は思った以上にザックリと深く切れ込んで肉が露出し、そこに砂がびっしりと詰まっていた。 モノレールに乗ってチャンギ空港へ行き、飛行機に4時間あまり乗って台湾の桃園空港、さらにバスで台北駅に着いたときには、すでに日はとっぷりと暮れていた。傷口は足の甲まで腫れ上がり、まっすぐ歩けないほど痛んだ。だいぶ膿んでやがる・・・。 丘の肩を借りて足を引きずりながら、翌朝の空港バス乗り場へ行って時間を調べ、けっこう歩いたのちになんとか安ホテルに入った。足が痛くて、ホテルのおばさんの愛想に反応するのも辛いくらいだった。 荷物を置いて、すぐに夕食を食いに街へ出た。 しかし時間はすでに9時をまわって、目をつけておいたホテル近くのラーメン屋は閉まっていた。やむなくヨチヨチと繁華街まで歩いて、ガチャガチャ混み合った店で牛肉麺を食った。 旅の最後は、ちょっと辛い締めくくりとなった。 |
8日目◆帰国 シンガポールへ向かったときと同様、日本へ帰る飛行機も早い時刻だったので、また早朝の空港バスだ。 桃園国際空港からは再びハローキティ・ジェット。機内では俺はもう英語ビデオで勉強せず、丘と競争でひたすらテトリスをやった。 昼ごろ、飛行機は曇り空の名古屋国際空港に着陸した。足は依然として痛むが、まあここまできたら気分的に安心だ。 スムーズに入国し、名鉄で名古屋駅へ。車窓を流れる久しぶりの日本の風景を、丘はぼんやりと眺めていた。何を思っているのかは知るよしもない。 名古屋駅で昼食を食ってからJRに乗った。このごに及んで青春18きっぷでチンタラポッポの親子であった。 外国から帰ってきたときに乗る日本の交通機関はいつも新鮮だ。そして大きな安心感に包まれ、ちょっとしみじみとする。 3時間ほどかけて神戸へ帰り着いた。駅からは贅沢してタクシーに乗った。 こうして、丘にとって初めての海外旅行は終わった。 ちなみに、俺の足は帰宅後流水で一度洗っただけで、密封型のバンドエイドを貼っておいたら数日後にはきれいに回復した。人間の体とはエライもんだ。 でも、妙なバイキンが入ってなくてよかったよ。 (08.11.20記) |
| おしまい・・・最後までトゥレマカシ〜! |
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