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注! この山へ登ることは禁じられています。 良い子は決してマネをしないでください。 |
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八栗寺へ 神戸と高松を結ぶジャンボフェリー、インターネット割引を使ったら往復2790円。安いなあ。それに船の旅は楽しいから、3時間40分なんてあっという間だ。 でも朝が早いのが玉にキズ。6時に三宮の中突堤を出航ということは、5時9分の阪急の始発に乗らんならん。 そうまでして、去年見て気になったこの山に登りに行った。低い山だが、鶏のトサカみたいに並んだ岩の峰々がマブタの裏に焼きついて離れない。 五剣山というわりに、ピークは4つしか見えない。「あと一つは地元の石材会社が削り取った」という話をある地元民から聞いた。たしかに右端の一つはスパッと人工的に切り取られたようにも見える。 けど、それはガセだった。本当は、宝永4年(1707年)の地震で崩れたらしい。地震で崩れたビルは阪神大震災でイヤというほど見たが、六甲山はこんな崩れ落ち方はしなかった。 あの崩れた部分はいったいどうなっているのか。全壊マンションで生き延びた被災者のはしくれとして、ぜひ見ておきたい。 しかし事前に調べてみたら、どうも五剣山は崩落の危険があるため入山禁止になっているという。四国霊場85番八栗寺の裏山に当たるが、寺からの登山道は閉鎖されているらしい。 だが、別ルートからなら登れるというような情報もある。登れるのか登れないのか。登っていいのか悪いのか。まあそのへんも含めて、ともかく行って調べてみよう。 船が小豆島の東から南へ回り込むに従い、左手にこの山が見えてくる。 (左)北東から、中央奥が五剣山。手前は高島 (右)真北に来ると形が変わってくる 壇ノ浦沖(北西)に来ると「一剣山」になる 角度によって形が刻々と変わる。昔は海路の大事な目印だったことだろう。「一剣山」のときの形状から察するに、かなり薄っぺらい屏風のような山らしい。 高松に着いたら、コトデンで約30分、八栗駅で下車。おぉ、この姿だよお久しぶり、五剣山の峰々が北西から南東へと並んでいるぞ。どうも4峰がいちばん高そうだ。 さっそく、車の多い道を避けつつ、山の中腹にある八栗寺を目指して歩き出す。このへんは有名な石材の産地であり、あちこちに四角く切り出された石材が積まれている。 (左)左から1峰、2峰、3峰、4峰、そして切り取られたような5峰 (右)石材置き場、奥はペッタンコの屋島 のんびりした農村風景の中をオニギリ食いながら2kmほど歩くうち、道はいつしか上り坂となり、やがて八栗ケーブルの乗り場に着く。でもそんなのに乗っちゃ山の形は体感できない。 ケーブルの横の谷筋に、昔からのお遍路道がある。舗装されているがクルマは通らないから静かに登ってゆける。 さすが巡礼の山だけあって、あちこちに個性的な石仏などが見られる。 (左)こわいんだか、かわいいんだか (右)ひょっとして300年前の地震で落ちてきた岩? 15分かそこら登ると、八栗寺正面の尾根に着く。とたんに4つの峰が覆いかぶさるように眼前に現われる。 おおー、これは絵になるなあ。山のそびえっぷりに圧迫感すら覚える。 (左)正面に石段と1〜4峰が現われた (右)鳥居の奥に寺の山門、これぞ神仏習合。右奥は崩壊した5峰 (左)山がのしかかる境内 (右)八栗寺本堂 土曜日のせいか、けっこう参拝者が多い。 隣の屋島にある84番屋島寺はずいぶんと俗化されていたが、この寺にはきりっとした緊張感が漂っている。やはり背後の異様な岩峰たちが威圧しているせいだろう。 白装束のお遍路の男が、よく通る声で般若信教を唱えている。 本堂の左には、インド神の歓喜天が祀られた聖天堂がある。本堂と聖天堂の間の階段を登ると、中将坊に着く。これは岩の下にめりこむように建てられたお堂で、天狗が祀られている。 建物の裏にまわってみたら、岩肌に小さな石仏のようなものがあった。なに、これ? (左)ゲタは天狗だが、顔はどう見てもトルコ系・・・ (右)ピノキオ? サンタさん? まあとにかく神も仏も天狗もインドも、なんでも祀る山岳宗教。これこそ平和の鍵かもね。 中将坊の北側にフェンスで遮られた場所あり。「立入禁止」の札が立ち、奥に登山道らしきものが続いている。なるほど、これが五剣山への登山道なわけだな。 もちろんこの結界を突破することは許されないだろう。 中将坊からの元登山道 本堂へ戻り、今度は南へ。大師堂の前を通り、ケーブル山上駅や本坊のある方面へ向かう。 しかしちょっとした岩の窪みや割れ目には必ず石仏や石碑があり、しかもその前にはことごとく賽銭箱が置かれている。まるで石仏たちが露店を並べる縁日みたいだ。 (左)大師堂と多宝塔 (右)それぞれ賽銭箱を置いて営業中 本坊からの5峰。崩壊時に生じたと思われる水平亀裂が見える 拒む壁 さて、地図を見ると、5峰の南に282mピークがあり、そこに点線の道らしきものがある。とりあえずそこへ行ってみよう。 本坊を過ぎたら車止めがあり、その先の道路には路上駐車がずらっと並んでいる。クルマで参拝したい人はここまで来られるわけか。 10kmほど南の八栗新道駅へ続くその車道を数分歩くと、左手に妙な荒地が見えてくる。古タイヤなんかが捨てられてるけど、なんだここは。 荒地の北に282ピークらしき頭が見えている。ここから攻めてみよう。 (左)荒地の奥、頭のハゲた山が282mピークっぽい (右)白く風化した斜面を登っていく しかしまあずいぶん風化して、砂が流れている。どこでも歩けるが、植生がメチャクチャだ。 小さな谷から白い砂の尾根に上がると、志度湾が見渡せる。 さらに登って282ピークに到着。荒地の入口から10分ちょい、ここまでずっとハゲた露地を登ってきた。植物がないぶん、眺めのいいところだ。右から志度湾方面からの道が合流している。 (左)282mピーク頂上、高島や小豆島が見える (右)志度湾方面からの道、奥は志度の町と大串半島 ここから北、五剣山方面は植生が保たれている。ササと照葉樹の混じった尾根道を5分も進むと、左のケーブル駅方面から登ってくる道と合流する。こんな道もあったのか、帰りに使えるかも。 さらに行くと、尾根上に大きな岩がいくつもころがっている。これも地震で落ちてきた岩かな。 (左)目指す五剣山がナナメに並ぶ (右)地震で崩落したと思われる岩、1辺2mくらいか そのちょっと先で、ついに地震で崩壊した5峰の南端に到着。小さな祠があり、霊場に入ったことを知らされる。でもここには立入禁止ともなんともないので、そのまま進む。 道は岩尾根の左脇についている。ぐっと岩陵がせり上がったところで、登れるかどうか探ってみた。うーむ、登れなくはなさそうだが、ここから下りるのは厳しいかも。 (左)5峰の南端、ここから霊域だ (右)5峰のせり上がり(結局あとでここから登った) 危険な山だし、とりあえず無理はやめて左手の山腹に戻る。 少し進むと道が幾筋かに分かれるが、いちばん尾根寄りのルートをとると、なんか冒険マンガに出てきそうな、岩壁にへばりついてナナメに登るようなところに出た。右側は垂直の壁、左側ははるか高松市街まで見渡せる虚空。 幅10〜20cmくらいしかないけど、ここを通れる人間っているのか? (左)岩の隙間を登っていくと (右)断崖のわずかな段差、ここは絶対やばい 試しに少し進んでみた。足がかりの下側にはいちおう木が生えているが、弱々しくてまったく頼りにならず、バランス崩したら即あの世行き。それに途中で進めなくなっても方向転換はできそうにない。想像しただけで脂汗がにじんでくる。 こんなところで落ちたら、「ほれ見たことかだから言わんこっちゃない、今後はもう絶対にナンピトたりとも全山一帯厳重に立入禁止じゃ」と八栗寺の住職は宣言し、ありとあらゆる踏み跡に立て札を立ててしまうに違いない。 そういう事態だけは避けねばならない。 (左)危険な壁際から見た八栗寺、屋島、高松市街 (右) この崖の上が5峰だが・・・ というわけでここは断念し、崖下の迂回路にまわる。 少し下ると、突然ブロック塀が現われたよこんな山の中に。前には石仏がいくつかある。穴からのぞくと中は真っ暗だが、けっこう広い洞窟のようだ。 崩落が危ないから塞いだのか、それとも誰かがここで即身成仏でもやらかしたのか。 それにしてもこの道すがら、ちょっとした岩の隙間やくぼみには必ず何体もの石仏や祠が置かれている。さまざまな情念と祈りが渦巻く濃厚な宗教空間だ。 (左)ブロックでふさがれた洞窟 (右)この岩の裂け目にも石仏が (左)赤ちゃんを抱いた木仏 (右)このお母さんの表情! (左)こっちのお母さんは首がない (右)5峰の崩壊壁を見上げる 5峰の壁の直下を通っていくと、右手に長いハシゴが見える。ほとんど垂直に近い壁に、2本を継いで長く延びている。50段以上はあるな。 登るなとも書いてないし、登ってみよう。 ハシゴは壁にへばりついているため、ステップに足をかけてもつま先が岩に当たり、土踏まずまでしっかり足を置けない。しかも継ぎ目のところで右の木が邪魔をする。なかなかのスリルだ。 慎重に3点確保で登り切ったら、そこは4峰と5峰の間のコルだった。 さらに右手に、5峰に上るハシゴが架けられているので、それも登る。 (左)50段以上の急なハシゴ、中央の木のところがこわい (右)4峰と5峰の鞍部から、5峰へ上がるハシゴ ハシゴの上は、5峰北端ピークの直下だった。右手には、八栗寺からも見えていた水平の亀裂が続いている。うひゃあ、こんなの見たことないや。 向かいには4峰がそびえている。中央の露出した岩に鉄の鎖が下がっているのが見えるけど、あれもすごそう。 (左)5峰の南端の亀裂、四つんばいで通れるかも・・・死ぬ覚悟なら (右)4峰、あの岩を登るのか? この真上にはオーバーハングの岩峰が覆いかぶさっていて、5峰の頂上にはここからも無理っぽい。(じつはそうでないことがあとで判明する) またあきらめて4−5峰間コルへ下ると、正面に4峰に向かう道がついている。少し進むと、4峰の根元に、真っ赤に燃える不動明王が2体並んでいる。「この先は危ないぞ」と警告しているかのようだ。 緊張しつつさらに進むと、岩峰下部の裂け目にまたなにかが祀られているが、なんと真新しい花が生けられている。こんなところにまで花を供えに来る人がいるのか! (左)4峰の根元には怒りの不動 (右)花束を持ってあの垂直ハシゴを登ってきたのね なるほどね。わかってきたぞ。 寺としては危ないから山に入ってほしくはないが、これだけ山自体が信仰の対象とされてあちこちに祠や石仏が安置されている以上、それらにお参りするなとも言えない。だから、ハイカーなどに対して表向きは入山禁止としながらも、信者や修行者のために完全には閉鎖されず、目立たない場所からひっそりと山道が残されて、危険箇所にはハシゴなどもそれなりに設置されている・・・ということではないか。 では、俺もここでは心を清く研ぎ澄まし、ふしぎ山をおもしろがる遊び人としてではなく、あくまで人生の一修行者として、神の許しをいただくことにしよう。あぁなんと自分勝手な理屈なんだ。 さいはての峰へ 花の供えられた窟の上からハシゴを登り、岩棚を右へ回り込むと、俺をさそうかのようにロープが下がっている。 (左)さあこい、と言わんばかりのハシゴと鎖 (右)神様のお導き それらを頼りに岩を登っていくと、背後にさっきの5峰を見下ろすかたちになる。さっきは上まで登れないと断念したのだが・・・。 (左)5峰の上部が見えてきた (右)さらに登ると・・・ややっ、祠が見える! 通り道らしきものも! なんと5峰の上に祠が2つも設置されているではないか。ということは登れるわけか。最初の南端の岩をよじ登ればよかったのかな。悔しい・・・。 とりあえず先へ進むと、ほどなく4峰の頂上に着く。ここが五剣山の最高点だな。立派な祠と石仏がある。オニギリ食って小休止。 (左)4峰の頂上、375m (右)次なる3峰 ここから3峰、2峰、1峰と、さしたる難所や急斜面もなく、どんどん進む。次々とステージアップしていくような感じがして、なんだかワクワクしてくる。細い尾根は左右に眺望が開け、木々の間から海や町を見ながら歩くのは快適そのもの。一帯の岩々にヒトツバが濃密に生い茂っているのが珍しい。 信仰の山にこんな言い方は不謹慎かもしれないが、純粋にレクリエーションというか、アスレチック感覚でも楽しめる素晴らしい山だ。 でもだからこそ、ハイカーにはあまり来てほしくないのだろう。多くの人が登れば、手がかり足がかりとなる岩は少しずつ崩れ、ハシゴやロープは痛み、事故も起きる。祈りを込めた石仏にいたずらをする不謹慎な輩も出ないとは限らない。 自分も登っているくせに、そんな勝手なことを考えてしまう。それもこの山が霊場としての強烈なオーラを放っているせいだろう。 それぞれのピークにはあいかわらず祠や石仏がいっぱいあって、ここが聖地であることをひしひしと感じさせられる。この気に包まれると、いつしか自分も”この山の側”の人間になってしまうのだな。 (左)3峰へは岩は多いが、さしたる難所はない (右)3峰頂上 (左)2峰へ向かう道、岩の割れ目に鉄橋あり (右)2峰頂上、366m (左)あの大岩の向こうが最後の1峰 (右)1峰頂上 やがて、樹林に囲まれた最後の1峰にたどり着く。 282mピークを出てからわずか1時間あまりしか経っていない。にもかかわらず、なんともいえない達成感だ。 禁断の山に足を踏み入れ、危険な岩肌を伝い、祈りの充満した異世界と対峙することで、精神が高揚してくるのだろう。 石仏だらけの頂上から西へ、尾根道が少し続いている。「さあ、あそこがあなたのラストステージです」と言わんばかりに前方が明るく、吸い寄せられるようにするすると進む。 と、樹木が途切れ、天空がぽっかり空いた岩の上に、これぞ本当に最後の祠が現われた。 (左)1峰の西北へ続く尾根 (右)最後の祠 ここにたどり着くまでに、いったい何百体の神仏を見てきたことだろう。かわいい鬼もいたしピノキオもいた。赤ちゃんを抱いたお母さんもいれば、真っ赤に怒り狂った不動さんもいた。 そして最後に待っていたのは、こんな神だった。 (左)しっぽをくわえている (右)お顔は少女ふう 俺の心臓がビクン!と大きく波打ったのがわかった。 雨乞いの竜神だろうか。 これまでこの山で出会ったすべての神仏に対し、観察して写真を撮るだけだった不信心な俺も、さすがに彼女を見た瞬間、無意識に手を合わせていた。 信仰とは何だろう。祈りとは何なのか。 彼女は祠の向かって右側でとぐろを巻き、左側には眷属のヘビが2匹いた。 祠の背後は正真正銘、五剣山のはしっこだ。バーンと眺望が広がる。 壇ノ浦を挟んで、源平が激烈に戦った溶岩台地の屋島が正面に長々と横たわっている。 つなぎ目が少しずれてるけど、正面に見える屋島の連続写真。手前の入り江が壇ノ浦 (左)右下が八栗寺本堂のある尾根、左上が本坊とケーブル山上駅 (右)山はここでいきなり終わる たどり着いた、さいはての地。右手に広がる瀬戸内の多島海。左手の下のほうには八栗寺がよく見える。 参拝者がひきもきらない八栗寺境内とわずかな空間を隔てて、ここは禁断の山、無人の聖地だ。雲ひとつない快晴の下、岩に腰を下ろしてぼんやりと四囲を眺めて時間を過ごす。 いつしかウトウトまどろんでいた。時計を見ると30分ほど経っている。そろそろ戻ろう。 再び天空の5峰へ 来た道を順に戻る。往路は峰々をじっくり越えてきたが、復路は1峰の端から4峰までわずか7分、そこから5峰の南端まで10分ちょいだった。迫力のある岩稜にスケールの大きさを感じていたが、サイズ的には非常にコンパクトな山なんだな。 5峰の崖の真下で、意外にも前から人が歩いてきた。今日山に入ってから初めて出会う人間は、40前後とおぼしき単独行の女性だった。巡礼ではなく山歩きのいでたちで、スラッと細身。向こうも人がいるとは思わなかったらしく驚いている。ここはあくまでも内緒の山なのだ。 挨拶だけ交わして遠慮がちにすれ違う。彼女はこれからどこへ向かうのだろうか。 やがて、今日最初に登るのを断念した5峰南端の岩稜下に戻ってきた。この頂上の断裂面にも祠らしきものが二つほど建てられているのがわかった以上、どうしても見に行かねばならん。 岩峰の下にリュックを置き、空身で岩に取り付いて、腕力を使ってよじ登る。しかし登るのはいいが、あとでここを下りるのはちょっと・・・。 岩を越えると、南端のピークが眼前に屹立する。崩壊した山体の残峰だ。 そのへんからは岩のスキマに狭い通路のようなものがある。右へ回りこむと頭上に小さなお社が見える。4峰から見えた建造物のうち、遠くに見えた小さいほうだな。 通路に導かれて岩を登り、お社にたどりついた。 (左)5峰南端のピーク (右)天空の社 社には円形の石碑があり、「国常立尊」「大己貴命」の名が刻まれている。前者(クニノトコタチ)は古事記・日本書紀で一番最初に出てくる宇宙の根源神、後者(オオナムチ)は天孫降臨以前から日本に土着する大地の神だ。 大地震パワーを見せつけられる場所に祀るとしたら、やはりそういう神になるんだろう。 で、その横には、このお方が! あんた、もしかして偉い人やったん!? トルコのピノッキオ、またお会いしましたね! さて、そこから北に連なる稜線を眺めれば、いわゆる馬の背状態。その上に、4峰から見えた赤い屋根の祠がポツンと乗っている。 崩壊前の5峰は薄い岩の板のようなかたちだったのかもしれない。 (左)北側の祠と4峰 (右)祠へはまっすぐは行けない 残った岩稜もあちこち寸断され、次のブロックへ進むにはいったん岩の根まで降りて登りなおすことになる。祠にたどり着いて、正面の戸を開けてみた。 (左)岩塊はバラバラに分断されている (右)祠の中には怒りの神が (左)うそのような絶景 (右)5峰の尾根、向こうは志度湾 しかしまあ、ここにはほとんど樹木が生えていないこともあり、その展望のよさといったらない。しかも足元の幅が薄っぺらいため、空を飛んでいるかのような気分。300mやそこらの低山にいるとは思えぬ爽快さだ。 山の規模は箱庭的で愛らしいのに、岩肌は荒々しく痛々しい。標高は低いのに、高度感たっぷり。このアンバランスなふしぎ感がたまらない。沖縄の伊江島タッチューに通じるものがある。 祠のある岩を下り、次の岩上に移動して、驚いた。なんと、さっき5峰の下ですれ違った女性が腰を下ろしてお茶を飲んでいる! 「あれ! どっから登って来られたんですか」と思わず声をかけた。 「あっちの端の、ハシゴのところから・・・」 禁断の山に登っている者同士、ややドギマギしつつ言葉を交わす。一人で岩山に登るようにはとても見えない上品な物腰の彼女は、4−5峰間コルのハシゴから来たと言う。 「あそこから登れるんですか。気がつきませんでした。だから僕は南の端から登ってきたんです」 「そっちにはハシゴなどはあるんですか?」 「いや、ないので無理矢理に登ったんですけど、同じところを下りるのは怖いから、下りはハシゴからにします」 俺はそう言って、いそいそとハシゴのある5峰北端方面に向かった。まあこんなところで2度も顔を合わせてるんだからもう少し会話してもよさそうなもんだが、やはり「禁断の山」というくびきがお互いの言葉を留まらせる。 山頂部の岩の下を覗くとそこにも通路らしきものがあり、スキマにまた小さな祠や石仏が並んでいるので見に行った。まったく、こんなところにまでなあ。 石仏に覆いかぶさる岩の不自然な角度は、地震で傾いたものかもしれん。 阪神大震災で傾いたビルを思い出す ここで写真を撮っているうち、彼女はいつしか先に降りたようだ。俺ももう降りよう。 北端ピークの右下に回りこむと、たしかに岩のヘリに狭い通路があり、鉄の手すりまでついている。岩角を曲がると、あのハシゴの上だった。 (左)5峰の北端 (右)その北側を回り込めばハシゴの上に出る ハシゴを降りて4−5峰間コルへ、さらに50数段の長いハシゴを下りる。さっきの女性は、もう影も形もなかった。 彼女はいったい・・・まさかヘビの女神様じゃないだろうな。 5峰南端に戻ってリュックを拾い、282mピークから来たときに発見した、八栗寺方面への道を下りる。 5分かそこらで本坊横から続く車道の、車止めのちょい南へポンと出た。なんだ、282mピークへ行かずともここから登れたのか。 振り返ると、さっきまでいた5峰・・・あの祠も見えているじゃないか。 祠の左側の小高い部分に女性がいた 少し南から車道を離れ、新しく整備されたような遊歩道を下って、コトデン六万寺駅へ降りる。 駅前のセルフうどん屋に入ったのは午後3時半。5時間ほど歩いてハラペコだ。大量のうどんやおでん、てんぷらを食いまくった。 というわけで五剣山。 登って書いて公開してしまう以上、他の人に「入山禁止だから登らないように」とは俺には言えそうにない。いろんな面で素晴らしい山なだけに、この日本列島の宝をみんなが知り、価値を共有し、守っていくのが正しいあり方ではないかという気がする。 しかし、直接確かめたわけではないが、この山の持ち主である八栗寺は(おそらくレクリエーションとしての)登山を禁じているという。 この山は霊場だ。山歩きの面白さ以上に、信仰・修行の対象としての五剣山そのものに重要な歴史と背景がある。同時に、無数の神仏偶像や参拝のためのハシゴなど諸設備が、すべて通常の山歩きとまったく異なる意味合いを持っていることを忘れてはならないだろう。 俺なんかがまったく偉そうなことが言えた義理ではないが、万が一どうしてもこの山に登らなければ死んでも死に切れないという山好きの方は、崩れやすい山体や宗教関連の諸設備を決して損なわないよう細心の注意と敬意を払いつつ、岩場では3点支持で自身の安全もしっかり確保し、少人数でひっそり丁寧に登ることが絶対条件になるだろう。 あ、それと、もしも山中で八栗寺僧侶に出くわして「コラーッ!」と叱られた場合には、「このサイトで見たんです、このまっちゃんとかいう馬鹿者が情報を流さなければ絶対に登りませんでした、全部こいつが悪いのです」なんて口が裂けても言わないでください。 すべてあなたの日ごろの行いのせいです。ナム〜。 (06.3.25) ありがとう、五剣山 左側が登りルート、右側が下ったルート(かんじんの部分はとりあえずヒミツ) |
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