ちぎれそうなところ
事代(ことしろ)(福井県大飯郡高浜町) 2009.4.29 
和田トンボロの一駅隣にも小さなトンボロらしき地形を発見した。

 
            (赤線は歩いたルート)

若狭高浜駅の北側地域が富士山みたいな型で海へ突き出している。
海岸沿いに西から「若宮」「塩土」「事代」と字名が並んでいるけど
この「事代」部分がきわめてトンボロくさいぞ!
 富士山型の突出は、すぐ沖に並ぶ鷹島などいくつかの小島が防波堤の役割をして、その背後に砂が堆積してできたと思われる。その右側部分が小島とくっついてしまったようだ(地図に「明鏡洞」「国民宿舎」と書かれてある岩ガケ記号の部分)。

 しかもよく見ると、明鏡洞のところはポコッと窪んで「Y」の字みたいになっているぞ。
 これはもしかして、「38.4m」の三角点がある場所と、灯台マーク(太陽みたいな記号)が2つある場所とは別々の陸繋島なのかもしれん。
 ちゅーことは、二股トンボロか?
高いところから見る(妙見山)
 和田トンボロのページをご覧いただいた方はすでにご承知のとおり、この事代トンボロは大島半島の安土山公園からも和田浜からも見えていた。

 それがこれ

 地図で見たらゴチャゴチャした感じでいまいちパッとしない突出だが、横から見たら細長くビューッと砂州が伸びて島をつかまえている。まぎれもなくトンボロだな。

 事前の調べによると、この陸繋島にはかつて戦国武将・逸見氏が築いた高浜城があり、現在はY字の二股部分も含めて城山公園として整備されているらしい。
 東側の浜は城山海水浴場と呼ばれているが、この砂浜は和田浜からずっと続いている。

 さらに調べによると、その真南にある妙見山からその周辺がバッチリ見えるとのことなので、まずはそれに登ることにした。

 妙見山(140m)に向かう

 妙見山の麓に佐伎治神社がある。スサノオとその妻クシナダヒメ、その子オオナムチ(オオクニヌシ)を祀る出雲系の神社で、いつからここにあるのかわからん、まあやたらと古い神社だ。

 ちなみに今回訪れるトンボロ集落の事代とは、オオナムチの子の事代主(コトシロヌシ)という神様の名前だ。高天原アマテラス軍団の「地上をあけわたせ」との脅迫に屈して国土を明け渡したお人。
 ようするにこの高浜という地は、ヤマト朝廷以前には出雲の文化圏というか植民地だったのね。
 ちなみに事代の西隣の「塩土」という地名も、古代史ファンなら「おおっ」と小声を発してしまうキーワードだが、これについて書きはじめると長くなるのでやめておこう。

 それはともかく、ここでちょっと奇妙なものを発見した。

 
(左)佐伎治神社   (右)手水は竜と玄武

 手水に亀が使われるのは海人族関連の神社に多い。だが奇妙なものとはこの亀でははない。
 本殿の横にある境内社、日吉神社のこいつだ。

 
(左)マルチーズ?   (右)かわいいの? こわいの?

 どう見ても愛玩犬だよう。

 神社の横に妙見山登山口がある。すでに夕暮れが近づいて薄暗い山道を登った。
 妙見山はかつて逸見氏の居城があったが、戦国時代に攻め落とされて、かわりにできたのがトンボロの陸繋島にある高浜城っちゅーことだ。

 
(左)妙見山登山口   (右)二の丸跡の愛宕神社(120m)、塩土地区しか見えず

 
(左)さらに山頂(本丸跡)の妙見宮へ   (右)社殿はやや荒れた感じだが

 頂上へは20分ほどで到着した。そしたら!

 
(左)見えたーー!   (右)和田トンボロも見えてるぞ!

 拡大

 明らかに2つの陸繋島がある。Y字の二股トンボロだ。
 なんか動物の耳みたーい。こんなの見たの初め・・・・・・・・・いや、待てよ?
 こういうの、どっかで見た記憶が・・・。







 似てないか・・・。
トンボロ東岸(事代浜)

 山を下りて真っすぐに事代へ向かった。トンボロの東海岸の日本海に突き当たる。

 
(左)海が見える   (右)浜に出た。2つの陸繋島が見える

 すぐに子生川という小さな川を渡った。
 この川は妙見山の南から北流してくるが、薗部の海岸砂丘に阻まれて西に流路を変え、さらに塩土から事代にかけてのトンボロ砂州に阻まれて今度は東に反転して海に出る。
 つまりこの川を渡ったところからトンボロだと考えていいのではないか。

 
(左)子生川   (右)河口。遠くに見えているのは大島半島と和田トンボロ

 トンボロ東岸には広い浜が広がっている。ここは「事代浜」または「城山海水浴場」と呼ばれている。
 前方の2つの陸繋島が低い砂州で連結されているようすをじっくり観察しながら近づいてゆく。その部分は城山公園として整備されているらしい。

 事代の浜

 なにか櫛みたいに・・・

 
(左)浜沿いの事代集落   (右)路地をのぞく

 事代集落は漁村そのものだ。あとでゆっくり散策することにしよう。
 やがて前方に洋風の時計台があり、その先が芝生公園になっていた。こここそが、2つの陸繋島の連結部分、Y字の股のところだ。

 
(左)時計台を振り返る   (右)櫛かと思ったのは・・・


 鯉のぼりだった


撮影位置を変えてしまったのでややずれているが、こんな感じ

 上写真を見てちょうだい。ここがY字の結節点。
 右と左は別々の陸繋島で、双方の間は日本海の荒波がウソのように静かな入り江の浜になっている。右の岩場に開いているのが明鏡洞だ。足利義満が何度も訪れたという名勝とのこと。

 両島をつなぐ砂州部分の芝生広場はきわめて清潔で美しく、中央に1本だけ大きな松の木が立っている。その木を中央支点として、鯉のぼりがまるでカーテンのように並んで吊るされている。
 こんな風景、見たことないよ。
 どことなくちょっとセクシーさを感じさせられる場所だ。んなことない?

 ちなみに、あとで見つけたんだが公園の入口にこんな案内板があった。大きな緑色が芝生広場、その左隣が国民宿舎ね。

 城山公園の入口にあった案内板
2つの陸繋島

 高浜城は左の島にあったようだが、まずは右側の島から探索してみよう。
 島内には遊歩道がつけられている。

 右側の陸繋島への登り口から公園を見る

 
(左)外海の岩礁(西を向いて)   (右)痩せ尾根、こわい〜

 遊歩道から外れて右上写真の痩せ尾根をたどると、明鏡洞の真上を通って入り江の湾口付近まで行くことができた。

 
(左)明鏡洞の真上だ   (右)陸繋島の間の入江を入口側から見る

 入江の入口

 2つの小島が近接し、しかもその間が岩礁になっていて、日本海の荒波を防いでいることがよくわかる。それによって堆積した砂がトンボロを作ったのだな。

 島の頂上部分には展望台があった。事代トンボロ一望!・・・かと思ったが、南面は樹木が茂っていてまったく見えなかった。
 そのかわりに和田トンボロがよく見えた。

 和田のトンボロ

 Y字の芝生まで戻る途中も、事代トンボロは全然見えなかった。町の観光当局はトンボロおたくの気持ちがわかってないなあ・・・ってわかるわけないか。

 
(左)暮れてきた事代浜   (右)入江の入口を正面から見る

 今度は左側の陸繋島へ。こっちが「城山」らしい。
 ここにあった高浜城は、いわば日本で唯一のトンボロ城っちゅーことになるんかな?

 戦国初期の1565年、当時武田派だった逸見氏によって作られた、平山城と水城を兼ねた斬新な城である。城山に主郭が置かれ、トンボロ部分に二の丸、三の丸が置かれたらしい。Y字の入り江には水軍も有していたという。
 考えてみれば陸繋島は3方を海に囲まれ、敵の侵入路はトンボロの狭い砂州のみなのだから、ディフェンス能力はナカナカのもんだったのではなかろうか。
 山内一豊も一時期ここの主となり、城として70年間使われたらしい。

 陸繋島である城山の付け根には国民宿舎があるから、いちおうここは観光地なんだね。島内にはやはり遊歩道があり、神社などが残っているが、あまり原型は留めておらず城の姿はよくわからない。
 そしてこちらも全島が濃密な樹木に覆われていて、トンボロの全景は見渡せない。展望は外海側のみ、残念だ。
 ぐるっとまわって、また芝生広場へ戻った。

 
(左)国民宿舎   (右)城山から見た事代、これで精一杯

 
(左)常緑樹がうっそうと茂る   (右)暮れゆく若狭富士(青葉山)

 
(左)濱見神社   (右)城山側から入江と芝生広場を見る。芝生の向こうに事代浜が見える
トンボロ西岸(高浜漁港)

 さて、今度はトンボロの西側を見てみよう。
 国民宿舎の前を通って南下すると、すぐに漁港に出た。


国民宿舎に近い岸壁、右が城山

 
(左)大きな魚市場   (右)塩土まで続く高浜漁港

 冒頭地図で見た場合、富士山型の火口付近に当たる。
 でも、こちら側はもともと若宮・塩土集落とともに沖合いに突出しているためトンボロとしての距離は短く、形状はわかりにくい。しかも思った以上に大きな漁港になっていて、全面コンクリートで岸壁化されている。集落自体もつながっていて境目がない。
事代集落

 いつしかとっぷりと日が暮れてきたぞ。急いで事代の集落内を歩こう。
 ここは雰囲気たっぷり、狭い路地が交差する典型的な漁業集落だ。夕餉の支度をする家々の灯りがあたたかい。夕方になると路地にお年寄りがたくさん出てくるのも懐かしい風景だ。
 薄暗い中を歩いていると、地元のお年寄りが「はよお帰りよ」みたいな声をかけてくれたりする。

 
(左)正面に城山公園が見える通り   (右)事代浜の1筋西の狭い通り

 
(左)家々の隙間から海が見える   (右)集落内にベンチが置かれていたりする

 トンボロらしく狭い集落ではあるが、日本海がもたらす幸によるものか、どことなく豊かさと温かみを感じさせられるいい集落だ。

 本数の少ない汽車に乗り遅れてしまった。
 残念ながら事代に開いている飲食店は見当たらない。そのかわり酒屋があったのでビールとつまみを買い、とっぷり暮れた芝生広場に戻って、波の音を聞きながらひとときを過ごした。

 トンボロの町としての輪郭はさほどはっきりしないが、かつて城郭として使われた城山公園周辺はコンパクトなY字の砂州が観察できておもしろいところだった。芝生広場もじつに心地よい。
 また訪れてみたいと思った。

 おしまい。 (記:09.10.31)
【補足:名称について】
 このトンボロをどう呼ぶかでちょっと迷った。

@トンボロを含む富士山型エリア全体が高浜町の中心部を形成しているので「高浜トンボロ」と呼ぶか。
Aトンボロ主要部分は城山公園・城山海水浴場の名称で宣伝されているので「城山トンボロ」と呼ぶか。

 この2案も浮かんだが、「トンボロの町」というテーマからは、陸繋砂州に乗っている集落(字)名を重視すべきと考え、また事代という地名にも魅かれたので、マイナーかもしれないがあえて「事代トンボロ」と呼ぶことにした。

 ま、世間一般的にはそんなこと、どーでもよろしいが。
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