ちぎれそうなところ
和田(わだ)(福井県大飯郡高浜町) 2009.4.29
このところ南ばかり行って、あまり北の方角へ行ってないなぁ。
そう思いつつ若狭湾あたりの地図を見ていたら・・・む?


 
            (赤線は歩いたルート)

におうぞぉ〜、トンボロの香りがっ!
 若狭湾といえば美しい海と白い砂、そして原発銀座だ。そのひとつ大飯原発は、長さ10kmほどの大島半島の先っぽにある。
 その大島半島と本土の間に、青戸入江という細長い海が入り込んでいて、付け根の部分が極端にくびれているのよね〜。

 この入江は、かつて海峡をなしていたのではないだろうか。ところが波の作用と西からの季節風によって吹き寄せられた砂が海峡西端を埋め、大島を陸続きの半島にしてしまったように思われる。
 地図にある和田という町は、そのトンボロ上にできた町でしょうそうでしょう。

 ただし右側の青戸入江側は埋め立てによる直線加工でややいびつな形になっている。しかもそこに安土という集落もあったりして、微妙に判断に迷うところ。
 ともかくこれは現地で確かめなければ。
青戸入江(トンボロ東岸)
 ちゅーことでJR小浜線の若狭和田駅で下りた。そしたらいきなり道路の向かいに漁船が見える。

 
(左)若狭和田駅、原発の町らしく立派な駅舎   (右)若狭和田駅から正面を見る。向かいの山は大島半島

 ちょうどこの駅前まで青戸入江が入り込んで、海の最奥部になっている。
 波はなく、池のような水面だ。岸はすべてコンクリ岩壁になっている。ボートや小さな漁船があるが、そんなに大きな港ではない。

 
(左)駅から道路を渡るとすぐ船着場   (右)青戸入江のいちばん奥から湾口方面(東)を見る

 地図を見ると、青戸入江のこのへんは北岸・南岸ともに直線的に加工され、かなり埋め立てられているようす。昔はもっと入江が広かったに違いない。
 この埋め立てのせいでトンボロだかどうだか判然としにくいんだよなあ。

 若狭和田駅前で国道を渡ると、和田浜側へ抜ける道がある。それを途中で右折して、埋立地とおぼしきエリアを大島半島へ向かって歩いた。
 道路は海岸よりやや内側につけられていて、右手、つまり道路と青戸入江との間には立派な保育所や小学校がある。グランドも広々しており、一見して埋立地であることがわかる。

 
(左)ピカピカの和田小学校   (右)左手には湿った空き地の向こうに和田集落が見える

 逆に左手には、写真右上のような湿った空き地が広がっている。地図では畑の記号が書かれているあたり。耕作が放棄された跡地のようだ。
 空き地の向こうに民家が密集しているのが見える。あれが和田集落だ。

 じつのところ、俺としてはここを見極めの最大ポイントと踏んでいた。
 この畑地がもし多少なりとも丘になっていたり岩脈が露出したりしていたならば、大島半島はもともと本土とつながっていた可能性が捨てきれない。

 というのも、地形からして和田浜は西からの風と波浪によって形成されている。とすると砂丘の盛り上がりは和田浜沿いに発達することになるから、もしこの地峡がトンボロであるならば、砂丘の後背地である青戸入江側は低地になっているはずだ。

 で、ご覧のとおりペッタンコだった。わははは〜。トンボロやトンボロや〜。

 和田集落の密集ぶりと広々した空き地のアンバランスから考えて、この空き地も埋立地だろう。かつてはあの集落のぎりぎりまで青戸入江が入り込んでいたと思われる。
 だとしたら和田トンボロは埋め立てによって本来の幅の倍ほどに広げられたことになる。
 ちなみに右上写真の右端に写っている2軒の家は、埋立地部分に新築された家だ。

 この道路をもう少し進むと、右手の青戸入江側は小学校の次に関西電力高浜原発の社宅群および巨大な体育館が現れる。地図で「安土」となっているところだ。やはり敷地はゆったりとしている。
 安土は、大島半島の安土山を削って青戸入江を埋め立てで造成された地所のようだ。それは原発で働く人々のためであり、立派な保育所や小学校もその産物に違いない。

 高浜原発は、ここよりずっと西の内浦湾にある(大島半島にあるのは隣町の大飯原発)。にもかかわらずそれが遠く離れたトンボロ地形を間接的に改変した。原発の影響力というのはかくも強いのだね。
陸繋島(大島)
 埋立地の道路を500mも進めば陸繋島である大島半島の山に突き当たる。道なりに右へ曲がると、山を崩して土砂を採取しているところに出る。まだ埋め立てを続けるのかな。
 そこから安土山へ登ってゆくジグザグ道がついているので、それを登った。

 
(左)青戸入江が見えてきた   (右)大島半島の外海側、釈迦浜の断崖

 汗をかきながらヘアピンカーブを何度か曲がるうちに青戸入江が見えはじめ、10分ちょっとで尾根に出た。
 すぐそこに安土山展望台らしきものが見えているが、さらに1km登ったところにやすらぎ公園という新しい展望スポットが作られているらしいので、先にそっちへ向かった。

 尾根の左手には、右上写真のごとく大島半島北岸の断崖が見え隠れする。そっちは人をまったく寄せ付けない厳しい地形だ。
 登るにしたがって青戸入江の全貌が見渡せるようになる。直線的に埋め立てられて細くなった入江はまるで運河のようだ。北九州の洞海湾を思い出した。

 
(左)ずーっと尾根筋につけられた単調な車道   (右)埋め立てられて細くなった青戸入江

 車が通れるように作られた道は、歩いても全然おもしろくない。だから誰もいない・・・と思ったら、ここを走って登ってくる人がいた。鍛えてるなあ。

 やっと到着したやすらぎ公園は標高160mくらい。公園といっても駐車場と小さな展望台だけで、人っ子一人いやしない。
 でもそこからは和田トンボロの全景が見えた。

 
(左)やすらぎ公園の展望台   (右)見えたっ!


トンボロの中央付近を境に建物のサイズや密集度が歴然と異なっている

 もともと和田トンボロは南西から北東へとナナメに伸びているが、そのさらに北東の延長線上から眺めている状態だ。
 直線加工された青戸入江側に対して、右側の和田浜側は広い砂浜が見える。

 ちなみに、ここからの展望のことは若狭和田観光協会のHPで知った。「和田の特長ある美しい地形と青葉山を一望できます」と書かれてあり、この地形のおもしろさは地元でも認識されているようだ。
 この公園はそれを眺めるためだけに作られている。これは串本町にもぜひお願いしたい。ただし「やすらぎ公園」なんていう何の魅力も工夫もないネーミングセンスは絶対にマネしないように。

 しばらく眺めて来た道を戻る。その途中、こんなのが見えた。

 高浜町の中心部、事代トンボロだ!

 じつは今回の旅行では、この和田とともに、同じ高浜町内にあるもうひとつのトンボロの町(と思われる)事代も訪れるつもりをしていた。
 それが今こうして見えている。トンボロだろうと予想はしていたが、こっちも間違いなさそうね。

 1km下って、さっきの安土山公園の展望台へ。標高80mちょい。ここからは地形のおもしろさはあまりわからない。やすらぎ公園をわざわざ作ったのも頷ける。
 でも下界に近いぶん、こまかな部分がよく見える。


安土山公園からの眺め

 
(左)右のほうに見える緑の建物あたりから左が埋立地ぽい   (右)古い家が密集する和田の町。瓦屋根が美しい

 砂丘を切り込んで作られた和田の港と、事代トンボロ遠望

 さらに下りてゆくと、大島半島西端の北側に造成された漁港が見え、そこに鯨の供養碑があった。

 捕鯨をやってたのかな?

 大島半島の背骨をなす安土山はここでいったん標高を下げて大きな鞍部を形成し、最後におにぎり山みたいに急傾斜で盛り上がってから海中に没する。
 鞍部からは直接そのおにぎり山には登れないので、いったん和田集落の北端に下りることになる。

 おにぎり山の麓には新宮神社があり、境内から急階段を上り詰めた山頂に小さな愛宕神社がある。愛宕神社まで登ってみたが、残念ながら展望はほとんどなかった。

 
(左)新宮神社。熊野新宮と同じく速玉神を祀る   (右)飛びかかってきそうな狛犬

 
(左)愛宕神社への地獄階段   (右)愛宕神社、ほとんど展望なく徒労に終わった 
トンボロ西岸(和田浜)
 ここからは和田集落と西岸の和田浜とを行ったり来たりした。ややこしいので両者を分けて記述する。

 和田浜は展望台から見えた通り、やたらと幅の広い砂浜だ。海岸通りと砂浜の間には海の家(もちろんこの時期は閉まっている)がずらりと並んでいる。
 その北端部を掘り込んで漁港が作られているが、それほど大きくはない。

 
(左)和田漁港   (右)港から見た和田の家なみ。砂丘の上に立ち並んでいる

 
(左)和田浜、海が遠いよ〜。正面にうっすら事代トンボロ   (右)広いよ〜

 
(左)ビーチから見た和田   (右)左のこんもりした山が愛宕神社、右のゆるいのが安土山

 これだけ砂浜の幅が広いと、泳いでから海の家までが遠すぎてしんどいぞ。
 浜辺にいた老人に聞くと、この浜ではビーチバレーの大会も開かれるらしい。浅尾美和ちゃんも来るのかな〜。
 でも近年は砂が減り、海面下に防波堤を設置したり、外から砂を搬入しなければ維持が難しい状況とのこと。日本中どこでもそうだけど。

 老人によると、反対側の青戸入江は、「埋め立て前は3倍くらい広かった」んだと。

 
(左)ビーチ南部にはこんな立派な旅館もあり   (右)そこから南は立派な石垣が続く

 和田浜はゆるやかなカーブを描いて西へ続き、トンボロと本土の境ははっきりしない。集落もそのまま途切れることなく続いている。
 漁港や砂浜北部では、海岸通を挟んですぐに民家が密集していたが、砂浜南部からは上写真のように立派な石垣が現れる。
 このあたりが境目と考えてもいいかもしれない。
トンボロ内部
 さて、晴れてトンボロの町であるとまっちゃんに認定された和田の内部を歩いてみよう。
 和田浜沿いに1本、集落内に2本の道が走っている。これを便宜上、西から「浜通り」「中通り」「東通り」と名付けよう。

 
(左)新宮神社の階段から和田の町を見下ろす   (右)東通り(南向き)

 
(左)東通り(北向き)、落ち着いた田舎町   (右)中通り、背後は大島半島、起伏はない

 東通りと中通りは平坦だが、中通りと浜通りの間はやや盛り上がった土地が帯状に続いている。これが西風に吹き寄せられた砂丘だ。
 砂丘上にも民家がびっしり建っている。

 
(左)中通りから港へ出る坂を登る   (右)坂を登ると海が見える

 
(左)逆に港から中通りへ戻る登り坂   (右)丘の上で狭い路地が折れ曲がる

 このあたり、漁港背後の砂丘上の家なみには、漁師町ならではのオーラが漂っていて味わい深い。

  
(左)(中)(右)砂丘上の狭い路地

 中通りに下りてくると、ぐっと落ち着いた感じのまちなみになる。黒瓦の美しい立派な家も多い。

 和田集落には全体的に、この落ち着きと明るさとが漂っている。狭いトンボロに生きてきたというような切実さは感じられない。
 本土側との境目がなく、集落がずっとつながっているからかもしれない。また海水浴やマリンスポーツなどで外来者の出入りが多いせいもあるだろう。民宿や旅館もかなりの軒数がある。

 
(左)中通りから大島半島を見る    (右)中通りに面した立派な家々

 
(左)東通り方面は少し庶民的な感じ   (右)再び浜通りへ向かう。砂丘上には一部畑もある

 
(左)けっこう高さがある   (右)砂丘のてっぺんから中通り方面を見下ろす

 
(左)和田浜南部の石垣地帯の丘   (右)本土側から和田トンボロを振り返る
遠望
 以上で和田歩きは終わりだが、このあと行った隣の高浜のあちこちからも、下のように見えた。

 妙見山からの和田と大島半島

 城山公園からの和田

 拡大。奥に青戸大橋が見える

 ちなみに「和田」に水田は存在しない。この地名は、かつて海のことを「わた」と呼んだことに由来すると思われる。和田の西端には「海(わだつみ)神社」がある。

 おしまい。 (記:09.5.5)
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