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4〜5日目◆与那国島:風の国境にて 西表島の大原港から石垣島の離島桟橋へと戻る。この航路はほとんどサンゴ礁に囲まれた内海を通るためか、さほど揺れなかった。 離島桟橋からそのまま石垣空港へ移動し、10:30の飛行機で与那国島へ。 旅先で飛行機移動なんちゅー贅沢は通常の俺の行動原理からは考えられんのぉ。しかし今行っとかな、与那国に行かずじまいで死んではせっかく俺を産んでくれた天国のカーチャンに申し訳が立たんからね。 ちなみに与那国にはフェリーもあってそのほうが安いのだが、週3〜4便で短期旅行では使いづらい。おまけに通称「ゲロ船」と呼ばれているようで、一般乗客は与那国に着くまで4時間ほどの間ずっと吐き続けるのが普通らしい。 与那国島は別名「どなん」と呼ばれ、これには「渡難」という漢字が当てられている。渡るのに難儀する島という意味だ。 わずか30分のフライトで与那国島が見えてくる。周囲を断崖に囲まれた、絶海の孤島だ。 見えてきたよ与那国が「歓迎いっこく堂」の垂れ幕に迎えられて空港に降り立つ。いや、同じ飛行機にいっこく堂が乗っていたようで。 この島は徒歩で回るにはちょっと広い。レンタサイクルもあるが、起伏が激しくてキツイようだ。時間もないことだし、今回は姉上が借りたレンタカーに便乗だ。 空港前でレンタカーを借りて東の祖納(そない)集落のほうへ車を走らせると、すぐに右手にいかつい断崖が迫ってくる。これだな、観光パンフ類に必ず載っている景勝地、ティンダハナタ。 道路から見えるティンダハナタ車を止めて遊歩道を散策した。ここは16世紀に与那国島を支配した巨漢の女王、サンアイイソバの居城だったそうな。 江戸時代の与那国島は、琉球王朝に支配された。その琉球王朝は薩摩藩に支配され、薩摩藩は江戸幕府に支配されていたわけだから、3重の封建支配を受けていたことになる。3重支配の末端である与那国島の住民は想像を絶する搾取に遭っていたようで、その過酷なエピソードがいろいろ残っている。 サンアイイソバはその過酷な支配に立ち向かった女王(資料では「女酋長」となっている)として敬愛されているようだ。 ティンダハナタは与那国島の岩盤状に堆積したサンゴ土が隆起してできたものだという。岩は手で削れるくらいに軟らかく、水が湧き出ているところもあって生活にも困らない。 しかもここからは与那国島の中心地・祖納集落が一望できる。城としては申し分ない立地だな。 ![]() (左)サンアイイソバの墓 (右)隆起サンゴ土でできた軟らかい岩盤 ![]() (左)ティンダハナタから祖納集落 (右)祖納集落からティンダハナタ さて与那国島といえば世界最大の蛾、ヨナグニサンが住む島だ。ヨナグニサンは密猟などでめったにお目にかかれないらしいが、アヤミハビル館という施設で見られるとのことなので、そこへ向かう。 アヤミハビルとは与那国語でヨナグニサンのこと。しかしこの施設は山の中にあり、しかも案内看板もなくてどこなのかさっぱりわからない。さんざん車で走り回ってやっと到着した。 でも季節的なこともあるのだろうが、あるのは標本のみで、幼虫もマユも実物は見られなかった。ちぇっ。 山から下りて、祖納の東にある浦野墓地群へ。昔は崖に横穴を掘って埋葬していたところらしいが、今は広々とした丘に沖縄独特の大きな亀甲墓がゆったりと点在している。 そのすぐ向かいの浜に下りてみたら、いろんな貝がらがワンサカ落ちている。ここでまりもちゃんのミヤゲに貝がら拾いを1時間。 ![]() (左)浦野墓地群、元は「裏の墓地」だったのでは? (右)貝がらを拾った入江 波の色がなんともいえぬいいかげん腰が痛くなったところで、レンタカーでの島内1周観光に出発。パンフにある名所をなぞっただけだが、この島が石垣や西表よりも厳しい波と風にさらされていることがよくわかった。 島の東端、東崎(アガリサティ)では体ごと飛ばされそうな風が吹き荒れ、海岸には叩きつけるように波が砕け散る。 そこでもまれる景色は厳しく、美しい。高校時代に読んだドーデの『風車小屋だより』に出てくる、コルシカ島のサンギネール灯台のイメージが思い浮かんだ。 ![]() (左)東崎には灯台への道と海岸への道がある (右)アリシ海岸から灯台を見上げる 今度は灯台への道![]() ![]() ものすごい向かい風の中で展開する、最果ての風景 ![]() (左)日本本土の方角から激しく打ち寄せる波 (右)東崎から北海岸と風力発電の眺め すっかり感動して車に戻り、今度は南海岸を西へ。海食崖の台地上をうねうね走る。 宇良部岳の南麓から比川集落に降り、カタブル浜から細長い台地上の南牧場を通り、日本最西端の西崎へ。車ならスイスイ行くが、これは自転車だと相当キツイぞ。 新川鼻付近の海岸台地にヨナグニウマ1頭 ![]() (左)サンニヌ台から軍艦岩、ここも立っているのがやっとのすごい風 (右)そんな岩にも植物が生えている 立神岩と、荒々しい海岸線 ![]() (左)道路は南牧場内を通る。ここは動物優先 (右)ヨナグニウマの放牧 ![]() (左)そして日本の西端、西崎(イリサティ)灯台 (右)晴れた日には100km先の台湾が見えるらしい 西崎から見た日本最西端の集落・久部良日本最西端ということで西崎はいろんなところで紹介される。与那国島を舞台にしたテレビドラマ『Dr.コトー診療所』にもここの風景がしばしば出てくるが、最果ての風景としては東崎のほうがそれっぽい。 午後5時に久部良集落に入る。売店1軒、信号1つの最果て漁港だ。今夜の宿はここにある民宿ゆうな泊。素泊まり2500円(共同シャワー)。 下着を洗濯し、2階の物干し場に行くと、相変わらずの強い風で洗濯物がたなびいている。これだとすぐに乾きそうだ。ハンガーごとしっかりと洗濯バサミで留めておいた。 ![]() (左)集落近くにある久部良ミットゥという汽水湖、後ろは久部良岳 (右)トガリネズミの死体発見 6時になると、近くの海響(これで「いすん」と読むらしい)という食堂が開いたのでさっそく晩めしを食べに行く。 この店、こんな極限の田舎にあるっちゅーのに垢抜けた店内、そして言うまでもなく海のもんがうまい! 西表島の満八食堂に続いてのヒットだ。 ![]() (左)久部良でバンバンとれるカジキの刺身 (右)単なるイカオクラ、だが安い、多い、うまい 店内に与那国島の写真集があったので見ていると、「ミミ石」という奇妙な岩の写真が載っていた。西崎から見えた久部良岳の隣に見えた、あの山だな。ガイドブックには「ミミシ」と載っていたが、これをふしぎ山探検家として看過できようはずがない。 ミミシ(翌日撮影)店の人に「これに登る道はあるのですか」と聞くと、奥でごそごそ調べてくれたらしく、しばらくしてからこう教えてくれた。 「久部良岳に行く道を登っていくと、右手にこれが見えてくる場所がある。そのあたりに道はあるようなないような」 さんざんオリオンを飲み、翌日はミミシに登ることを決意して店を出た。 深夜、なんとなく眠れずに表に出た。しんと静まり返った最果ての村を少し散歩し、波の音をしばらく聞いてから、また宿に戻って寝た。 * * * 翌朝8時、さっそく姉上にミミシの登り口まで車で送ってもらい、ジャングルに分け入った。そして三つの岩のうち二つの上に立った。 意外に短時間で簡単に登れたが、興奮を覚える神秘的な山だった。最果ての島でこんな山に出会えた喜びは何物にも代えられない。ミミシの登山レポートはこちら。 9時半には下山した。姉の車に拾ってもらって、祖納のナンタ浜でまた下ろしてもらう。靴を脱いで、しばらく浜辺で寝ころんでぼーっとした。 ナンタ浜でそのあと祖納集落を1時間ほどゆっくりと歩く。 沖縄らしい赤瓦の家々が多いが、竹富島のような明るさはなく、少し寂しげな印象。ちょうど集落内で何かの工事をしていたためかもしれないが、店もほとんど閉まってた。腹が減ったよぅ。 ![]() (左)祖納集落 (右)どの屋根にもシーサーは乗っていない 正面に珍しく木造赤瓦の2階家があるお昼前の飛行機で与那国島を発ち、石垣島へ戻った。 たった1泊、ぺろっと舐めただけだが、くっきりと強い印象を焼き付けられた国境の島だった。 |
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