ちょっとした旅ホーム
八重山諸島

西の果ての島々へ

2006.12.7〜13日(沖縄県)
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6日目◆石垣島:カーラ岳から新空港予定地を徒歩縦断する

 石垣島の離島桟橋に着くと、Kさんが車で迎えに来てくれた。今夜はKさんの実家に泊めてくださると言う。
 でもまだ昼過ぎだ。俺は「カーラ岳の麓まで送ってください」とわがままを言った。

 石垣島には、長年にわたる大規模な反対闘争のすえ、新空港が建設されることが決まった。
 なぜ反対が根強かったかというと、その新空港計画が、北半球で最大級のサンゴ礁をぶっつぶして作るというものだったからだ。
 そして反対運動は破れ、サンゴ礁をぶっつぶすことが決定した。空港ができたら、こんな大きなサンゴ礁はもうオーストラリアのグレートバリアリーフあたりまで行かないと見れなくなるのかもしれない。

 カーラ岳はその建設予定地・白保海岸の北にある小さな山だ。この山も空路の邪魔になるために半分くらい削り取られるという。そしてこの山を削った土でサンゴ礁を埋め立て、人工島の滑走路を作るらしい。

 新空港はつい先日、起工式が行なわれたばかりだそうだ。もう少ししたら、白保のサンゴ礁もカーラ岳も見ることができなくなる。
 その最後の風景を見ておきたいと思った。

赤線が歩いたルート
(上から下へ)

大里集落の南の
136mピークが
カーラ岳

 白保は石垣島の南東端にある集落で、石垣市街地からは10kmあまり離れている。カーラ岳はさらに北へ6kmほど離れたところだ。
 離島桟橋から東へ走り、空港を超えたあたりに「フルストバル遺跡→」という小さな標識を見つけたので、立ち寄ってみた。
 新空港建設推進派の言い分の一つに、「現空港の滑走路延長だとフルストバル遺跡を破壊することになってしまう」というのがあったらしい。

 フルストバルは、西暦1500年、琉球王朝と宮古島の2重支配の圧政に苦しむ八重山を解放するために反乱を起こしたオヤケアカハチという人物の居城だったとされる場所だ。
 だが道には案内看板の一つもない。台地上の空き地に車をおき、奥の森へ少し歩くと、いきなり建物の土台跡とおぼしき石組みがいくつか現れた。沖縄本島のグスクに少し似ている。
 1.7mほどの高さの石垣によじ登り、周囲を眺めてみた。

 
(左)楕円形に組まれた石垣   (右)石垣の上から、囲みの入口を見る

 
(左)石垣の上から東の海を見る   (右)台地の東面は20mほどの断崖になっている

 台地の東側は断崖になっているが、西側はゆるやかな斜面のまま現在の石垣空港につながっている。
 さらに台地の奥へと続く道を歩いていく。観光用の施設は何一つ存在せず、ただ亜熱帯ジャングルの中のあちこちに石組み遺構が無造作に眠っている感じだ。
 ふいに轟音が巻き起こって、真上を飛行機が通過していった。

 
(左)この真上を飛行機が通った   (右)森の中のあちこちに遺跡が点在する

 フルストバルの丘を下りて、さらに東へ。
 小さな谷にも水田が作られ人が住む本州と違って、八重山では集落外にはほとんど人家がない。白保で北に折れて集落から出ると、とたんに広大なペッタンコの牧場地が展開する。

 しばらく走ると右前方にカーラ岳とおぼしき姿が見えてきた。東西に細長く伸びた小さな丘だ。木がまったく生えていない。まるで奈良の若草山だ。かつては山全体が牧場だったらしい。
 山の北側にトラックの侵入路があり、そこで車から下ろしてもらった。

 
(左)北側から見たカーラ岳。左(東)が主峰、右にいくつか小ピークが並ぶ   (右)北側のダンプ侵入路から

 ダンプを何台かやり過ごしながら、カーラ岳の北面に沿ってダンプ道を10分ほど歩くと、主峰と小ピーク群との間くらいのところで、草原を登って行く踏み分けを見つけた。よく見ると草に目印テープもある。
 踏み跡は西方向へナナメに続き、そこを登るとわずか数分で稜線に出た。木がないため眺めは最高、丘をわたる風が気持ちいい。

 
(左)ここから登る   (右)稜線に出たところから主峰を見る

 尾根筋には東の主峰へ向けて明確な踏み分けがある。なんとも気分のいい稜線散歩だ。
 小ピークと主峰との間に測量計のようなものが設置されている。そこからやや急になりススキの丈が高くなるが、ほどなく頂上に着いた。標高136m。登り口からわずか10分だった。

 
(左)測量計と主峰   (右)頂上のポール

 頂上からは、もうすぐ失われる世界最大級のサンゴ礁全体が手に取るように見える。ていうか、この頂上自体ももうすぐ失われるわけだが。
 しかしまだどこも工事は始まっていない様子だ。

 
(左)北の方角。ヌスクマーペーが見える   (右)そしてこれが問題の白保のサンゴ礁

 サンゴ礁拡大、この距離でも水底まで見える

 風がひゅうひゅう吹く中に突っ立って景色をぼんやり10分ほど眺めたのち、来た道を戻る。測量計のところから南側の白保方面へ下りる道があったので、そこを下ってみた。

 下山路から南方面。中央の遠端に白保集落がある

 この下りは斜面をまっすぐ下りるのでかなり急坂だ。トトトトっと下りると、区画されてはいるが何にも利用されていない草地が広がり、まっすぐ南へ道が伸びている。
 それを進むと、ゴルフ場外縁の並木に突き当たった。振り返るとカーラ岳の雄姿がゆったりと横たわる。ちっぽけな低い丘だが、周囲がまったくの平野なので意外に雄大な風景で見応えがあり、しみじみと眺めてしまった。
 これを削ってしまうとはなんとももったいないことよ。


連続写真:カーラ岳全景(南面)

 海のほうへ歩くと、簡易舗装のそこそこ広い道に出た。通る車もなく、電信柱だけが1列に並んでいる。それをまた南へ。

 周囲は広大な空き地だ。地図では畑地になっているのでおそらく空港用地として立ち退きになったのだろうが、海なんか埋めなくてもここだけで滑走路2本はとれるぞと思うほど広い。
 このあたりは空港前のターミナル道路とか駐車場なんかに使われるのだろうか。

 
(左)カーラ岳から少しずつ離れてゆく   (右)取水口のようなところにはこんな立て札

 南へどんどん歩いていると、空き地の中にポツンと1カ所だけ、園芸植物園のようなところがあった。その外堀に、カマで草を刈っている老人がいた。
 老人は道を歩く俺と目が合うと、ふいにカマを振り上げ、「アイー」というような挨拶らしき行為を投げかけてきた。俺はいささかたじろぎつつも、とっさに「こんにちはー。このあたりに空港ができるんですか?」と聞いた。
 すると老人は一瞬固まって「あ?」というような声を出したので、俺は大きな声でもう一度、
 「空港ができるのはこのへんですか?」と地面を指差してぐるぐる回しながら聞いた。
 すると老人は目を伏せ、少しだけうなづいようなかたちで頭を垂れ、そのままの頭の角度で草刈り作業に戻った。俺は「あれ?」と思いながらも再度「このあたり?」と聞いたが、もう老人は反応せずに黙々と草刈り作業を続行した。

 俺を誰かと間違えたのだろうか。老人は未だに立ち退きを拒否する、最後の空港反対農民なのだろう、たぶん。悪いことを聞いちゃったかな・・・。

 直線道路は1.2kmほど続く。カーラ岳を振り返りながらそこを歩く間、すれ違った車は1台か2台だけ。
 低い丘を越えると、サトウキビ畑が現れた。このへんから空港用地の外になるのだろう。

 
(左)空港用地の直線道路とカーラ岳   (右)低い丘を越えるところで道ははじめてカーブする

 サトウキビ畑と、遠ざかるカーラ岳

 さっき車の中でKさんは、「新空港ができると不便になる」と言った。今の空港は狭いためにジャンボジェットが入れないが、そのおかげで小さな飛行機が頻繁に出入りして便数が多い。市街地からも近くて、まるで離島桟橋みたいに利用しやすい。
 だが新空港は市街地からシャトルバスで30分以上かかるし、そのバス代もかかるし、おまけにジャンボが乗り入れたら便数は減らされるに違いない。
 新空港建設で喜ぶのは、土建業者と、効率よく客を運べる航空会社だけのようだ。

 丘を越えてさらに同じような道を1.5kmほど歩いて、ようやく幹線道路に出た。
 そこからのっぺりした単調な風景の直線的舗装道路をさらに2.5km以上歩き、夕方5時をまわったころ、ようやく白保の集落が見えてきた。カーラ岳山頂から1時間40分、こう変化のない直線道路ばかりだとさすがに飽きるし疲れたよ。
 最初に現れた八重山そば屋に入り、オリオンビールと焼きそばにありついて、なんとか生き返った。

 腹が膨れたら、白保の集落を抜けて海へと向かう。昔ながらの赤瓦の家々が多い。

 
(左)白保の伝統的な石垣と家並み   (右)瓦を丁寧に修理する人

 
(左)津波に埋まったあと掘り直したという古井戸   (右)御嶽

 御嶽の横に堤防があり、その向こうは海だった。はるか沖合いまでサンゴ礁が続く白保の海だ。そういや10年以上前、ここを舞台に撮られた椎名誠の映画を観たなあ。

 
(左)空港建設予定地の方角(北)を見る   (右)南を見る。波打ち際には海草が多い

 
(左)庭でヤギを飼う家   (右)白保小学校、ここも校庭が緑化されている

 しばらく砂浜を歩いて海を眺めてから、また集落を抜けて今度は西へ歩く。小学校と墓場を通り過ぎると、あとはひたすらサトウキビ畑と牧場だけの、またもや変化のない風景になる。

 白保海岸から4kmほど西の宮良川河口あたりでKさんの車に拾ってもらう予定だったが、ずんずん歩くうちに日が沈み、おまけにいいかげんな地図しか持っていなかったせいで全然違うところへ行ってしまった。真っ暗闇の中、現在地わかんないや。
 携帯電話で連絡を取り合い、7時近くになってからやっと拾ってもらえた。

 ざわわな夕暮れ

 夜はKさん宅で、オオタニワタリ山盛りのチャンプルーなどをよばれた。こんなの関西では絶対に食えないだろう。
 Kさんの父親は、こうおっしゃった。
 「空港は作ることが決まったんだから、もう急ぐことはないさー。急いで作ろうと思ったら本土のゼネコンが入ってくるさー。今の空港でも不自由はないから、10年でも20年でもかけて、地元の業者だけでできるだけチビチビと作ったらいいさー」

 遠い昔から琉球や本土やアメリカに振り回され続けてきた八重山の人は、のんびりしつつもさすがに発想がタフだなと感心した。

           (そしていよいよ最終日、名蔵アンパルへGO!→)
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