(下へ行くほど日付が古くなります) |
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| ネコマタの滝に挑戦しよう! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009.12.29(火) 年越しの旅 まいはーい。まっちゃんです。 今年最後の燃えるゴミ収集にいま出したとこやねん〜、な気持ちのよい朝。 夕べは大阪で忘年会。うまいもん食いすぎて腹いっぱいの大満足であったわい。 ![]() (左)フグのタタキ、美味気絶5秒前 (右)刺身盛、美味おしっこちびりかけ 世界の景気が低迷し、国家の財政が逼迫してえらいことになっているというのに、俺のような下腹たるみっぱなしの極貧ハナタレ老眼中年がこんなもんを腹がくちるまで食えるっちゅーんやから世の中間違っている。 というわけで俺は本日これより、わが享楽三昧の日々を反省し世界平和を祈りつつこの世の極楽をさらに極める内需拡大の旅に出る。 そして元日の朝、この極楽大王がどこにいるかを当ててみてくれたまえ勤労者諸君。 (まつあつ) 受付期間が31日から7日までと超ロングランですが、まさかその期間中ずーっと旅にでて、元旦はどこにいるかを当てるクイズでしょうか? それともその期間の一部だけ使ってご旅行?? ま、それも含めてご想像におまかせいたします。 先日も申しましたとおり、正解者には「まっちゃんの2010元旦オミヤゲ」をプレゼントいたします。これは一生もんでしょう。 ご回答の締め切りは1月7日の午後11時です。お答えはこちらへヨロシク! 思い起こせば今年の俺は、銭湯イベントや父親の看病などに忙しくて、あまり旅行には行けなかった。よその国も一度も行かずじまいだった。 来るべき2010年、俺は年男だ。寅年さそり座AB型のきつーいキャラが全開してたいへんなことになるかもしれん。 ま、ひとつよろしくおつきあいのほどお願い申し上げます。 ほなみなさま、2009年はなにかとたいへんお世話になりました。 よいお年を! 2009.12.27(日) 直島実験 まいはーい。まっちゃんです。 昨日はやっと丘の本棚を完成させた。まだ棚板を留めるネジが数本たりないけど、とりあえず年内に作れてホッとした。 ところで一昨日に行った直島だが、「アート」の島として有名になったおかげで、瀬戸内の小さなフツーの島としては最も観光客の訪れる島になったといえるかもしれない(厳島などの特別な島を除く)。 一昨日も平日にもかかわらずけっこう観光客がいた。外国人の個人旅行も何組もいたので、海外でもポピュラーに紹介されているのだろう。 だが瀬戸内海の多くの島は過疎化が進んでいるところが多く、船便も不便になる一方だ。本州・四国どちらか側からしか船がなく、島伝いに対岸へ抜けられなくなったところも多い。 たしかに、島にいてもあまり仕事はないから、若者は出て行くしかないだろう。島には半農半漁の老人だけが残っているのがおおかたの現状だ。 そんな中で、直島はひとつの実験的試みとして注目を集めているようだ。 なにせ、湯船が一つきりの小さな直島銭湯でさえ、券売機に「領収書ボタン」があった。銭湯の券売機で領収書ボタンなんか見たのは初めてだ。お役所関係の視察が多い証拠ではないかと思われる。 問題は、それが島民にとってどうなのかという点だろう。 直島銭湯(正面キミドリ色)への路地写真の、自転車をこいでいるおっちゃんの右の電信柱の陰に赤提灯がかくれている。その「ふじ食堂」はテーブル2つだけの小さな定食屋だ。 そのおばちゃんに、新しくできた銭湯へ行くかどうか聞いてみた。 婆 「島のもんはほとんど行かんな。観光客だけ」 俺 「アートのなんやらで観光客がようけ来るようになって、島の人はどうですか」 婆 「治安が悪なったな。勝手に家へ入って来たり。なんもええことあれへんな。ベネッセが儲かるだけや。まあわしらみたいな商売をしてるもんにはちょっとはええかもしれんけど」 直島には三菱マテリアルの金属リサイクル工場がある。 おばちゃんによると、かつてはその工員たちのための銭湯も何軒かあった。しかしそれもなくなって久しいという。 婆 「銅の工場やから昔は公害がひどかった。周囲の小さな島の若いもんはここへ働きに来ていたが、この島の若いもんは病気になるいうて、よそへ働きに出とったな。わたしも都会へ行っとったことがあるけんど、島へ帰ってきたら咳が止まらんようになったりな」 俺 「それはかないませんねぇ」 婆 「そやで。今は煙突が高うなって、そういうこともなくなったけどな」 俺 「工場のほうの山には木がほとんどありませんけど、あれはなんでですか」 婆 「あれは山火事でみな焼けてしもたんよ。何年前やったかな・・・」 大資本の力によって港はピカピカ。宇野との間を20分ほどで結ぶフェリーもまるでさんふらわあ並みの豪華さだ。 しかし大気汚染と引き替えに進出してきた大手の工場も、地元雇用にはあまり結びついていなかったというのは意外だった。 また島の北部は山火事で丸坊主になっており、黒く焦げたような地肌が痛々しくむき出しているのが船からもよく見えた。 瀬戸内のなにもない直島は、すでに傷だらけだったともいえる。 そこへベネッセが観光客を引き連れてやって来た。 直島をなんとかしよう、ということだったかもしれない。普通のことをやっていたのでは人は集まらないから、現代アートの島づくりという実験も客観的にはそれなりに評価できる面もある。 でも別の言い方をすると、ベネッセとしてはやりやすい島だったのかもしれない。 もちろん島民の中には、このおばちゃんとは異なる意見もあるに違いない。 だが、おばちゃんの言葉の底には、この世代の島民を代表するかのような、ある種の諦念を感じさせられた。 ちなみにわれわれ一行(今回は珍しくグループ行動だった)が銭湯に入ったときは、一人だけ地元のじいさんが入っておられた。
2009.12.26(土) 岡山の廃業銭湯・新設銭湯 まいはーい。まっちゃんです。 岡山県玉野市で最後の1軒としてがんばっていた銭湯「松の湯」が年内に廃業するというニュースを知って、イブの夜に行ってきた。 ここは去年、午前中に前を通ってその素朴で味わい深いオーラに心打たれ、「近いうちにゼッタイ入りに来よう〜っと」と楽しみにしていた銭湯だ。 その入浴行動が廃業直前となったことはじつに残念。 やはり何にせよ、「そのうち」ではダメだな。俺は今後より一層、即行動主義を研ぎ澄ませていきたい。 ![]() (左)宵闇の松の湯 (右)脱衣場の中央に、板と金網で作った不思議な脱衣籠?があった そして昨日は、最近「アート」で客を集めているという瀬戸内の小島、直島に行ってきた。ベネッセのオモチャ箱にされている感はあるが、それなりにおもしろかった。 この島には去年、やはりベネッセ資本によるオモチャ箱銭湯「直島銭湯」が誕生した。随所に遊び心満載で、なかなかおもしろかった。内部はちょっと大阪のスパワールドにも似た雰囲気だ。 港の近くの狭い路地にある直島銭湯 あちこちにおもしろいタイルや装飾がテンコ盛りしかし何より俺が感動したのは、脱衣場のベンチに仕込まれた液晶画面に映されていた、海女さんの貴重映像だ。 ふんどし一丁の若い海女さんたちがにこやかにアワビを撮っているカラー映像なのだが、これはいったいいつの時代の、どこの地方のものなのか。こんなの、鳥羽の「海の博物館」にもなかったぞ。 海人族オタクの俺は風呂そっちのけでクギヅケになり、この液晶モニター画面に向かって写真を撮りまくってしまった。 ![]() 素晴らしいのひとこと 2009.12.24(木) 新たなるクイズ まいはーい。まっちゃんです。 年末は仕事も遊びも何かと予定が多い。真っ白カレンダーが大好きな俺にしては珍しく日々こまぎれに書き込みがある。昨日は生涯初めての和太鼓コンサートにも行った。で今日〜明日はヒサビサの18きっぷで岡山だ。 おっと、旅先当てクイズをやめたらこんなふうに出発前に行き先を書けるんだな。新鮮〜! でも年末年始はカレンダー真っ白けにキープした。なんも予定なし。 例年は寝屋川でトーチャンと過ごしていたが、そのトーチャンも死んだので、べつにどこで正月を迎えようとカマヘンのだ。 今、ひとつ思いついた。 これから毎年、俺はいろんな場所で元旦を迎えることにする。 日本の正月といえば・・・で共通してイメージされる光景というものはあるにはあるだろうが、実際には同じ県内でさえ雑煮の色が違ってたりする。 みんな、自分ちの正月が正調日本の正月だと勝手に思い込んでいるのよね。 日本列島は東西南北ナナメにやたらと間延びして細長く、亜熱帯の島からマイナス40度の極寒の地までバラエティに富んでいる。正月もいろいろなはずだ。 フフフ。やりますか? やっぱりこれがないとさみしいでしょう? 2010年の元旦、まっちゃんはどこにいるのでしょうクイズ〜〜! 正解者には、そうね・・・その地のオミヤゲを買ってきてお送りしましょう。言うまでもなく安物ですが。 あ、でも出題にはまだ早かったな。まだ答えを送ってこんといてね、俺の行き先が影響を受けるから。 ご回答期間は12/31〜1/7までとします。答えは1/8に明かされる。 そして自分ちで毎年変わり映えのしない正月を迎えているであろう真面目な労働者諸君に、各地のお正月模様をご報告することとしたい。 さてと、ぼちぼち岡山へ出発だ。 2009.12.21(月) 引っ越し ぶるっぽふ。まっちゃんです。今朝の神戸は昨日と同じく気温3度。 でも零下10度の旭川や、零下20度でホームレス多数凍死のポーランドに比べりゃ、なんてことないか。 この寒さも明日以降はじわじわと緩んでくるらしい。 今年もあとわずかだが、こないだから「引っ越し」のことを考えている。 今のクソ狭い部屋にはちょうど10年住んだ。当初はここにこれほど長く住むつもりはなかった。 東灘区というところは神戸でもっとも人口が増加している人気区らしい。環境・治安よく、大阪にも近くて交通便利。おかげで次々に高層マンションが建ち、小学校は定員オーバーでパンパンだ。 でも俺にとっては全然おもしろくない町だ。清潔な住宅地なんぞ探検したって面白くもなんともない。 だから裏山ばかり探検してきた。六甲山の隠れ道をほじくるように歩き回ってきたけど、それももう十分だ。 かと言って、なにも俺は神戸が嫌いなわけではない。 俺はこれまで、寝屋川、京都、茨木、尼崎、神戸と住んできたが、その中でどこがいちばんよかったかと問われるならば、躊躇なく「神戸」と答える。 神戸の最大の魅力はその地形にある。 六甲山は、明石海峡から頭をもたげて海沿いに細長く伸びた山脈だ。そこに降った雨は花崗岩を溶かしながら、滝のようにまっすぐ海へ流れ落ちる。水の流れに削られた山の砂は少しずつ砂浜を広げ、海沿いにわずかばかりの平地の帯を作っている。 その山と海の隙間にヒモのように細長く伸びた平地にへばりつく奇妙な街、それが神戸だ。 南米にチリという異様に細長い国があるが、神戸はさしずめ日本のチリである。 ただしチリからアンデス山脈を越えるとそこはアルゼンチンだが、神戸から六甲山を越えてもそこはまだ神戸市域(北区)である点に違いがある。 とはいえ、六甲山の向こうの北区や西区は一般的に神戸とは見なされていない。あくまでも北区であり西区である。 神戸の朝は、山に始まる。 朝起きて表へ出ると、眼前に屏風のごとく山々が並んで突っ立っている。北風から町を守るその山並は日々色を変え、季節の移ろいをすべての神戸市民に毎朝くっきりと印象付ける。 数分歩いて川の土手やちょっとした高台へ上がると、今度は目の前に海の大空間が広がる。南風を運んでくる海だ。 視界の左手には、逆「つ」の字に弧を描く大阪湾の向こうに関西空港や和歌山の山々が見え、右手には緑に包まれた淡路島とそこへ架けられた世界最大の明石海峡大橋が見える。 そして眼下に、神戸の市街地が西へ東へと細長く伸びている。 おもしろい街だ。 400年間続いた平安時代は日本の歴史上もっとも長かったが、その最後は、栄華を極めた平清盛が神戸に都を移そうとしたことで幕を閉じることになった。 すべてを手に入れた超権力者にとっての最後の夢であった風光明媚な景勝地が、幕末から100年以上にわたる国際港としての歴史を経て、150万人の都会になった。 それが現在の神戸なのである。 そんなわけで俺は神戸を気に入っている。 少なくとも、もう海と山のない町には住みたくない。神戸に来るまで俺は信州にあこがれる山人間だったが、今となっては海の見えない盆地の閉塞感にはもう耐えられそうにない。 で、引っ越しだ。 神戸の中で東灘区以外に引っ越すのか、それとも神戸以外の町を探すのか。 それともうひとつ引っ越しに当たって問題なのは、膨大な本の在庫。これをどう処分するかやな・・・。 2009.12.20(日) 源ヶ橋 ぶるっぽふ。まっちゃんです。 でも昨日に比べたら若干まいはーい。寒さがゆるむって素敵なことね。 昨日はこの講座の大阪編がぶじ終了した。 午前中に天満橋のよみうり文化センターでスライド見ながら講義したあといったん解散し、午後は寺田町駅で再集合して下町探訪ののち源ヶ橋温泉を見学し、店主の中島さんの話を聞いて最後に入浴するという1日コース。 先々週の京都・新地湯編と同じスタイルだったが、やたらとクソ寒い中、京都編より多くの方々にご参加いただいて、なかなか充実した会になった。 源ヶ橋温泉は大阪唯一の文化財銭湯として新聞・雑誌などのメディアにさんざん出まくっているが、昨日はこれまで決して外部に見せてこられなかった釜場を、ついに本邦初公開していただいた。 その意味でも値打ちのあるイベントであったと思われる。 ![]() (左)あったかい釜場で中島さんの話を聞く (右)国指定文化財の脱衣場で 手弁当イベント「ふろいこか〜」とは違ってこの2回の講座は大手資本プロデュースの企画だったけど、内容はわれわれの思い通りにやらせていただけたし、ご協力いただいた銭湯側とも交流がすすんで、意義深いものとなった。 ご参加くださった方々、ご協力いただいた方々、企画されたよみうり文化センターと林宏樹さんにこの場をお借りして御礼申し上げます。 2009.12.19(土) 福建 ぶるっぽふ。まっちゃんです。いま朝の8時、さぶおます。 寒波は今朝がピークらしい。ヤフー天気によると神戸は0度となっている。 そしてまたやってしまった、タイマーの壊れたトースターで食パン黒焦げ。このところ朝食は炭パン続きだ。 きのうは日誌を書いてから昼飯を食いに出たが、岡本はもう完全に飽きたので、電車に乗って三宮へ。阪急とJRのスキマ路地にある中華「悦記」で炒め物とギョーザを食った。 南京町に本店があるが、ここはカウンターのみ5席ほどの小さな支店で、3年前に福建省から来た若い女性が一人でやっている。 この通りは昼間から開いている立ち飲みや激安居酒屋などが多いが、南京町系の店はさほど安くない。 「福建省はあたたかいです。日本に来て初めて雪を見て、うれしかった」 バサバサの短い髪を後ろで無造作にゴムで縛った、ザ・出稼ぎ労働チャイニーズ。旧正月には両親のいる福州に帰りたいと思っているんですが、とのことだが、そういった往来は実際にはどうなんだろう。 左、阪急高架、右、JR高架神戸の大きな名物の一つが南京町(中華街)だ。神戸には幕末から続く華僑の長い歴史があり、旧正月に行なわれる彼らの春節祭は神戸市の無形文化財に指定されている。 だが最近はやたらと若い中国人の出稼ぎが目立つ。中華料理店はもちろん、韓国料理店でも、沖縄料理店でも、居酒屋でも焼き鳥屋でもビアホールでも、どの店に入っても日本語カタコトの若い中国人女性がいる。 神戸の中国人人口は急激に増えているのではないだろうか。そして俺が知る範囲では、福建省の人が多い。 神戸に住んでいながら、そのへんの中国人事情にはまるでうとい俺だ。 今後そのあたりをじわじわと探ってみようかな。 そういや福建省は古代日本人のふるさとの一つらしいし。 さて、今日はこれから銭湯講座だ。カシミヤの下着装着完了。行ってきま〜す。 2009.12.18(金) 午後 ぶるっぽふ。まっちゃんです。今日もひえびえしとるなぁ。北風がうなっとるで。 午後2時半だ。朝に更新しようと思ったけど、つい出来心で仕事してしまった。 昼飯まだ。腹が減ったな。食いに出るか。 ところで明日はこの講座の大阪編。銭湯周辺の町歩きもセットになった企画だが、こんなに寒いとツライかも。タコヤキかなんかを買い食いしながらということでもいいかもなぁ。 だめだ。まだ昼間更新に慣れない。しらふだと頭カラッポ。 2009.12.17(木) 午前 ぶるっぽふ。まっちゃんです。冷えとんなぁ。 午前中に書くことにしたのはいいが、あんまり時間がないわ。もう出かけなきゃ。ははは。 ほなまた明日・・・。 2009.12.16(水) 40代 まいはーい。まっちゃんです。めずらしく午前中に書いている。 あっそや、これまで当日誌は一日の終わりに書いていたけど、これからは朝に更新することにしようかな。これも変化の一環だ。夜はさっさと寝て、翌朝早起きして三文の得をとるセコイ人生に切り替えてみよう。ためしに。 夕べは明石から終電で帰ってきた。 加古川の地元ケーブルテレビで今年、「東播磨のお風呂屋さん」という番組を作った建築士と映像カメラマンがいる。その人たちと会った。 明石駅前の居酒屋に入ったのは6時半になっていなかったと思うが、彼らの話がおもしろくて、気がついたら12時だった。であわてて駅まで走って終電に間に合った。 最近の俺は次々に飲み屋をハシゴするパターンが多いけど、1軒の店にこんなに長くいたのは何年ぶりだろう。 その人たちの銭湯関連話もおもしろかったが、それ以上に二人の名コンビぶりが絵になっていて楽しめた。 生真面目で丁寧な建築士と、ワイルドで冗舌なカメラマン。二人は同じ43歳で実家も近所だそうだが、出会ったのはこの番組作りが初めてらしい。性格は似ていないが、ものの見方のセンスが近くて意気投合し、銭湯番組以後すでに9本の歴史建築物番組を作ったという。 出会うべき時期に出会うべき2人が出会った、という印象。もしかしたらこの2人は、もっと若いときに出会っていても、一緒に何かをやろうという関係にはならなかったかもしれない。 それぞれまったく別の人生を目指して歩んできた人間も、40歳を越えるころからやみくもな上昇志向や無駄な虚栄の角がとれ、おぼろげだった「生き方のセンス」ともいうべき自分のスタイルが素直に浮かび上がってくる時期がある。 そういう、いい意味で肩の力の抜けた、でも社会を泳ぎ渡る実力はしっかりと身につけた者同士が、ふとしたきっかけで電撃的に出会いなおすお年頃。 それが、古い言葉で言うならば「不惑」、昨今話題の言葉で言うならば「アラフォー」ということなのかもしれない。 若者同士の出会いは美しいが、その背景には渇望・貪欲・競争・不安といった心理がある。 不惑の出会いはそれらの要素が少ないぶん、お互いの狙いをすり合わせやすい。別の言い方をすると、無用な心理戦をやる必要も、ヒマもない。ある意味、若者同士よりもさわやかなのだ。 ただし見た目は冴えないし、近寄ると酒臭い。 2009.12.14(月) 海岸通 ぶるっぽふ。まっちゃんです。 昼間はえらくまいはーいってたのに、夜になって急激にぶるっぽふってきたぞ。 ちょっとした時間をみつけては、ひとりぼっちの地元観光「そして神戸」を楽しんでいる俺様だ。 最近はいろんなオブジェをあちこちに置く町が増えている。神戸では三宮の交差点にあるややこしい格好をした裸婦像が有名だが、今日は海岸通りでまたこんなややこしいのを見つけた。 イルカに乗るのは少年ではなかったのか?京都の銭湯に行くと、これと似た裸婦像が湯船の端にあって、イルカの口からお湯が出ていたりする。 でもこの像はほぼ原寸大であるから迫力が違う。しかも女性の下腹部あたりがちょうど見る人の目の位置に当たる。その部分を通りがかりのおじさんが至近距離から凝視していたりする。 俺もその部分の細かな造形がいかなる具合になっているのかに関心を持ったけど、照れて直視できなかった。 ちなみに後ろの提灯は、串かつ・焼き鳥の店「はきだめ」。 いったい誰が何を意図して「はきだめ」の向かいにこのような観音様を設置したのだろうか。 2009.12.13(日) プレゼント まいはーい。まっちゃんです。 先週まりも(小6)の誕生日だったけどプレゼントを用意できなかったので、今日買って渡した。 まりもにとっても似合うと思ってあげたのに、「いらんわ」と言われてしまった。 どこでも座るフクロウサギもうこういうカワイイグッズは嬉しくないらしい。 彼女は自分の顔が赤ちゃんのときからあまり変わっていないことを気にしている。そういうお年頃なのである。 悔しいので、このウサギの写真を俺のケータイの待ち受けにした。 2009.12.12(土) 寺田町 じーめろん。まっちゃんです。 今日も降ったりやんだりの中、来週末のこの現地準備・・・を兼ねて、ふろいこか〜の人々と焼き鳥2軒、餃子屋、バー2軒を飲み歩いた。 どの店もナイスであった。 しかし寺田町にゴロゴロあるような店,、すなわち下町系の安くてうまい店が岡本に1軒もないというのはどういうことか。俺が住む場所を間違えているということなのだろうか。 うむ。そうとしか思えない。 ここにきて「引っ越し」という選択肢が急浮上してきたぞ。 ![]() (左)2010年バージョンの牛乳石鹸のれん (右)煙もうもうの焼き鳥屋「南国」 2009.12.11(金) 記憶の部屋 じーめろん。まっちゃんです。湿った日はこの「じーめろん」でいくからヨロシク。「ろん」にアクセントを置いてほしい。 しかし妙にあたたかな雨の夜だ。 昨日は父親の四十九日だった。 墓へ納骨するときだけうまい具合に雨がやんでくれたが、そのあと寝屋川へ着いたら雨が降っていた。 寝屋川の実家へ行くのは葬式のあと初めてだ。 そのまま1泊した。一晩中ずっと雨が降っていた。 夜中にトイレに行った。 俺が昔使っていた部屋は2階にあり、今も実家へ帰ったらその部屋で寝るのだが、狭い家なので、トイレへ行くには1階の居間を通らなければならない。 居間にはいつも父が寝ていた。 父の生前は、夜中にトイレに行くたび父を起こさないよう抜き足差し足で通ったものだが、いまはその必要もない。 父がいつもいた部屋。 死ぬ前の1ヵ月は俺が駅前のツタヤでいろんな映画のDVDを借りてきて、ここで2人で一緒に観た。 最後は遺体になった父がここで寝ていた。 小用を足してから2階の部屋に戻った。 あらためて部屋を見回すと、昔は俺の部屋だったけど、故郷を離れて30年弱たった今は、父の使っていたものや父が読んでいた本ばかりが並んでいる。 なんとなくタンスの引き出しを開けてみた。 父の靴下、父のシャツ、父のハンカチ・・・。 それを使う人はもういない。 ふしぎだ。 その人は今日、冷たい墓石の下の狭い穴に入った。 このきれいに洗濯して畳まれた靴下やシャツやハンカチはどうなるのだろう。 この部屋には仏壇が置かれている。 そして壁には母と父それぞれの葬式に飾った写真がかけられている。 それをじっと見比べてみた。 俺に似ている。 俺の顔は、母親と父親の顔を足して2で割ったような顔だ。 雨のふりしきる真夜中、いまさらながらそんなことに気づいた。 俺の夢の中に出てくる家は、いまだにこの家だ。 ストーリー設定は現代でも、夢の中で俺が住んでいるのは必ずこの家の、この部屋なのだ。 もう離れて30年近く経つというのに。 父と母の葬式写真に見守られながら、その部屋で寝た。 今日の昼過ぎに神戸に戻ったが、少し睡眠不足ぎみだったのでウトウトと昼寝した。 夢を見た。俺の現在の友人が自宅に遊びに来る夢だ。 夢の中で友人が遊びに来たのは、やっぱり実家の、あの部屋だった。 2009.12.9(水) 凪 まいはーい。まっちゃんです。 昨日今日とあったかな天気だったけど、夜はやっぱり冷えますな。 晩飯当番だったけど、なんか作る気がしなくて、レンジでチン1分のシューマイとお湯で2分のワンタンと半額の茹でダコ切っただけでごまかした。 そしたらガキどもは「わーい、おいし〜」と言って、いつになく喜んでいた。 すると俺がふだん苦心して作っている料理はいったい何なのか。 まあそんな、なにがどうということもない日。今日も早かった。 2009.12.7(月) 早い ぶるっぽふ。まっちゃんです。冬らしく冷えてきた。 大阪・谷9で、先日一段落した分の最後の訂正。そのあと神戸に戻って、まりもの小学校の個人懇談。 それだけで過ぎ去った一日であった。 いやー、ぼやぼやしてたら本当に1日は早い。1週間は早い。1ヵ月は早い。1年は早い・・・。 まいっちゃうよまったく。 歳をとるにしたがって月日の経過が早く感じられる。 でもそれは、子どものときほど密度の濃い日々を送ってないからなんだろうな、きっと。 子どもはぼんやりしているようでも、経験が少ないぶん新しいことに出会いやすいし、目の前にいろんな壁が次々と立ち現れるし、将来・未来への不安もある。心身が変化途中であるぶん感情の揺れも大きい。 彼らは心理的に忙しいのだ。 それに対して大人は、日々忙しくしているように見えても、実際には過去の経験という引き出しの出し入れの範囲内で処理している場合が多いのではないだろうか。 だから、じつはたいしたことをやっていない。手グセで剣玉をずっとやってるようなものかも。心理的にはヒマ、あるいは堂々巡りなのだ。 だから知らない間に時間が過ぎてゆく。 2009.12.5(土) 京都講座 ぶるっぽふ、のち、まいはーい。まっちゃんです。 今日はこの講座の京都コースが行われた。午前中の教室講座は雨だったが、午後の銭湯探訪のときはウソのように晴れてきて、願ってもない日和となった。 準備不足の俺は全面的に京都の林さんにおんぶにだっこ状態だったが、新地湯の経営者ご夫妻の受け入れが感動的によくて、なかなかに充実した会になったと思われる。 ご参加くださった方々、ありがとうございます。そして林さんをはじめご協力くださった方々、お疲れ様でした・・・。 ![]() (左)伏見の長建寺を案内する林宏樹氏 (右)新地湯の内部を隅々まで見学、そのあと一番風呂に入浴 大阪コースは今からでもお申し込みオッケーですので、興味のある方はぜひどうぞ。 2009.12.3(木) そして神戸 ぶるっぽふ。まっちゃんです。冷たい雨がぶるっぽふ。 そのとき俺は、自室の電気ストーブの前でぼんやりと足先を暖めていた。 今年ももうすぐ終わり・・・と考えた瞬間、恐ろしい事実に気がついた。 2010年は震災15年目だ。ということは、震災の前年に神戸に引っ越してきた俺としては、もう16年間も神戸に住み続けていることになる。 16年! 16年も住んでいるのか俺は神戸に! まだ5〜6年かと思っていたら16年も経っていたとは・・・。恐ろしい。キョーフ。ネコマタ! この16年間、俺は神戸で何をやっとったんだ? さっぱりわからない。 だいたい神戸と言っても、東灘区岡本というところは、いわゆる神戸色の極めて希薄なところだ。大阪と神戸に挟まれた住宅地、無表情なベッドタウンにすぎない。港町っぽい雑多なニオイがほとんど感じられない、気取ってばかりのつまらないところだ。 ここで俺は16年間、暮らしてきた。 しかも仕事は大部分が大阪方面であり、飲み食いするのも大阪のほうが多かっただろう。 知らんのだ、俺は。16年間も暮らしながら、ミナト神戸というのがどんな街なのか、知らんのだ。 知ってるのは銭湯と六甲山だけだ(ただしその2つにはやたらとくわしい)。 神戸は決して没個性な街ではないはずだけど、俺にはそこで16年間も暮らしてきたという確固たる実感がない。知り合いや友人もごく限られている。 学生時代をすごした京都のほうが、俺の中にはくっきりとした印象がある。京都といえばあの空気ね、と生活感をともなって思い浮かぶ独自のイメージが厳然としてある。 そこには、京都での俺はヨソ者の下宿生だったという身分的なものが関係していたのかもしれない。 思えば、生活というのはその大半が「用事」で占められている。三宮や元町へ出かけるのも買い物や打ち合わせや飲み会といった用事のためであって、神戸という町を知るためではない。 そもそも、そこで生活行動が滞りなく行なわれることが生活の目的である以上、その町の実像などを観察する必要はない。生活が成立した時点で、ある意味そこはすでに自分の一部でもあり、客体ではなくなる。 それに対して「旅」というものは、それ自体がはじめからまったく生活には関係がない。生活とは無関係な場所に身を置き、そこがどんな場所なのかを感じて刺激を受けることこそが旅である。 だからこそ旅先では常にそこがどんな町なのかという観察眼でもってキョロキョロする。風景や出会った人などから、その町の全体像をとらえようとアンテナを張っている。 灯台下暗しと昔から言われる通り、住んでいることと知っていることは別だった。 それは俺の故郷の寝屋川に対しても、つい最近感じたばかりだ。 寝屋川には生まれてから18歳まで住んでいた。離れて30年近くになる。 この夏、父の看病で1ヵ月ほどの間だけ頻繁に行き来するようになったついでに、時間を見つけてはあちこち歩き回ってみた。すると、実家のすぐ近所でさえ、俺の知らないところばかりだった。 寝屋川自体はなんの変哲もない大阪のベッドタウンで、たいした見どころもない。にもかかわらず、住んでいたときには気づかなかった興味深い通りやナイスなお店を、わずか1ヵ月の間にいろいろ発見した。 それは、俺の目が観察モードに入っていたからだろう。 だけど、そこに住み続けていた父は死んでしまった。俺ももう寝屋川に行くことはめったになくなるに違いない。 そして俺が神戸で暮らした年月も、もう少しで寝屋川と同じになる。 そんなことに今日、はたと気づいたのだ。 毎年あちこち旅行に出かけてはいたが、もしかして俺は自分の足元でとてももったいない年月を送っていたのではないだろうか、とも感じた。 その瞬間、俺は今日から「神戸を旅する」ことを決めた。 神戸という町は、いったいどんなところなのか。それを、実感を持って知るために。 なんせ住んでいる場所だからね。ちょっと時間ができたときにいつでも、何度でも訪れることができる。 ゆっくり、じっくりと旅しようじゃないか。 嬉しくなって、雑務が済んだ午後4時、傘をさしてさっそく第一回目の神戸の旅へと出かけた。 何の用事もない。「旅するため」だ。 とりあえず阪急電車に乗って、三宮で下りて西口へ出た。 「ここは知らない町だぞ〜!」と自分に暗示を掛けながら駅の外へ出たけど、やっぱりいつもの三宮だったので、ちょっとガックリ。 だけど、いつも歩く高架下やセンター街を避けて、センタープラザ北側の道路沿いを西へ向かった。ここって歩いたことなかったかも。1筋南のセンター街は人だらけだが、この通りは閑散としている。 空腹だったので、すぐ行く手に現れた小さな中華食堂「満園」に入って、マーボードーフセットを注文した。 ![]() (左)センタープラザ西館の北側道路沿い (右)満園、2人がけの小テーブル5〜6個だけの狭い店 マーボードーフセット650円なんせ旅だからね、写真も撮りまっせ。 今日は寒いけど、狭い「満園」は表の戸も開けっぱなしで、すぐそこを走る車の音がブーブーと響き渡っている。店は60歳近い夫婦がやっており、二人の会話はすべて中国語だ。おかみさんは飾り気のない短髪で、うりざね顔の中央に小さな目鼻がついている。華北人の典型のような、いかにも中国人です〜といった顔立ちだ。 マーボードーフは、「王将」などにはない本場系の香辛料が効いていて、辛いがうまかった。写真右上の小鉢は蒸し鶏だけど、こいつがタレともども激ウマ。ごはんも山盛りで腹いっぱい。 他のメニューも食ってみたい。店の作りはショボイけど、また来ようっと。 客は俺一人だったが、帰りがけに60すぎくらいのおじさん客が来て餃子2人前を注文した。店主との話を聞くともなしに聞くと、「今日からやで」とか言っている。 この時期、「今日からやで」という言葉を聴けば、神戸の人なら誰でもピンとくる。 「今日からですか、ルミナリエ?」と俺は声を掛けた。 「そやで。初日やし天気も悪いから、今日ならすいとおやろ。わしも毎年見に行くけどな。おたく一人なら脇からするするっと見に行けるで」 おじさんによると、点灯は6時から。まだ1時間もある。でも、「点灯するときがおもろいんや」とおっしゃる。 中国人のおかみさんも、「わたしも毎年見に行きますよ」と言っている。 俺もルミナリエは過去に一度だけ見に行ったことがあるが、あまりの人の多さに辟易して以来、この虚飾の催しには近寄らないようにしていた。 でも、たしかに今日なら余裕かもしれない。 それより、記念すべき第一回神戸の旅の日がルミナリエ初日に当たったことに、俺は年甲斐もなく小さな興奮を覚えた。そのことに、あるはずもない意味を見出そうとすらしていた。 ルミナリエ会場では、すでに大勢の人が最初のゲート前を埋め尽くしていた。 俺はさっきのおじさんのアドバイス通り、コース途中のローソン付近に落ち着いて、缶コーヒーを飲みながら点灯を待った。 最初はガラガラだったコース途中にもやがてどんどん人が増えていき、6時前になると音楽が鳴り始めた。 そして6時。 ![]() (左)点灯前 (右)点灯! みんないっせいに写真を撮って、歩き始めるこうして俺の、神戸を旅する極私的新企画「そして神戸」の幕が開けたのであった。 「そして神戸」は今後随時ご報告する予定です。お楽しみに〜! このあと元町で2軒ハシゴして帰った。 2009.12.2(水) 最後の結果発表 まいはーい。まっちゃんです。 いいんかね。師走やちゅーのに、これほどまでのまいはい気候で。 通常この季節は寒いから、着替えるときは全裸にならず、俺の場合まず下半身をはき替えたのちに上半身を着替えるのが常だ。でも今朝は思いっきり全裸になってからパンツをはいてやった。 やっぱりいいね、起きぬけの全裸は。ビバ、モーニングヌード! そして今日は仕事一段落の節目として完全オフにした。見事になんもしておらぬ。ボールペンすら一度も持たず。 夜は晩飯当番、信州味噌をみりんで溶いてホイコーローを作った。 さてと。 最後の写真対決へのご投票、ありがとうございました。結果を発表いたします。 表中、@Aとあるのは「1番よかった」「2番目によかった」という意味で、そのあとの名前は撮影者予想。(到着順)
今回はテーマ「別れ」にふさわしく、投票も別れましたなぁ。 ちゅーわけで、 優勝:エントリーNo.2 「せっかく会えたのに・・・」と、エントリーNo.5 「わ」か「れ」(同点) 3位:エントリーNo.3 「バーイ!」 となった。でもどの作品も@位もしくはA位という票が入ってるから、これは全員引き分けと考えていいのではないか。最後にふさわしい大団円となった。 では選評および作者コメントとともに、誰の作品だったのかを見てまいりましょう。
というわけで、最後は奇しくも、写真対決のきっかけとなったはるひよさんと俺が優勝を分け合うこととなった。 写真対決が始まって1年。短い期間だったけど、このアホらしい企画に参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。集計は面倒くさかったけど、非常に楽しかった。 (まっきゃん)写真対決やめないで。 (マルガリータ)結局ぜんぜん参加できなかったけど、お名残汚臭、じゃない、惜しゅうございます。 (はるひよ)ああ、当てても何にもならないのですね・・・国王、さいろ国民の意識はあの「変化」以来行くあてもなく彷徨っておりますぞ! そういや、まっきゃんはわざわざ写真対決のサイトまで作ってくださったのだった・・・スマヌ。 では最後に、これまでの優勝作品を一気に鑑賞して冥土の土産としようではないか。 それっ! (2008年12月の対はるひよ戦、および三つ巴対決は除きます) ![]() 深夜のP (まっちゃん作品、テーマ「黄色」、2008.12) ![]() 冬の置きみやげ (てっちゃん作品、テーマ「1月」、2009.1) ![]() カラス (タナカ作品、テーマ「哀愁」、2009.2) ![]() ダイエットの心 (あいこ作品、テーマ「揺れる」、2009.3) ![]() んぐ〜〜生まれてよかった (大船越作品、テーマ「人間」、2009.5) ![]() ぶらり横丁 (はるひよ作品、テーマ「ぶらぶら」、2009.5) ![]() 雨の中行水をいやがる牛 (大船越作品、テーマ「雨」、2009.6) ![]() ダレカカワッテクダサイデス! (まっちゃん作品、テーマ「熱」、2009.7) ![]() 天国の落とし穴 (パピヨン作品、テーマ「雲」、2009.8) ![]() 3匹の子豚 (まつあつ作品、テーマ「もこもこ」、2009.9) ![]() あこがれ (まっちゃん作品、テーマ「闇と光」、2009.10) ![]() せっかく会えたのにもう帰るの? (はるひよ作品、テーマ「別れ」、2009.11) ![]() 「わ」か「れ」 (まっちゃん作品、テーマ「別れ」、2009.11) こうして写真対決の幕は下りたのだった。みなさんさようなら。 2009.12.1(火) 一段落 まいはーい。まっちゃんです。 今日もまいはいのぽかぽかね。目が覚めて外へ出たらこんなんだよ。 This is my street.山に背を向けて坂を下り、電車に乗って大阪へ。そして今日こそ仕事を一段落させた。夜はプチ祝杯で居酒屋とバーをハシゴ。東京で銭湯狂人つかささんに教えてもらった「ラムの牛乳割り」を飲んだ。 今年もあとひと月か。 最後の写真対決の投票もよろしくね〜。 |
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