ご意見・ご感想はこちらホーム

   編骨日誌
  (下へ行くほど日付が古くなります)
東北で今すぐ風呂に入れる緊急情報ネコマタの滝に挑戦しよう!

2011.7.29(金) おじいちゃんは戦士だった

 まいはーい。まっちゃんです。
 夕べは5年ぶりくらいで西宮の浜田温泉へ行った。広〜い露天風呂に豪快に源泉掛け流し、そこらのスーパー銭湯そこのけの超優良銭湯だけど、けっこうすいていた。もったいないぞ西宮市民!

 俺はぬくぬく温泉とチベタイ水風呂の交互入浴無限ループにはまってしまい、ふらふらになった。そのあと居酒屋と韓国料理屋をハシゴして、ビール・焼酎・マッコリでさらにふらふら。
 しまった、下腹を絞り上げる夏休みの戦いに早くも敗色が見え始めているぞ!

 戦いといえば、これは豊浜の鯛祭りに行く途中の話。
 そのとき俺は名鉄河和線の終点・河和駅から豊浜へ向かう海っこバスに乗っていた。祭りとはいえ、地方のバス路線はすいている。鯛祭りへ行くとおぼしき乗客は他に2〜3人しかいなかった。

 前のほうの座席に、つけまつげバッホンバッホンの今どきギャルが二人乗っていた。
 彼女らは右側座席と左側座席に座って、わりと大きな声で話していたから、聞くともなしにその内容が後部座席の俺のところにも断片的に聞こえてきた。

 彼女らは、自分たちのおじいちゃんの話をしているようだった。
 つけまつげバッホンバッホンのくせにおじいちゃんの話とはほほえましいな、夏休みだな〜、と思っていると、こんな言葉が聞こえてきた。

 「おじいちゃんは企業戦士だったからさー、・・・」

 おじいちゃんは企業戦士だった!

 俺たちのおじいちゃん世代は第2次世界大戦で本物の戦士だったわけだが、彼女らのおじいちゃん世代は企業戦士だったのだ。

 これは、俺たちが聞いた「戦時中はなぁ・・・」という昔話と同じように、企業戦士というものはすでに昔話の中に出てくる伝説の存在になっているということを意味する。

 まあそれだけなんだけど、日本が右肩下がりの時代にあることをあらためて再確認させられる言葉だったので、書き留めておこうかなと。

 鯛祭りのあとで入った名古屋市南区の共栄湯を「激渋銭湯」にあげといた。ひさびさに★つき。

本日の写真:シリーズ顔

 おじいちゃん熱中症には気をつけてね

最新の日誌ホーム戻


2011.7.27(水) 俺不在中の事件

 まいはーい。まっちゃんです。
 旅行に行ってる間にいろいろ事件が起きていた。

 まず、どこも悪くない俺愛用のテレビが、国家権力によって粗大ごみにされていた。
 地デジかなんか知らんが、俺はそんなもん頼んでない。財産の侵害である。
 こういうことを強制的に進めるのなら、国は主権者・納税者である国民に対して次のどちらかの態度をとるべきだろう。

 @地デジチューナーを無料で配布・設営する。
 Aアナログテレビを無料で引き取ったうえで、愛用の機器を使えなくしたことへの慰謝料を支払う。

 ところが驚いたことに、地デジチューナーをつける場合は、自分のゼニを電気屋へ支払って買えということらしい。
 アナログテレビを捨てるなら、自分のゼニを回収業者に支払って引き取ってもらえということらしい。

 なんで俺がゼニを払わんならん? 俺のテレビを使えなくしたのは国だろう?
 こういうのを、やらずぼったくりというのではないか。

 そんなわけで俺のヒソカな楽しみであった国会中継はもう見られない。
 それでも俺を含む日本ヒツジ国民は怒りを爆発させるでもなく、お上のお達しにおとなしく従うのである。

 爆発といえば、俺の旅行中にもうひとつ、ノルウェーで恐ろしい集団殺戮事件が起きた。テレビが見られないから新聞を見てたまげたね。
 犯人は「保守派のキリスト教徒」を標榜し、「このままではイスラム教徒に国を乗っ取られる」との思いから犯行に至ったのだという。

 俺は「蜘蛛の糸」の話を思い出した。
 カンダタは、「このままでは糸が切れる」との恐怖心から、自分だけが助かりたい一心で足元から糸を切った。

 ノルウェーは豊かな福祉国家だ。
 豊かな国には、貧しい国から人々が押し寄せる。ノルウェーの手厚い移民保護政策は、貧しい人々の側からするとまさしく「蜘蛛の糸」だろう。
 しかしそうなると福祉の負担が増し、国家の経営に不安が出てくる。
 そこで犯人は、「俺がその糸を断ち切ってやる」と考えたらしい。

 しかし、自分さえ助かればよいという心はよこしまなものとして仏罰の対象になる。
 足元から糸を切った瞬間、カンダタは自分がつかんでいた糸も切れて地獄へ堕ちていった。
 仏教説話に限らず、世界の偉大な神様はたいてい同じようなことを言っているから、おそらくはキリスト教でも、カンダタのような心はよくない心として戒めの対象になっていることだろう。

 そういう、子どもでも知っているような、宗教道徳として常識と思われるようなことが、自分のアイデンティティとして「キリスト教徒」を標榜する今回の犯人には、なぜわからなかったのか。

 宗教のやっかいな点はそこね。
 異教徒がからんだとたんに宗教(とくに一神教)は排他的・攻撃的になり、排斥のための大義になったりする。
 ノルウェー事件も犯人が宗教的大義を感じているぶん、秋葉原事件のような暴発事件よりもたちが悪い。

 移民問題はノルウェーだけの問題ではない。
 状況は他のヨーロッパ諸国でも似たようなものだし、超高齢化・人口減少社会に向けて突き進む日本も、少なくとも人口の1割を移民で補わねば国がもたないという状況になりつつあるらしい。
 そのとき日本人はどうするのか。

 「排他的な一神教に対して日本には多神教の伝統があり、仏教も儒教も受け入れてきた寛容・融通の精神がある」、というような言説に最近しばしば出会う。
 ところがノルウェーの犯人は理想的な移民排斥国家として日本を挙げていたらしい。

 どっちが的を得ていると思います?

 まあ俺としては、どこの国の人であれ、銭湯に来てくれればOKだ。

 名古屋市熱田区の富士の湯を「激渋銭湯」にあげといた。名古屋の銭湯は久しぶりぃ〜。

本日の写真:シリーズ顔

 そうね風呂ね〜

最新の日誌ホーム戻


2011.7.25(月) 鯛まつり vs そうめん祭り

 まいはーい。まっちゃんです。
 この週末は愛知県方面に行っておったのだが、腰痛に18きっぷは辛いな。このことは前にも確認したような気がするけど、忘れてたわ。

 でもなんとか帰ってきた。
 旅のメインの目的はこれだった。
 

 知多半島の先端に近い豊浜という漁港で行われる鯛祭りだ。
 バカでかい鯛みこしが村中をねり歩き、鯛同士でぶつかったり海を遊泳したりする。
 この祭りを知ったのはおととしだが、鯛たちのバカデカさとマヌケヅラに魅了され、ぜひ行きたいと思っていた。このたび念願かなってついに見てきたのである。

 祭りは土日にかけて行われ、プログラムを見ると鯛が海を泳ぐのは日曜の朝だった。でも豊浜に宿がとれなかったので、土曜の夜にいったん名古屋に戻ったら、翌朝寝坊して鯛の遊泳時間が過ぎてしまった。
 心残りだ。

 見ごたえのある大掛かりな祭りのわりに、人手はさほどでもなかった。出店もチョロチョロ。同じ日に碧南で花火大会があったせいかもしれない。交通の便もいいとは言えない。
 しかしこの鯛たちの表情を見ているだけで誰からも笑いがこぼれ、脱力かつ平和な気分になる。同じ愛知県の田県神社のちんぽこ祭りに通じるものがある。

 そしてもちろん、こんなものも食えたりするのよね〜。

 海鮮丼ならぬ鯛鮮丼

 さて、規模では鯛祭りには及ばないが、ふろいこか〜も来月はこんな祭りをやることになった。
 夏休み最後のお楽しみツアー企画。そして、またしてもアイドル登場である。ぜひ来られたし!

最新の日誌ホーム戻


2011.7.22(金) 中断

 まいはーい。まっちゃんです。
 鍛え抜く夏休みについて2日目のご報告をしたいところだが、じつはこれから18きっぷでプチ旅行なのね〜。
 週明けには帰ってくるつもりなので、続きはそれからだ。

 あ、今日は腰痛が若干マシでラジオ体操ちゃんとできた。第一だけ。

 ほんじゃ〜。

本日の写真:シリーズ顔

 フン、しらけさせやがって

最新の日誌ホーム戻


2011.7.21(木) 初日

 まいはーい。まっちゃんです。
 鍛え抜く夏休みのはじまりだ。

 まず朝起きてすぐに外へ出て、ラジオ体操的にカラダを動かしてみた。
 でも腰が痛くて前屈がほとんどできない。なんとラジオ体操すらできないカラダになっているぞ! 仕方がないのでテキトーに左右に振ってみたりするが、思うに任せず3分ほどで終わり。

 敗北感にまみれて部屋へ戻り、しょんぼりインスタントコーヒーを飲んだ。
 そしたら急激にもよおしてきた。朝からいきなりというのは久しくなかった感覚だ。いそいそとトイレへ向かう。
 出ましたよ1本グソ流れるか流れないかの瀬戸際的な太さ長さ健康ってすばらしい。ラジオ体操でメゲた心がたちまち生気を取り戻した。

 午後、昼飯がてら外出。
 長い距離を歩くつもりだったが、いつも歩いている岡本界隈から始めるのが嫌になり、とりあえず阪急電車に乗って新開地まで行った。
 ここで中華料理屋に入って八宝菜メシとギョーザ摂取。
 腹いっぱいになりつつも山手に向かって歩みを進め、いちばん山際にある清水湯にたどり着いて風呂に入った。そこそこ汗をかいたので非常に気持ちよろしい。
 再び新開地へ戻ったが、風呂上りのクセでスルスルと無意識に「元町エビス」に入ってしまう。「しまったビールは控えるんだった!」と思い出したのは生エビスが目の前に運ばれてきてからだった。

 その後、夕食時および現在、チューハイ(糖分ゼロ)2杯。

 結局今日の歩行距離は、清水湯の往復で約6km、その他で約2km、計8kmほどだった。
 まあ最初から飛ばしすぎて腰ゆわしたらアカンからな。
 明日以降はこれを10km以上に延ばし、腰の様子を見ながらストレッチなども加味していく所存。

 今日行った清水湯を「神戸の銭湯」兵庫区編に追加しといた。近くの湯の町浴場ともども、営業時間がぐっと短くなっていて心配だ。

 復活!本日の写真:シリーズ顔

 わしゃ見とるからな

最新の日誌ホーム戻


2011.7.20(水) 厳しい夏休み

 まいはーい。まっちゃんです。
 台風一過、気がついたらガキどもは夏休みに突入しておるではないか。

 そして奴らはすでに父親と遊ぶ年齢ではなくなりつつある。

 ということは、俺は俺で夏休みを謳歌してよいということだ。

 とはいうものの最近の俺はタルミきっている。不摂生とビール過剰摂取と運動不足によって、体重は本人希望価格を10kgも上回っているありさまだ。
 下腹部の突出は食用ガエルの腹とほとんど見分けがつかない。海や川でこの腹をさらした瞬間、食用ガエルと間違われて肛門から串刺しにされキャンプファイヤーでバーベキューにされる危険性がかつてないほど高まっている。

 そうでなくてもカラダが重いと動くのがいちいち面倒になるし、持病の腰も痛む。久しぶりに会う人には必ず「おや恰幅がよくなられましたね」などと言われたり、「何ヶ月ですか」と真顔で聞かれたりで、いいことは何一つない。

 そこでこの夏休みはカラダ絞り強化月間ということにしたい。
 ぎんぎんに絞って鋼のようなカラダに鍛え上げる。下腹を洗濯板状態とし、背筋を強化して腰痛を解消し、体重は10kg落とすことが目標だ。

 だがタルミきったカラダでいきなり過激な運動をすると心臓発作か熱射病で死ぬ可能性がある。
 そこでまずは長距離歩行からはじめよう。そしてビールは一日1杯限定だ。

 とりあえず今日はダメなので明日から開始だ。
 なぜ今日はダメかというと、すでに夕食時に焼酎を3杯飲み、今はカルビーじゃがりこチーズ味を食いながらビールを飲んでいる。
 弛緩しきった俺がまだ当たり前のように続いている状態なのだ。

 明日からだ。明日から俺の厳しい夏休みが開始される。
 そのストイックな日々は当日誌で克明に報告することにする。そういやこの日誌も最近さぼりぎみだったが、明日からは夏休みのラジオ体操の出席表のように毎日つける。
 夏休みとはそういうものではないか。

 俺がどれだけやる男か、ぜひご期待いただきたい。はっはっは。

最新の日誌ホーム戻


2011.7.17(日) 海賊の寅

 まいはーい。まっちゃんです。
 なんとなく1週間近く日誌があいてしまったねスマヌ。

 暑い日が続くけど、べつに夏バテしてるわけではない。
 むしろちょうどいいくらい。これくらいの暑さは俺としてはなんともない。ていうか心地よい。もうあと3〜4度高くてもいいよね。

 この1週間、とくにこれといって何をしていたわけでもないが、まあ強いて言えば、夏の暑さをしみじみ楽しんでいたというか、そんな感じだな。パンツ一丁、そうめんツルツル、しろくまアイスぺろぺろだ。

 あ、そういえば丘(高3)とパイレーツ・オブ・カリビアンの4作目を観に行った。
 相変わらず突っ込みどころ満載のいいかげんな脚本で、しかも今回は敵役の黒ヒゲ海賊が登場シーンを除いてただのジジイだし、海戦シーンもないし、男前の牧師が意味不明だし、スペイン人の使われ方にキョトンとするしで、前3作と比べても迫力不足は否めない(人魚が襲ってくるシーンだけちょっとおもしろかった)。

 それでも、ジャック・スパロウが画面に出ているだけである程度なんとなく許せてしまうから、ジョニー・デップという人はたいしたもんや。もはや寅さんの域に達している。
 ていうか今気づいたけど、ジャック・スパロウってカリブの寅さんよね。次作では妹のチェリーを登場させてほしい。

 それと相手役がペネロペ・クルスだったのもよかった。俺は前作までのヒロインがどうも苦手だった(名前も覚えてない)。

 まあそんなようなことで銭湯だけは毎日通う夏の日々。

最新の日誌ホーム戻


2011.7.11(月) かぜ抜け

 まいはーい。まっちゃんです。
 先週末から不覚にも夏風邪をひいてしまい、このクソ暑いのに熱を出して寝ていた。
 きのうの日曜日は体にムチを打ってふろいこか〜ラジオの収録に出かけたが、その夜にはもうウイルスが抜けたようで一気にラクになった。

 風邪で寝ている間に梅雨も明けたらしいね。
 本格的な夏の到来だが、夕方になるといい風が吹き抜ける神戸は関西の他都市と比べていくぶん過ごしやすい。

 そういや青春18きっぷの季節も到来か!

 「神戸の銭湯」に中央区の朝日湯を追加した。
 都心近くに残る貴重な薪沸かし銭湯だが、ここへは山歩き後に汗みどろになって行くことが多い。布引谷からの下山後にちょうどいい場所にあるからね。そしてたいてい長風呂になる。
 疲れきった体で死んだように湯船に浮かんでいるのは心地よい。水風呂も死にそうに最高ね。

 しばらく六甲山を歩いていないので、今週は久しぶりに登ろうかな。

 坂の途中

最新の日誌ホーム戻


2011.7.6(水) 宮古

 まいはーい。まっちゃんです。
 といいつつ、まっちゃんという人は世の中にたくさんいる。

 そのうちの一人のまっちゃんがヘマをして震災復興大臣を9日でやめることになった。
 あほやなあ、ハカタのまっちゃん。
 このまっちゃんがいちばんみっともなかったのは、宮城県知事を命令口調で叱責したことよりもそのあとのマスコミに対するセコい恫喝発言だと俺は思うが、そのまっちゃんは宮城県の前に岩手県を訪問していた。

 まっちゃんは岩手県知事に向かって威勢よくボールを蹴って震災復興キックオフをアピールしたが、そのきつすぎるボールを受け損ねた達増(たっそ)拓也・岩手県知事は、じつはかなりのオカルトマニアらしい。
 ということを、『荒俣宏・高橋克彦の 岩手ふしぎ旅』(実業の日本社)という本で知った。

 この本の中で達増知事は荒俣・高橋両氏との鼎談で登場し、こんなことをおっしゃっている。
 
達増「外務省に入って、ワシントンで二年間ジョンズ・ホプキンス大学というところに通って研修しながら、フリーメイソンを勝手に調べていたんですよ。その後、私は衆議院議員になっていくんですが、民主主義というのは何かそういうオカルトっぽい情熱や感覚に支えられてこそ、健全な民主主義が発展するらしいなと、欧米の歴史を見て感じましたね」

荒俣「確かにフランス革命当時は、共産主義や社会主義すらオカルト的ですからね」

達増「日本の場合は、キリスト教的なものに今さら民主主義をのっけた発展というのではだめなので、アニミズム。アニミズムの基盤の上に日本の民主主義を築いていくと、ちゃんと立派な民主主義が日本に発展するはずだ、と私は思った。それで、『霊的地域振興』とか言ってるわけです」

荒俣「霊的地域振興?」

達増「ええ。地域振興でいろいろ道路を整備するとか、工場を誘致するとかあるんですけれども、そういうのだけではだめで、霊的にも祝福されなければだめだと思っていまして」

荒俣「ほう。それはおもしろい」

 よくわからんが、ある意味おもしろいことはおもしろい。
 まあ確かに日本の政治でも、政策決定にいたる動きがオカルト的にしか見えないようなことがままあった。むろんそれがいいとは思えないが。
 ていうか今の菅政権も見ようによってはもはやオカルト的だ。なんせ菅さんは首相を辞めたら再びお遍路の旅の続きにお出になる身だからね。

 この発言のあと達増知事は、岩手県に1000ほどもあるという郷土芸能、民俗芸能について語っておられるので、おそらくは道路を作るにも、そういった民俗芸能などの伝統を守り、観光資源としてアピールするようなかたちでの地域づくりということをおっしゃりたかったのではないかと想像する。
 それには俺も反対しない。

 ちなみにこの本で達増知事は小沢一郎のことをこんなふうに語っている。

達増「岩手県出身の小沢一郎さん、実はあの人はみちのくの古代史にすごい関心があって、自分がアテルイの後継者だと思っているんです。アテルイのことをものすごく意識しています」

 なるほど。当否は別にして、そう考えると小沢一郎もどこか憎みきれない。

 ちなみにアテルイはかつて東北を支配し、大和朝廷の遠征軍を撃退し続けたエミシの大将だ。坂上田村麻呂に降伏(和睦ともいわれる)して京都に送られたが、エミシを徹底弾圧する朝廷の方針によって枚方で斬首された。
 京都の清水寺は、アテルイの霊を弔うために坂上田村麻呂が建てた寺だ。

 ところでこの楽しい本は、4月11日に岩手県の宮古で買った。

 その日俺は盛岡からバスで宮古入りした。盛岡から宮古へは山深い北上山地を越えて2時間かかる。
 バスが宮古の手前にさしかかったとき、あたりの山峡にサイレンの音がこだました。
 最初は何だろうと思った。少し考えて、この日が震災から1ヶ月目であり、そのときの時刻がちょうど地震発生の時刻だったので、黙祷のサイレンなのだと気づいた。

 それから少し走って、バスは宮古駅前に到着した。
 宮古を訪れるのは3年半ぶりだ。3年半前と同じく今回もべつに宮古に何の用事があるわけでもないが、宮古が抱える状況は一変していた。
 街じゅうに埃のような微粉末が漂い、うっすらと潮臭いような生臭いような、いわゆるガレキ臭に覆われていた。

 しかし予想に反して、駅前は津波被害を受けていなかった。バス乗り場付近にいたボランティアの人に聞くと、津波は駅のすぐ近くで止まったらしい。
 とりあえず俺は宮古で営業を続けていた2軒の銭湯を訪ねたが、うかつにもこの日は宮古の銭湯の定休日だった。
 それでも1軒目ではたまたま外出から帰ってこられたおかみさんに出会い、話を聞くことができた。

 2軒目の銭湯は留守だった。
 駅へと戻る途中、埃っぽい道路沿いで、小さな書店が営業しているのを見つけた。
 無表情なおやじが番をしている。こんなときに店を開けても客は来るのかと疑問に思ったが、開けずにいても仕方ないのかもしれない。
 俺は旅先ではたいていその土地の郷土本を買うことにしているので、復興の景気付けにしてくれとの思いも手伝って、そのシケた書店で数冊の岩手県関連書を購入した。
 そのうちの1冊が、先に紹介した本だ。

 
(左)2日前に営業再開したというモスバーガー(4/11)   (右)でも店内はガラガラだった

 
(左)3年前に泊まった旅館、なんとか無事そうで一安心   (右)その近くの、シャレにならない名前のホテル

 3年前に泊まった旅館より東(海側)へ行ってみると、進むにつれて津波の浸水時に達した水かさが高まってゆくのが一目瞭然だった。家の中からかき出した泥や、使い物にならなくなった畳などがそこここに積まれていた。
 阪神大震災のときは建物の損壊がひどかったが、それに比べれば建物はほぼ元通りに建っている。なのに、阪神よりも空気はずっと陰鬱であるように感じられた。
 全体的に濡れている、ということもあるかもしれないが、海の底の堆積物をぶちまけられたまちなみには、ひとことで言って「死んでしまっている」ような印象を持たざるを得なかった。
 人影が少ないせいもあっただろう。阪神のときは被災者やボランティアで街じゅうあふれかえっていた。

 報道を見る限り、東北の復興は遅々としてなかなか進んでいない印象を受ける。
 被災範囲の広さ、都会からの遠さ、そして政府の力点が原発対応に割かれているなどの点で、マンパワー不足、人材不足は阪神の比ではないだろう。

 ハカタのまっちゃんの蹴ったボールを胸ではじき返したオカルト好きの達増知事は、直後の辞任をどう思ったのか。
 あのきついボールを胸に受けた瞬間、この人は手ごたえがある、と霊的に感じたような気がしないでもない。
 なんて茶化してる場合ではないな。スマヌ。

 仙台の花の湯を「激渋銭湯」にあげといた。

最新の日誌ホーム戻


2011.7.3(日) 京都にペンキ絵登場

 まいはーい。まっちゃんです。
 きのうは京都市北区の北野温泉で、京都初となる浴室ペンキ絵のお披露目会があった。

 銭湯のペンキ絵師は東京に2人おられるが、関西の銭湯にはペンキ絵は基本的に存在せず、白タイルに顔料で描いて焼き付けた九谷焼などのタイル絵か、ミニサイズの色タイル配置で描いたモザイクタイル絵しかない。

 今年3月に京都のスーパー銭湯もなこの湯が、東京のペンキ絵師の中島盛夫さんを招いて富士山のペンキ絵を壁一面に描いているが、このたびの北野温泉は、京都の銭湯好きの若手絵描き3人による3点競作となった。


女湯側は金閣寺&左大文字と、富士に天女の図

斉藤さつきさんが描いた弁天さん

北野温泉の息子さんが書き入れた子鬼
 

 
(左)男湯側は鴨川風景   (右)北野温泉のご子息が描き入れた河童

 飾り気のないシンプルな浴室が、ぐっと楽しげな浴室への変身した。お客さんらの評判も上々らしい。
 ペンキ絵は年月とともに劣化するため、北野温泉のご主人は「2年おきに描きかえたい」とおっしゃっている。

 大手工務店による似たような銭湯も多い中、このように各銭湯が個性を発揮するのは利用者にとってもじつに楽しく、喜ばしい。
 関西銭湯にペンキ絵時代が到来するような気がしないでもない。

最新の日誌ホーム戻


2011.7.1(金) 最終日

 まいはーい。まっちゃんです。
 なんと、もう2011年も半分終わったのか!

 ゆうべは天六の栄温泉の営業最終日。夜10時すぎに、最後のお湯に浸かってきた。
 これまでもう何軒もの銭湯最終日に居合わしてきたけど、毎度ながらこのさみしさはなんともいえない。

 25日のツアーイベントで大勢が入りに行ったのを喜んでいただけたようで、おかみさんがいつになくいろんな話をしてくださった。
 栄温泉は貸し銭湯で、オーナーは別におられる。
 「跡地はマンションか何かにしはるんとちゃう?」とおかみさんはおっしゃった。
 「でも明日から私らはもうここにはおれへんから」

 銭湯の廃業は、その風呂にもう入れないということも悲しいが、このおかみさんともうお会いできないということもまた同等にさみしい。
 最近は古い銭湯を廃業後も壊さずに、そのままカフェなどに利用するところも増えている。レトロでユニークなつくりがなかなか人気のようだ。近代建築が好きな人には好ましいことだろう。
 でも俺としては、主を失った風呂場が別の用途で使われているのがなんだか辛くて、あまり近寄る気になれないでいる。

 親にも見せていない近頃の俺の体を、銭湯の人には全部見せてるからかな。
 お湯がどうの設備がどうの建築がどうのタイルがどうの・・・と言っても、結局はやはり「人」なのだろう。

 「どうかお元気で。ありがとうございました。さようなら」

 最終日の栄温泉

 都島区のみやこ湯を「激渋銭湯」にあげといた。ここは濃いよ。

最新の日誌ホーム戻


過去の日誌も読めます

2011年 6月5月4月3月2月1月
2010年 12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2009年 12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2008年 12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2007年 12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2006年 12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2005年 12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2004年 12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月

最新の日誌へご意見・ご感想はこちらホーム